富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月十九日(火)午前二時頃に雷鳴轟き大雨。二時間の間に数千回の落雷とか。台湾から福建に抜けた大型台風の影響もあり酷暑。香港天文台は最高気温摂氏35.4度と告げる百二十年来の観測史上七位の高温だそうだが尖沙咀の丘上の涼しげな百葉箱での気温がそれで実際には空港や沙田など三十九度記録。実際に銅鑼湾の繁華街を午後二時頃歩いたが暖炉にあたるが如き熱風の最中。炎天下の画像残したいが最近デジカメ写真の日剰への掲載ないのはContaxのデジカメ故障で修理依頼中ゆへのこと。ふと「画家になる決意」して(笑)湾仔の画材屋・藝林にて携帯用の水彩画セット購入。いつものことだが先ず物から入る。本当はホルベイン社の旅行用水彩画材セット(これ)欲しいのだがDaler-Rowney社のAquafineのを購入。いつ絵など描くことがあらうか。早晩にジムで一時間の筋力鍛錬。黄昏も気温下がらず熱風の中、酒場オールドチャイナハンドに避暑。カルスバーグ麦酒1パイント飲み帰宅。焼鯖など食す。晩も気温は摂氏33度。古へならば連日のこの天気に人は祟り怖れ神仏に祈り加持祈祷、戦への派兵も止すなど畏怖の念なり理性ありしものの現代の我々の如き野蛮人は冷房強くするばかりで戦も止す知性もないか。知人が図書館から借りた本を興味あるでせふと見せられる。著者は魯金の『香江旧舊語』なる本。香港の古い言葉の謂われなど紹介。余も好んで食す粥のなかの「及第粥」は余は勝手に味が及第であるから及第粥と思つていたが、これは科挙に纏る話で科挙に合格してほしいと父母が息子に精をつけよと食べさせた粥が謂われで、この粥を食すと科挙にも合格する、で及第粥。香港に多い「大良」の冠の甜品屋の「大良」は「鳳城」と並び広東は順徳のことだが「大良」といふ地名はなく本来はこれは「太艮」といふ地名がいつの間にか「ヽ」がズレたとは。美味いものなので「大良」で良し、といふこと。揚州炒飯も数年前に揚州が地名を登録商業とするのしないのと話題となつたが揚州にもともと揚州炒飯はなく、これは広東料理。実際に香港では順徳の出である鳳城酒家の揚州炒飯が馳名。この「揚州」は炒飯の具である蝦と叉焼のこと。また「京都排骨」も京都は地名にあらず肉の焼汁のこと。だが残念ながら魯金氏はではなぜ「蝦と叉焼」が「揚州」で、京都が肉汁なのか、には言及しておらず。例えば嘘でも蝦仁叉焼のうち「仁」と「焼」が転じて揚州でそれが符丁に、とか納得なのだが。←これは咄嗟に思いついたがちょっと信憑性もありかも。で広東語の「打冷」もなぜ潮州の小料理屋が「打冷」なのかずつと疑問だつたが「冷」は潮州語で潮州人が「人」のことを「冷」と発音するので広東語では「冷」は潮州陣を意味して「打冷」が「潮州料理を食う」だそうな(「打」は「打つ」でなく「する」の意、日本語の「耳打ち」とか)。
▼水戸を離れて東へ三里、波の花散る大洗……と有名な「磯節」に歌われます、この大洗海岸は南は鹿島灘から続く海岸線に……とバスガイドは遠足の小学生相手に通り一遍の観光案内を続け小学生の心はガイドの歌う「磯節」なんてどうでもよくて心は一刻も早く大きな水族館アクアワールドへ。といふわけで大洗。「やはり」と余の危惧が的中。「つくる会」の歴史教科書が大田原なる栃木の田舎で採択され栃木茨城の「未開ぶり」を先日論つたが「つくる会の教科書を採択しておらぬ茨城」には失礼と思つていたが「やはり」栃木の次は茨城。的中。さすが未開。茨城県大洗町が地域近隣での教科書選定に反して大洗町教育委員会が「つくる会」教科書採択を議決。さすが。大洗なる「単なる」常陸の海岸町、だがそれにとどまらず。まず、いきなりだが五・一五事件血盟団である。怪僧・井上日召が当時、加持祈祷していた立正護国堂が大洗にあり。今も常陽明治記念館なんて幕末から明治のまさに大日本帝国の雄英を物語る愛国的な歴史博物館まであるのが大洗。愛国的な風土は動燃の核施設が大洗にあることからも明らか。