富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月三十日(木)快晴。朝目覚めぼんやりと朝のワイドショウ見ることから一日始まり毎朝これ反復すことで脳軟化症間違いなし。津波被害に対して米国の支援始まる報道に「テロと戦うブッシュ大統領は今回の被害がイスラム諸国に多いことについて『わたしの想像を越える惨事だ」と述べ米国としての緊急支援を……」と全く意味不明。ブッシュの形容に「テロと戦う」は揶揄なら大したものだが、あるいは賛辞か、最も危険なのは皮肉でも賛辞でもなく常識としての「ブッシュ=テロと戦う指導者」といふ感覚。おそらく、これ。でブッシュの想像越える惨事というのは、たんに災害の甚大さの発言なのだが「今回の被害がイスラム諸国に多い」という前段があるとまるでイスラム諸国だから天罰受けても当然だが今回の惨事はあまりにも、といふ程の解釈すら可。全く思慮欠いた言葉が垂れ流され続ける。お笑いか。それをぼんやりと見続けることでの不感症。怖。筑波。両親と松乃家といふ鰻屋に行くがすでに年末休で「かねき」なる廻転寿司。廻転だが目の前で握られた寿司はネタもよし。本マグロと小鰭はとくに良し。昼ぎりぎりで席ありすぐに行列。午後母方の叔母の家。孫二人と戯れる。見事な夕焼けを背に久慈川を渡り今年一月に亡くなった叔母の墓参。従弟T君夫妻と従妹A嬢山間の大叔父の家に向かう頃には日も沈み寒さ厳し。大叔父風呂上がり美味そうに日本酒お燗であっといふ間に二合徳利で二本。車の運転もなかれば一晩付き合いたき八旬も半ばの大叔父夫婦の話興味尽きず。大叔父の手許には戦争時にミャンマー戦線の記録集あり。一読せば当時の兵隊らの記録は「つくる会」的な虚構の歴史賛美に非ず唯々史実の精緻な記録であり後書きに「戦争を知らぬ世代が多数を占めるようになる」時代にあって当時の戦争の「悲惨さと野蛮さ」を正確に歴史に残すことが戦争に関った自分たちに残された使命、とあり。これが今どきの安部、石破らには理解できぬ史実。同じく八旬の大叔母は最近の若者が働かぬ世の中嘆き今の日本は実際の厳しさなどわかっておらず政府が改革だのと言っても上辺だけで「小泉首相じゃ何もできない」と断言。人口わずか一万にも満たぬ山村でずっと生きてきたこの老叔母の健啖。家は昔から暖房など置かず茶の間の温い火燵のみ。火燵囲み話す息も白し。外気はすでに氷点下と思えば室内も五度かせいぜい八度。なぜ暖房要らぬのかわからぬがロラン=バルト的には
日本の伝統的な家屋は暖房を規制する。暖房の技術がないのではない。襖という常にいつ開けられるかわからないパテーション一枚で隔てられた個の空間それぞれの部屋に暖房がないことで家屋に住まう人々、それを家族と呼ぶ、が必然的に家屋で唯一、暖のとれるこの居間に現れ火燵という、火をいれ布団をかぶせた小さな卓に足を入れる。そこには小さな卓を囲み家族が面と向かう<交通>の空間が出現する。
とでも言えばいいのか。大叔父の家を辞し晩に常陸太田の今でもまだ僅かに古い城下町の町並みの面影ある市街を車で抜け帰宅。鰻の白焼きと白葡萄酒。二更に昨晩に続きスーパー銭湯に浴す。
津波被害で独逸人やスウェーデンなど北欧の被害者多し。東南アジアのリゾートで何故彼らの被害が日本人よりずっと多いかといえば何よりも彼らのリゾート生活が海辺の粗野なるコテージ、バンガローなど好むゆへ。被害甚大のクラビ島など数年前に余が夜に月夜愛で砂浜散歩すれば海岸に面して灯りすら余りつけぬ当然、冷房設備もお湯もでぬリゾート施設あり、よく見ればSwedish何某と施設の名。なるほどこの人たちのリゾートでの徹底した生活に感心したが、このような被害あれば津波に呑まれるも易し。もう一つ思い出すはマレー半島でシャム湾に浮かぶシブ島なる小島。この島に唯一の宿泊施設あり苫屋の如きバンガロー浜辺の椰子の木立に点在するがドイツ人の家族ボートでマレー半島より島に到着せば宛が割れたバンガローに満足せず一戸一戸空いているバンガロー確かめ始め余は椰子の木陰に微睡むこと二時間。漸くバンガロー点検済み漸くどれ選択するか決定するかと思えばリゾートのテラスにて家族会議始まりどのバンガローにするかの会議。スタッフもうんざり。さすが独逸人ともなれば当然十日ほど滞在するのだろうし念の入れよう違うと感心しておれば二日後に彼ら島離れわずか三日のために半日かけてバンガロー選び。
紀宮婚約。相手の黒田なる男性婚約の日に髪に寝癖あり。この人の学習院のご学友がその寝癖に言及し「そういうことを気にしないところが彼の彼らしいところ」と語るがそのご学友も学友紀宮と婚約の晴れの日にテレビに映るにはご学友本人も髪がかなり乱れ学習院のよき校風?見た思い。この婚約といへば気になったのは宮内庁長官浅利君の記者会見にて「清子内親王には……され」「天皇陛下には(この結婚をご認可だか)なされました」といった表現。この場合内親王も陛下も主語であり「におかれましては」のはず。この「には」は「におかれましては」の略なのだろうか。「には」の常識的な用法は紀宮自身が記者会見で「天皇陛下には(この婚約のご認証だかを)いただき」の受給表現での「〜から」と同じ意味での「に」に「は」がついた形でこれは正しいもの。「におかれましては」の意味での「には」はどうもしっくりとせず。紀宮の記者会見でひとつ気になったのは確かに今回の婚約が秋篠宮がいかに重要な位置にあったかは事実だが紀宮の会見で何度も秋篠宮夫妻に感謝の意を述べ最後まで皇太子夫妻には一言もなし。実際にこの婚約に浩宮が具体的な役割はなかろうが「日本人の美徳として」(笑)兄二人あれば嘘でも兄宮にも親族の一員として感謝の意を表するべき。先日の秋篠宮の兄宮に向けての発言といい不可思議。皇太子で今でもよく覚えるは懇意にした外務省職員の数人が「浩宮様ほど随行の者にまで様々気を遣う人も珍しい」といふ感想でお付きの者に「どうぞそちらにお坐りください」「お疲れ様です」と労ひ受けその誰もが浩宮絶讃。
▼昨日旅行者用小切手両替に東京三菱銀行。まずAmexのT/Cが真物かどうか銀行側の資料ファイルの見本コピーとの見比べに始まりじっくりと待つこと幸いに他客おらず八分。暇な待ち時間に海外送金の用紙見ておれば送金先銀行名の記載欄に英文と並んでカタカナ書き欄あり。銀行名がアラビア語ならカナ書きの必要性もわかるが英語。電信送金でカナ書きの必要もなく英語読めぬ場合の読み仮名以外の何ものでもなし。だがその相手先銀行名すら入力するだけで読む機会もなし。意味不明。

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