富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月三十一日(金)朝に真言宗豊山派神崎寺に墓掃。Z嬢を母と鉄道駅に迎え父も一緒に木挽庵なる手打ち蕎麦特集雑誌でも取り上げられる蕎麦屋。せいろとかけ。百合根の天ぷらも美味。酒は真壁の純米酒来福。一日おいてまた雪の予報が昼前から大雨。午後いわゆるバイパス沿いのショッピングモールにて書籍雑貨など眺める。眺めるだけで何も買わず。晩に大晦日の花火も雨で中止とか。築地からマグロ仲買するB氏より父が頂いた見事な刺身。テレビ眺めており唯一笑ったのは長井某といふ話芸の「NHKは紅が勝ったの白が勝ったのと言ってる場合じゃない。白か黒かはっきりしろ。マツケンサンバで誤魔化すな、紅白の最後で海老沢が『笑って許して』でも歌ったら笑ってやろう」とのコメント。紅白といへば公金着服のプロデューサーI君が余の実家のじつに近隣の者であること母から聞く。昨年は日経の鶴田もNHKの海老沢も同郷と知り驚いたがI君まで同郷とは。結局は自民党のマスコミ支配の原点・橋本登美三郎に可愛がられた海老沢がNHKにて頭角露すなかでNHK内部で海老沢が同郷で早稲田出の者から子飼い育てた結果の一人がI氏と母から聞く。幼き頃から見ていて恥ずかしく紅白直視できず酒飲みながら若い頃に柔道よくした老父が見ていたK-1でキックボクシング魔裟斗vs総合格闘技山本キッドなる選手の試合のみ見る。感涙に咽ぶほど実に見事な試合ぶり。年の瀬といわれても昔の活気ある暮の風情もなく寂しく静まりかえった故郷にてテレビで年末番組見たところでどうも大晦日だ新年だと言われてもすっかり農歴に馴染んでしまひこの太陽暦の十二月三十一日に新年といふ気分もなし。ただNHKの行く年来る年見て山中の雪深き神社仏閣に初詣に参る人々の姿眺めながら実家にあった昭和三十七年の十一代目團十郎の襲名披露公演の歌舞伎座の筋書きを読む。題字は当時通産大臣佐藤栄作。各界からの祝辞でも佐藤栄作は臆面もなく「いつからか“政界の團十郎”という光栄ある呼名を頂戴している私として、本物の團十郎の誕生に、まずもつておめでとうと申上げたい」と横柄。この筋書き、書き手には安藤鶴夫戸板康二三宅周太郎郡司正勝と並び成田屋家系図も実に詳細にわたり現在の筋書と比べ実に購読する価値あり。白眉は俳優随筆で壽海、左團次梅幸と十七名もの役者の随筆が並ぶのだが、そのなかでも「鳥辺山」にて團十郎の半九郎でお染演じる中村歌右衛門の文章が実に歌右衛門らしさ。この役は先代左團次の半九郎で故・松蔦(若松屋)初演以来ずっと演じた役と紹介し歌右衛門も衣装など工夫してみたがやっぱり具体悪いので若松屋工夫の衣装に戻ったと歌右衛門。お染についての説明が実に見事で「この役は遊女でも、まだ里慣れぬ上、男は半九郎以外には知らぬという役で、殆ど素人娘の初心を失つておりません。と云って、遊女は遊女なのですから、半遊女、半娘と云うところに難しさがあるのでして、又そこに仕甲斐もあるというわけなのでしょう。それに、チョボが入つて、古い歌舞伎仕立てに出来ている芝居ですけれど、形式は古くても内容や感じには大正時代の近代性があるのですから、形式の古さにとらわれて、その近代味を逃さないようにという点にも苦心がいる役と存じます。」と述べ、最後に「今度はこうした役の骨法を今日では一番よく御存じの成田屋さんの半九郎のお相手でございますから、私も大層勉強になることと楽しみにしております。」と成田屋たてる。