しかも大洗は「栃木県民の海辺」なのだ(こちら)。大洗町の南隣りの旭村には(ほとんど広域には大洗だが)数億円かけた広大な「とちぎ海浜然の家」まである。今でこそ東関東自動車道が整備され「海水浴渋滞」は解消されたが、かつては栃木県から海水浴の自動車が渋滞は大洗から西へ三里、水戸まで及んだほど。栃木ナンバーの自動車が続く様は茨城の夏の風物詩。ところでこの東関東自動車道は常磐高速から大洗を経て「ひたちなか」で東海村に至る。言わずもがなの原発自動車道。核燃料など運ぶためとか、不要な高速道だが原発受け入れの地元への利益還元とか言われるが栃木県民が大洗に海水浴に行くことにかなり便利。といふわけで栃木の大田原に続いての茨城県大洗町の快挙。見事。
▼磯節の関連サイトを見ていて現在よく聴かれる節回しは那珂湊の尺八家・谷井法童によるもので、水戸の金太の妹・秋子から習ったものといふ記述あり。ここにも水戸二上りの金太姐さんにまつわる話。……と回顧しても戦前の水戸のとびっきりの芸者であつた金太姐さんのことなどgoogleで見てもこの磯節のサイトと余の昨年四月六日だかの記述しかヒットせず。
仙台市長選挙について中道から左派の候補共倒れと書いたら仙台出身のH君よりオンブズマン小野寺君、元民主党鎌田嬢と共産党伊藤君ばかりか県議から立候補の菅間進君は県知事浅野君が背景にあり。この四候補が、小野寺と伊藤で支持基盤食い合い、小野寺と菅間は主張が極めて類似、菅間と鎌田とも民主党支持層が票田、その票田に期待かける小野寺、と恐ろしいほどの「共食い」は間違いなく自公で梅原君の当選だろうが得票は三分の一程度か。その程度の支持で首長。とんだ選挙違反疑獄で仙台市に落下傘の鎌田嬢はともかく市民運動派で小野寺君と共産党、或いは浅野県知事と中道左派の手打ちで小野寺君か菅間といふ一本化の余地あつたはず。まさに自公が漁夫の利。それにしても不甲斐ないのは民主党政令指定都市市長選挙で態度保留。党内には鎌田、菅間、小野寺の支持者が混在し当然のように保守派は梅原支持で意志の一致できぬ、まさに民主党「らしさ」がこの仙台市長選挙に顕著。これじゃ政権獲得などできるはずもなし。
▼数日前に中国国内でのインフルエンザ研究に圧力ありと香港大学の研究者が公開と書いたが本日の蘋果日報一面トップの続報によれば具体的にこの香港大学微生物学系の菅軼助教授が汕頭大学(李嘉誠君が全面的に資金提供し設立)の流感研究センター(香港大学との協同運営)の研究主任をしており中国国内での流感研究をしていたが政府の農業部の官員が同センター訪れ病原サンプルの廃棄あるいは提出を求め同センターは活動停止処分(18日のウォールストリートジャーナルの報道)。一学者による研究及び研究成果の発表について政府当局はかなり敏感。国立大学の公的な研究機関の研究であれば公開に何も問題ないと思うが中国の場合これも国家機密。恐ろし哉。
▼湾仔のグランドハイアットホテル横の公園地下に駐車場あり。それが一昨年だか突然、中古自動車販売展示場と化す。駐車場不足の香港で呆れた話。だが、ここの地権者は財閥・新世界発展。政府は新世界発展に対して土地用途が駐車場となつており商業活動認められぬとしたが(03年初)新世界が土地計画委員会に対して土地用途変更を申請し運輸署はそれに反対(03年6月)。だが当時政務官であつた自称政治家サー・ドナルドがある「社交活動中に某市民から意見があつた」として所轄部署に対してこの土地の使途の検討命じる(同年9月)。その結果1ヶ月後に運輸署もこの土地を商業地とする変更に同意。で「偶然に」翌04年5月に自称政治家サー・ドナルドの実弟である元警察署署長の曽蔭培君が新世界発展の傘下にあるデベロッパー新創建集団に天下り。見事によく出来た話。サー・ドナルドの如き小役人が権力握ると思考回路がどうなるか、の明白地なる事例。

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