農暦十二月初一。晴。せめて年末の掃除。ふだんから整理整頓好きゆゑ、いつもより念入りに掃除機かけて風呂場洗面所のお清めくらい。すでにブラウン管が不調の初代 iMac歴史的価値ありかとずっと寝室に保管してきたが(書斎にはまだMacintosh Plusもあり、使おうと思えば現役)放出も考えたが今更オークションや中古屋でも引受け手なく粗大ゴミ扱い。ハードディスクは一応きれいにしてはあったが本体から外し別途廃棄。この iMac購入した98年だったかM君に来宅してもらい本体開けてメモリ増設などした時のことなど思い出す。今ではメモリ増設どころかメモリの容量などすら考えもせぬ時代。この iMacがDVD仕様であればブラウン管さえどうにか直ればOS-Xでまだ遊べるのだが、わずか7年前のハードがお払い箱。母から餠が届く。昨年の暮れは日本に戻り病院から一時帰宅した父を母と迎え父の好きな蕎麦屋に年越し蕎麦食し晩は父と酒を少し飲む。正月二日には香港に戻ったが帰り間際に父が「今度戻ってくるときには元気になっているから」と言ったのが父と交わした最後の言葉となった。喪中でも餠くらいは、と歌舞伎座のカレンダーとともに送られる。午後、按摩。タイで先週土曜に一度、タイ式按摩しただけで年末だし。文春新書で堂本正樹『回想 回転扉の三島由紀夫』読む。帰宅するとNHKで紅白歌合戦の放映あり。他の選択もなく(できれば放送作家で馬友のMさん制作にかかわるPrideを見たいところだが)年越し蕎麦食しながら番組構成も進行もかなり拙い紅白を見る。みのもんた起用で話題となった司会陣もちぐはぐ。かつての紅白なら綜合司会のアナウンサーがいて綜合司会の苦手な部分をフォローする紅白のそれぞれキャプテンがいて色物の応援という安定があったのに、綜合司会の「みの」が逆にキャプテンやスポットで入る応援タレントのフォローに入らないとシャベリが続かない。本来であれば独演会したい「みの」の焦りがかなり目立つ。視聴率が欲しいのなら話題づくりはゴリエと和田アキ子のコンバートばかりか浜崎あゆみのfairylandをゴリエに唄わせてゴリエのペコリナイトを浜崎あゆみでやるとか、ユーミンではなく、島谷ひとみ、としておいて本番で南沙織が登場する、くらいの「ハプニング」が欲しいところ。WaTだかいう二人組のマイクが倒れるくらいの用意周到なハプニングでは話題にもならぬ。吉永さゆり、の詩の朗読。世のサユリストのおとーさんたちはこの吉永さゆりの反戦詩朗読にどう応えられるのだろうか。
▼堂本正樹『回想 回転扉の三島由紀夫』は5年前に『文学界』に初出。のちに劇作家となる、慶應普通部4年生(15歳)の堂本少年は銀座を徘徊する不良少年。歌舞伎好きで銀座の喫茶店(昼はフランス語の教科書を広げる少年がお茶しているような店で夜になると美少年のボーイ目当ての好事家が集う)で大蔵省を退職したばかりの新鋭作家の三島由紀夫に遭遇するのだが、話はそこから始まるのか、と思っていたが、実際にはそのブランズウィックという松坂屋裏の喫茶店で堂本少年は三島とは別の中年の客に見せられた『劇場』という雑誌に三島の『中村芝翫論』(芝翫は後の六代目歌右衛門)を読み、それが堂本少年が三島を意識した最初であり、その後にこの店で三島を紹介される。ブランズウィックという名前は(三島の『禁色』では銀座のルドンとして登場する店)一風変ってはいるが(以下、富柏村の推測)Brunswickは当時まで米国で著名なる蓄音機、レコオドプレーヤーのブランド名(この会社はまたスポーツ娯楽のボウリング関係のメーカーでもあり)。堂本氏の話は昭和24(1949)年の話であり音楽を聴かせる喫茶店の名前としてブランズウィックとしたのだろうか。