富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月十九日(日)曇り天気でも予報は雷雨。トレイル練習は昨日O君に恐らく参加できぬと伝えてはおいたが天候不順と参加者稀少で中止。北京在住の畏友O氏より余のサイトに北京からアクセスできぬこと知らせる。ネット状況に詳しい彼の話では当局がいくつかのサイトへのアクセスを遮断しているようで、といっても富柏村の如き極小サイトが当局の監視に遇う栄誉に非ずInfoseek、Geocitiesなどの無料で作れる個人サイトはほとんどがアウトだそうな。特にアダルトコンテンツを置く事に制限が無いところは全てアウトとか。余の推測ではH画像に寛容→HP内容に無頓着→政治的サイトの運営も可といふことで、だろう。政治的管理の代償として経済優先の次に性欲の緩和?或は暗黙の了解はシンガポール広東省など見ていればわかる通り。売買春が盛んになっても反政府運動にはつながらず寧ろそれを黙認してくれる政府はありがたきもの。ちなみに余のサイトはこういうこともあろうかと(笑)「はてな日記」でなら中国国内での閲覧も可(こちら)。昨日片付けた書斎は狭くも快適にて天気悪く昼前には雷鳴轟き書斎にて引き籠もりモード。この雷、江沢民の怒濤の怒りかw。午後テレビで中継見ながら競馬娯しむ。本日は日本中央競馬会錦標、といっても日本馬が来港のわけでもなし。天気不良で荒れると察しR1(Class-5芝1400m)から34倍のFree Wayに期待したのは騎手が鄭雨真で雨天の開催日には実際にアナで来るからなのだが見事にどん尻で荒れたのは事実で27倍でSize厩舎のElvisが入る。この馬のratingは毫か27、Class-5の最低ratingが0から20となり27はもはや最下位に近く夏にSize厩舎に移籍したものの今月五日の開幕日は1400mで10着、十五日にはハッピーバレーで十一着と全くパッとせず、だが騎手が魯柏軒君で七磅のハンディキャップあり一着。Size調教師は香港で二百勝達成は4季目で実際には91年の確か十月下旬だかの開厩であるから僅か三年での記録。続く2レースも勝ちに絡みR4(Class-4芝1000m)は一番人気はSize厩でDye騎乗のFashion Jewelleryが3.5倍だか、これに調教の時計48.5秒だけ頼みに複び鄭雨真に賭け43倍のRare Collectionと連複一点買いしたらこのRCがFJに競り勝って配当HK$1091.50と百倍越す快勝。勝ちは続けとR5でもWhyteと鄭雨真君で23倍の連複的中。日本中央競馬会がスポンサー日ながらフジキセキ父とするフジサンライズ(七戦未勝)がR6(Class-4芝1600m)で不名誉などん尻。R9の日本中央競馬会錦標(Class-2芝1400m)は馬主W氏のSaint Thomas(父Danehill)が2.5倍の一番人気、馬主C氏のDashing Winnerも調教の時計良く期待するがSize厩舎のWinning Dragonが今年一月のレースからの長い休養で満を持しての登場であっさりと一着。STが四着でDWは着外。雨あがりすっかり晴れる。気分良く歯科治療のあとも切開の痛みも消え気のせいか手足の寒さや倦怠感もあまり感じず(競馬での大勝ちの所為も多分にあろうが)早晩にマンションの裏手を早足で歩きジムで軽く運動。雲なき空に三日月。帰宅して新華社サイト見ると江沢民君正式に軍委主席辞任しCoquinteau君が接受と報道あり(こちら)。中上健次の『紀州』途中になっていたもの読了。一九七七〜七八年に当時の朝日ジャーナル誌に連載されたもので余は『面白半分』だの『ビックリハウス』に傾倒していた時期で「朝ジャ」読んでおらず。中上健次紀州、そして差別の問題。中上健次の一連の路地を舞台にした作品は差別は重要な背景だが、被差別の中にある同志愛=エロスが際だつ。連載の編集者であった千本健一郎によるあとがきに中上健次が没くなったあとの健次の母の言葉がある。まるで、といふかオリュウノオバの語りそのもの。
健次は、だいぶ以前から目が見えなくなっとった。死ぬ前の日の夕方やった。あの子をさすってやろうとするとな、こうして手をおさえて、いかん、わしがなでたる、ゆうて顔から手から背中から、さすってくれるんや。かわいい、かわいい、ゆうてな。手を吸ってくれたりしたんや。そんなこと、いっぺんもなかたのにな。
