富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月廿日(月)快晴。早朝に養和病院にて先日の全身検査の結果受領。医は仁術といふが仁といふ字を知らぬかの如き、まるで電脳が話す如く無愛想な医者に「とくに治療要す悪しき箇所もなく強いていへばコルステロール値の少しの高さ」と指摘され食生活改善しもっと運動をと医者勝手に宣ふが食生活など絵に描いた如き老人食にて外食も少なくはないがZ嬢と一皿シェアなどザラで運動もこれ以上したら職業団なり。毎晩の晩酌もなく飲むのもあっさりと一、二杯で泥酔だの宿酔など年に算えるほど。なぜそれでもコルステロール値高いか、もはや平素の修養にて身につけし素養の如きものと理解すべきか。あまりにも事務的に数字だけ見て語るこの医者には理解しきれまひが。晩にジムに寄り帰宅。鮭飯と蜆汁と里芋煮の夕餉で医者に見せたきほど。ここ二週間ほどのこの倦怠感と手足の寒さでつくづく老ひ感じ入るばかりながらふと荷風先生の日剰で余と同じ年のこの九月を読めばあまりの老成ぶりで余はまだまだと痛感。その大正八年の九月に画家平岡権八郎氏のアトリエ訪れる記載あり偶然にも昨晩臥牀燈下に読みし荷風日剰昭和十八年一月に戦火の東都は芝口の金兵衛にて荷風先生その店に居合わせた客より平岡の病没を知る。大正の四、五年には侶に清元の稽古に通ふほどの懇意ながら荷風先生敢えて淡淡と綴るがさらに寂寥の感あり。信報で劉健威氏が香港出身で紐育在住のMuna(曾廣智)なる舞踏家の死を綴る。五十四歳。香港に生れカナダに移民し巴里で藝術学び写真もよく撮り七十年代の紐育にてまだ無名のキースへリングの行動をば写真に納めキースへリングが脚光浴びると同じくMunaも注目され八十年代にはアンディ=ウォーホールなど紐育の藝術界の写真残す。死因はキースへリングやウォーホールと同じ「世紀絶症」。劉健威氏がこのMunaなる余は全く知らぬ芸術家について随筆の最後でセルフポートレートについて述べるのだが最も感傷は世界貿易センターをば背景にした一枚、と書いて「あっ」とその写真が余の記憶の何処かの抽斗から蘇りたり。網上その一枚のポートレイト貪るとやはり余の記憶にあった一葉(こちら)。しかもそれがカナダのアジア系相手の文化誌“Ricepaper”のサイトで、先週だかヘラルドトリビューン紙だかにこの雑誌の紹介あり興味深く思っていた、そのMunaのポートレイトとは。だがこのポートレイト写真を何処で見て鮮烈に印象にあったのか一向に思い出せず。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/