富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-11-05

十一月五日(土)晴。疲労困憊なのに朝いつも通り六時すぎには起床。MTR乗り継ぎ黄大仙。快晴の空に黄大仙の祠社、巨大な壁の如き公共団地、その向こうに獅子山を望み「これぞ九龍」という光景。午前八時。いつものトレイルの面子は今日はI君と我のみ。I君といえば彼の奥さんであるE嬢(Madam de Jordanと呼ばれてもおりとヨルダンの金持ちの奥さんのようだが「尖沙咀の次の佐敦」がJordanである、念のため)の岡山在住のご母堂がこのサイトご覧になっておりI君の休日及び平日晩の「飲み」といっても我が一緒なのは彼の「飲み」の本当にごく一部だがそれを岡山でご存知だとE嬢から先日Bierfestで聞かされる。でI君と我の二人では何ともオヤジ臭いが今日は旧知のS嬢誘い参加してくれて三人。ミニバスで慈雲山邨まで坂を上がり沙田拗道をいいペースで早歩きで登り一気に獅子山。Beacon Hillの天文台横ではすでに来週金曜日からのTrailwalkerの準備が始まりテント設営や飲料水の運び込み。昨年三度目の完走果たした100kmであるが一週間も前からこうして準備する人がいること実感。大埔道まで下り野猿多き金山自然公園に入る。いつも通り過ぎてしまうがこの周辺は日本軍の侵略での激戦地で英国軍のトーチカ(地下壕)縦横に走る。I君がE嬢と来たことがある、と暗い地下壕の中を案内してくれる。Regent StreetだのCharing Crossと倫敦の名が地下壕結ぶ地下通路には刻まれStrand Place Hotelもあり。予想以上に壊れても汚れてもおらずまるで軍隊が去ったばかりのよう。これが六十年余年も前の銃弾痕も生々しき激戦の跡地。この山を日本軍に越えられると眼下の九龍は英国領。租借地新界は捨ててもここが英国軍にとって香港防御の生命線。飛鵝山から大老山、獅子山……と急峰の続く新界と九龍を分ける稜線でこの金山が最も海抜も低く、なだらか。当然、新界に進軍した日本軍はここを抜けようと挑む。それを迎え撃つための前線の地下壕。だが若林といふ将校の軍隊がたやすく此処を占拠。刻石の文字。「香港はさすがに英国の植民地だけあって郊外のハイキングコースがよく整備されている」は香港で山歩きする日本人の定説だが実際には我々が山歩きする道のかなりが戦争中の野戦での進軍路。それが戦後、ハイキングやトレイルのコースと化したのが事実。昼に城門ダムに下る。これから針山、草山と進む予定だが「なんか気分的に今日のコースは終わってしまい」ちょうど飲み物売るバイクのおじさんがいて自然と缶ビールに手が出て城門ダムからミニバスでTsuen Wanに戻る。佐敦で用事済ませ尖沙咀の知る風呂屋で按摩。夕方帰宅して急ぎ着替えて銅鑼湾のRosedale HotelにA氏と客人を迎え晩に湾仔Century Hotel地下の上海料理屋・老上海飯店。黒服の給仕長が、この店がまだ「老正興飯店」で銅鑼湾三越の裏にあった頃からA氏は顔なじみで当時、自分はまだ店に入り立ての十四、五歳のボーイであった、と三十年前の昔話。大閘蟹が季節。旧暦も十月に入り雄が見事。美味い紹興酒とともに堪能。酔蟹も食し極楽。小籠包まで美味しくいただく。客人をホテルに送り銅鑼湾のバーに後ろ髪ひかれつつも明日に具え帰宅。

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