目の見えなくなった健次はねずみ浄土へでも行っていたかも知れず。ころがるおむすびを追って地底に迷い込んだ若衆はネズミたちのキンジニヤニヤ猫の声すればよぉ、ここは袋の御用ねずみよぉとかけ声で餅をつくネズミ。
▼香港大の民意調査中心によると立法会選挙で余&何から民主党(楊森&マーチン李)に流れた票は民主党の獲得した十三萬票の約五分の一、2萬6千票で、結果論だが民主党の投票日直前の急告なくとも民主党は2名の当選が可能だったわけで余&何も当選で香港島で民主派が6議席中4席獲得と報告。
▼陶傑氏が蘋果日報の日曜日掲載の社説がわりの論壇で「議事堂変身草莽論政茶餐庁」。梁國雄君の立法会当選はBBCやCNNで世界中に流れ、立法会はかつての「総督閣下諮問の行政立法両局」が御用弁護士、財界や医者といった各界の上流紳士の集いにてメンバーの大半が馬主、これに加わる華人の背景見れば「優生学的」に理解できるが、それが97年の返還後の「董人治港」(自治の「港人治港」の捩り)でかつての立法局がマンダリンオリエンタルホテルならば、今の草寇化、コミック化、嬉戯化された立法会はそこらの新?記茶餐庁であると揶揄。だがこれはけして悪いことに非ず、中国の胡錦涛&温家寶の新体制からすれば盲流、老工、貧農といった弱勢族群に配慮の「以民為本」に合致するものと陶傑氏。梁國雄君がなぜ当選したのかなど、この董建華の七年見れば、行政長官の独善ぶり、行政長官輔佐すべき政務司長は英国統治時代の名残りで無能、最高裁の判決は全人代に覆され、政府官僚はただの遣いの小僧となり、李柱銘が漢奸扱いされ、民建連は単なる親中御用政党、大学の学長は権力の附傭と身を落とし、行政長官の顧問が飛び回り、最後はラジオの名調子と民主党の「買春」候補者が中国に抹消される始末。「東方の真珠」と謳われた香港が今では香港の人に権威もなく、ここまで落入れば「長毛」梁國雄の当然も必然的、と。ところでやはら持ち上げられる民主派とは何か?と陶傑氏。民主党の党首楊森氏は選挙終わって一夜にして江沢民化し(言い得て見事)民主派と一括りにするが極左の梁國雄から極右は弁護士の梁家傑まで聚ひ、ラジオでの政治論評の鄭経翰のように財界とも話通じる「大班」当選では民主党の地位も萎縮も当然。民主党は本来、民主派の旗艦政党のはずがこの二十年、書生論のまま。かつての中国共産党が党創設の時代、本来は李大?や陳独秀といった理論派の知識分子により結党され瞿秋白や王明といった輩が書生抗争繰り広げるうちに蒋介石と国民党に追い込まれ清党の危機についに出現したのが毛沢東という湖南の草寇。梁國雄をば毛沢東だとまでは持ち上げぬが民主派弁護士団だの李柱銘や楊森をば書生派とするなら梁國雄の影響力が民主派をば書生らの中央から周辺化せせることもあり。それに加え自由党の田北俊が23条立法に積極的姿勢みせたのにもかかわらず董建華これを抵むも、これが政治藝術に造詣深き中南海からの下令だと思えば香港に惨禍もなし。市民は民主派も民主党以外の個性的な民主派を選び、董建華は民主派が過半数に満たぬのに敢えてそれに協調姿勢見せる。長毛が当選したからといって喜んでなどいられぬ。もはや立法化の混乱を不安に思うばかり、といふのが陶傑氏の感想といったところ。陶傑氏はとても英国的に書生でなき本当の教養ある紳士が全て弁えた上で治世に寄与せば民主主義という名の下での陳腐な混乱もシンガポール的な独裁も要せず、というところか。
▼日本職業野球で選手側がストライキに突入。かつての国鉄ストなど労働ストで「市民は迷惑被り不満」が典型と思えば、市民の支持が選手側に多く集まるといふ労働ストの歴史では画期的なことかも。しかも労使交渉にあって球団側は巨人「軍」とオリック巣除けばセ五球団は選手会の意見に賛成、パも日本ハムが最後まで選手会側と、つまり労使交渉で会社側役員十二名のうち半数が組合側のようなもの。「改革」強行派の巨人=読売といふナベツネ独裁の非常に旧態依然とした独占型資本主義とオリックスといふネオコン的、竹中平蔵的なネオ資本主義が鉄道やハム屋、チューイングガム屋を無理矢理従わせ十九世紀型と廿一世紀型の資本主義で改革といふ。アホか。

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