ちなみに1961年に米国のこの会社と三井物産が合弁で日本ブランズウィックというボウリング関係の会社設立し今日に至る(こちら)。丸山明宏(のちの美輪明宏)ら10代の少年が鳩い、客は三島など芸術関係者や政治家、大手会社の重役など上客ばかり。今で考えれば少年売買春の巣窟だが、社会から「悪所」が消えてゆくのが戦後の日本ばかりか世界の趨勢で健全化は評価されるべきか人間をただバカにしているか。今でも危険な場所は少なからず風俗業の繁盛など「悪所」はあるように見えるが麻薬の売買があり少女相手の援交があれば悪所に非ず。悪所はそこから芸術だの文化だのが生まれてくる土壌あり。ところで鎌倉の澁澤龍彦邸では正月には土方巽、松山俊太郎、種村季弘、高橋睦郎、加納光於、白石かずこ、池田満寿夫、金子國義、四谷シモンら身震いするくらい錚々たるメンツが集いドンチャン騒ぎ。そこに川端康成と林房雄のところに年始に訪れた三島が寄るのだそうな。なんて世界だろう。それともう一つ。堂本氏のように三島の「お気に」となった春日井健という当時19歳の名古屋在住の詩人の短歌がこの回想本にいくつか紹介されているのだが
われよりも熱き血の子は許しがたく少年院を妬みて見たり
という詩がとても印象に残る。この春日井健の歌集『未青年』(作品社)は三島が「序」を書いていることもあり初版本(昭和35年)は古書で8万円近い。昭和13年生まれと若いがすでに他界。春日井健についてネットで捜していたら紺宿頁という処(こちら)で平井弘という確かに「真っ青」な詩人の短歌について春日井健のメッセージを含み紹介している。こういう世界があったのか……とただ、耽美。堂本氏の本の話に戻れば、三島由紀夫に関する回顧本としては福島次郎の近ごろ珍しい発禁本『剣と寒紅』が記憶に新しいところ。だが『剣と寒紅』があまりに暴露本であることに比べれば堂本本は当時の三島演劇のことなどについて詳しく「なるほど」。ほとんどの登場人物が実名。郡司正勝先生も三島夫人も他界したにせよ、かなり具体的に書かれている。そのなかで唯一、堂本氏と親しい、三島とも知己の「中世文化に詳しい茶人」だけは濁したまま。ところで、一つ気になることは堂本氏の文章がちょっとどこか文脈がおかしかったり、てにをは、が読み返さないとよくわからないところあり。一気に書き下ろしの5年前ならわかるが今回の新書で書き改めしておらず、だろうか。
▼偶然のことで、いぜん何かの書評で興味もち切り抜いたが、それを見失い書名すら失念の書籍が後藤繁雄『独特老人』(筑摩書房)であった。それを久が原のT君とのメールが発端で、見つける。森敦(作家)、埴谷雄高(作家)、淀川長治(映画評論家)、大野一雄(舞踏家)、細川護貞(文人)、水木しげる(漫画家)、久野収(哲学者)、堀田善衛(作家)、多田侑史(裏千家執事)、宮川一夫(映画キャメラマン)、中村真一郎(作家)、鶴見俊輔(哲学者)といった凄いメンツがずらり。必読。この世代までの方々は、まさに中国語の「大人(Daren)」ばかり。興味深い話をT君に聞く。
▼週刊文春で小林信彦が戦後の日本の<良かった時>というのは、とても短い、と挙げているのが
ぼくの場合は昭和20年8月15日から昭和25年6月25日までだ。あとはずっと、はらはらしたり、いらいらしたりで、平成になっても、それは続いている。いや、今年はもはや<戦前>の空気になった。
と。前述の銀座のブランズウィックでの堂本先生の三島由紀夫との邂逅が昭和24年。まさにこの終戦直後の時代。昭和25年6月25日が何の日か、小林信彦は敢えて書いていない。この日が何の日かわかる人はわかる、わからない人はわかりたければ調べればいいし、気にもならない人は調べなさんな、という小林信彦の強い意思が感じられる。朝鮮戦争勃発。