十一月九日(水)写真二葉はHappy Valleyの古い墓地。早晩にFCCにてたまった新聞の記事スクラップ熟読。ハイボール三杯。晩にフェリーで尖沙咀に渡り香港文化中心のコンサートホールにて馬友友のチェロリサイタル。バッハの無伴奏チェロ組曲のうち3、5と6番の独奏。このバッハの無伴奏チェロ組曲は古典音楽のなかで余の最も愛おしむ楽曲。萩元晴彦氏がもう三十年近く昔だろうかTBSラジオの深夜放送の番組でカザルスについて語ったことで初めてカザルスでこの無伴奏チェロ組曲を聴き、今では所有するCDだけでもカザルス、Anner Bylsma、Pierre Fournier、Kremer、Micha Maisly、Janos Starker、そしてYo-yo Ma、変わったところではRadek Baborakのホルンでの演奏まで。一人の作曲家の一つの曲でこれほどCD有する曲は他には当然、ない。奏者も一流であるが故だがこの楽曲であるからこそ、奏者によって全く異なる楽しみあり。だが正直なところ、このコレクションのなかで個人的に最も苦手なのが馬友友であるのは事実。ビルスマの力強さ、フルニエの優雅さ、クレメールの原曲への忠実さ、マイスキーの流暢さ、スタルケルの重厚さなどどれも面白いのだがヨーヨー=マの場合、彼の奏でるこの曲を最初に聴いたのが彼のチェロ演奏に合わせ大和屋が踊る画像であったことがトラウマ。ヨーヨー=マの卓越しているのだろうが彼の抑揚のありすぎる音が苦手。この無伴奏組曲と踊り手の組み合わせも、例えばビルスマに大野一雄先生、フルニエに菅丞相の装束でただ舞台に座し手を揺らす先代の仁左衛門、早弾きのマイスキーに伊藤キム、スタルケルに六代目歌右衛門、なんてかなり凄いのではないか?と想像するだけでも楽しいがヨーヨー=マに玉三郎はやはり個人的に凄すぎた。で今晩、初めてヨーヨー=マの演奏を聴く機会を得る。会場は世界的チェリストの演奏会らしく香港の政財界のお歴々多し。余の席とステージ結ぶ線上に董建華夫人と司法長官引退したばかりの梁愛詩女史のお二人が並ぶ。最悪。ヨーヨー=マ君が颯爽と舞台に登場。椅子に坐るなり間髪入れず3番のハ長調のプレリュード奏で始める。えっ……客席の照明暗転せず。ヨーヨー=マ君は舞台から明るい客席の客を舐めるように凝視しながら「おらおらおら〜っ」と煽るように演奏を続ける。観られることで演奏に更に興じられるのだろうか。チェロのしかもバッハのこの荘厳なる曲は私の印象では暗い空間にチェリストだけにスポットライトが天井から明かり、孤高なるチェロ奏者が俯いて静香に奏で始めるものであるからマ君のこの「おらおらおら〜っ」に寧ろこっちが赤面して「恥ずかしいから、やめてくださいっ」と俯いてしまいそう。客席ではHK$500もするA席に坐る幼児は寝ているし舞台から3列目で携帯でステージの写真撮るバカは職員に怒られるし時節柄、咳やクシャミは多いし。ハ長調の3番は予想できた明快さ。私が最も普段聴かない、地味な5番のハ短調をどう演奏するのか、が気になる。余の所持するマ君のCDは彼が確か三十代後半だかのものでマ君もすでに50歳でさすがに5番は地味に、地味に。休憩はさんで最終楽章の6番ニ長調。もう21世紀のこの曲はマ君のこの解釈をバッハが聴いたら自分の曲とは想像できぬかも。技巧冴え渡りすぎ。Gavotteの二曲を高らかに奏で最終曲のGigueはどうして第一弦を開放でずっと鳴らしながら高音で旋律を弾けるのだろう。誰のGigueでもここまで「技巧的に」優れたものは聴いたことがない(但し、それが楽曲として最高かどうかはここでは論じない)。好き嫌いは別にして凄いものを観てしまった……と思っているうちにフィナーレ。アンコールでは名前は知らぬ中世のリュートの曲だろうか、宗教曲を高音で実に柔らかく奏で、アンコール二曲目は草原情歌?だろうをかなりアレンジして、もはやオリジナルの中国民歌のように聴かせる。終わる。やはりビルスマやフルニエのような「洗礼を受けたような」感動とも違う。技巧もマイスキーのような拍手喝采の巧みさとも違う。悪くいえばShowbiz的である。が卓越している、まだまだ若いエネルギー。たった一晩の香港公演。Z嬢は「レコかしら?」と。レコーディングぢゃない、こっちの「レコ」である。確かに、そんな感じもあり。会場にいらしたA氏とZ嬢と三人でフェリーで湾仔。十時すぎでいくつかの日本料理屋もすでに厨房終わっているようで利休に電話で「どうにか」とお願いしタクシーで急行。いくつか肴いただき、うどんで〆る。
▼フランスでの暴動について「民族含む共和制の「危機」にシンガポールや中国など「それ見たことか」と言いそう」と昨日日剰に書いたが今日のIHT紙のPage TwoにRoger Cohen氏が“Why Singapore hums as riots engulf France”という一文を寄せる。シンガポールのRace-bllind Meritocracy(人種差別なしの能力主義)はヒンズー系の貧困家庭に育った少年がシンガポールの米国大使にまで出世できる実力主義。実際にシンガポールの華僑が幅をきかせながらもイスラム信者も多い社会の安定は確かにフランスの多元化社会の今回の爆発は「それ見たことか」であろう。だが現実になぜシンガポールが社会の安定化に成功したか、と言えば余の私見であるが理由は二つあり。一つは社会に共存する他民族にとって言わば共通の杞憂があること。それは強権的なる政府。強権的なる政府が君臨し国家経営することで民族を問わず配下におかれることでの杞憂の共有。そしてもう一つは言語。フランスのフランス語に対してシンガポールは全ての民族が「英語」という媒介語を通して意思の疎通はかること。これも強権なる政府と同じで全ての民族にフェアであること。この二つがシンガポールを(あまり評価したくないが)race-blindな社会にしている、と思える。
▼SCMP紙に八日より香港市民にHK$50引きで入場券発売の香港鼠楽園の記事あり。場内閑散とは聞き及んでいたが写真で初めて、その閑散ぶりを目にする。「これはまずい」といふほど惨憺たるもの。スペースマウンテンは15分待ちで乗船可。割引入場券も香港市民限定とはしているものの窓口を変えれば(而も入場券購入に長蛇の列もなし)何枚でも購入可で入場口でもいちいちHKIDなど確認もせず、つまりは香港市民1人いれば何枚か観光客の入場券割引で購入できるのが実態。
▼中共胡錦涛君の英国訪問。中国の元首として国賓待遇でエリザベス二世女王と馬車に乗る。ソフトな印象ではあるが中国の共産党指導者と英国女王というのがイメージでとてもしっくりしない。王政打倒!と叫んでこそ共産主義者。