富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月十日(金)晴。早晩に香港大学博物館にて現代日本建築1985-1996といふ写真展開催の開幕あり訪れる。K総領事、香港日本文化協会会長C氏と日本人倶楽部から副理事長で日本航空のA支店長ら来賓。この展覧、国際交流基金によるもので85年から96年といふのが何か一瞬わからぬが結局、当時日本がバブルで東京中心に日本各地に様々な(ちぐはぐな)建物が構築される。ポストモダン?では東京都庁であり奇天烈さではアサヒビール本社、贅沢な資金ではNEC本社など。バブルぢたいは八十年代末に終わるのだがその時に構想練られた建物の建築終わる意味では96年は象徴的。それを国際交流基金が「今は昔」的にこうして海外で展示することも興味深し。開幕にご一緒したA氏とFCCに寄りビール飲みA氏去られたあとまだ時間あり独り地下のバーでドライマティーニ香港大学博物館の総監Y氏夫妻の招きにあずかり新世界大廈にある料理屋・翠亨邨。同博物館の館長A君と彼らとともに先日日本に一緒したE姐とZ嬢で会食。政府の文化政策だの西九龍開発計画などにつきいくつか興味深き話あり。文藝春秋新年号グラビアで太田和彦氏の居酒屋モノで仙台は文化横丁の「源氏」紹介。廿年近く前に何度も訪れた店で「まだあったのか」と感慨深し。神田の「みますや」もあり。別な記事で日本橋の天婦羅「はやし」。日本への郷愁募る。同誌では天皇について久世光彦、薗部英一(共同通信京都支局長)、御厨貴(東大教授)が鼎談。先の園遊会での米長発言は不規則と片付けられ天皇の頭のよさ昨年の百済発言を含めひとしきり語る。最終的にお世継ぎの先が見えぬのは心労でしょう、で終わり。それだけ。
国家公安委員長も務めし元衆議院議員白川勝彦君渋谷の路上で警視庁渋谷署員に職務質問を受ける。築地のH君より。日刊スポーツの記事(こちら)。十一月十一日の午前。銀行に向かい渋谷道玄坂歩いていた白川氏若手警察官四人に囲まれズボンのポケットの上などを次々触られ「ズボンのポケットの中を見せなさい。財布を見せなさい」と高圧的に言われ白川君「何でポケットのものや財布を見せねばならないのだ」と拒否したが警官は取り囲んだまま「怪しいものを持っていないのなら見せなさい」と迫る。白川君自らが弁護士であることを告げ「警察官職務執行法では身体検査的に私の体を触ることは許されていない」と主張するが警察官側は「許されている」として数十分間押し問答が続けられた末に白川君渋谷署長に抗議するため警察官とともにタクシーで同署に移動。国家公安委員長務めた経歴明かにしても中堅幹部白川氏と気付かず渋谷署副署長が初めて「白川先生」と気付く。湾岸署のネタに使えそうな椿事。だがこの警察国家ぶり恐ろしきかぎり。本来なら署長大慌てで桜田門に向かい警視総監まで含め善後策対応で政府与党に平謝りだろうが白川氏かつて自民党のリベラル派で(こちら)(自民党ハト派といふものありけり)01年に離党し衆議院選挙(比例区)で47万票得ても落選。代議士落選すればただの人でしかも自民党離党したリベラル派など、かつて国家公安委員長であったとしても警察も「今さら」なのか渋谷署では「職務質問したのは事実。具体的な内容をあれこれ言うつもりはないが、適法かつ妥当な職務質問だったと思っている」とコメント。どうせなら若手警官が亀井静香ちゃんを組関係者かと思い赤坂の繁華街で職務質問でもしてくれればかなり面白いのだが。ちなみに香港では警察が市民に香港IDの見せるよう求め身元確認するにしても、相手の同意を求めIDの提示をさせ、相手の同意を求め財布など所持品の検査も可。ID携帯は義務づけられており提示拒否はできぬが所持品の提示拒否は可。勿論、拒否することでさらに怪しまれ警察署まで同行といった尾ひれもつこうが法律上は拒否は可。警察は確か30cmだか至近距離でも相手との距離から対応の仕方まできちんと内規がある筈で逃げようとでもせぬ者に勝手に触るなど言語道断。文明化。それに比べこの渋谷の警官のお粗末ぶり。お粗末な者が権力、武力握ることの怖さ。警察も強くていいのだが白川氏の言う通り理知的であり市民に信頼されてこそ。H君曰く渋谷署も元国家公安委員長である弁護士相手にこれを「適法な捜査」と強弁とは小泉並みの遵法精神と(嗤)。国全体の法秩序崩壊か。

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