富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月十八日(土)曇。南華早報が一面トップにてJiang quits last post, giving Hu full powerと江沢民君の軍委主席からの辞任が党内で調整がつき明日の四中全会終了で正式に決定。他紙はこの胡錦涛江沢民確執をばかなり報道し続けた紐育タイムズ含めこの予測報じず。一九四九年の建国から初めての平和裡の権力委譲だそうな。登β小平から江沢民への権力委譲は天安門事件での趙紫陽失脚での緊急抜擢で保守派との確執ありけして平和裡とはいへぬか。何れにせよ嗤へるは江君の軍委主席から辞任の最終条件が党内部でのlegitimacyの保証といふのが中国といふ国の而も共産党政府での人事確執の怖ろしさ物語るばかり。Legitimacyの保証なる概念は非常に理解しづらいが党内部で幹部であれ死後に批判されたスターリン国家主席でありながら自己批判の上惨死遂げた劉少奇華国鋒などポスト毛沢東で登β小平への権力委譲に最適なようでいて存在が疎ましければ名誉失墜など易し。江沢民君が最後にこの利益保護をば冀ふことも納得。退くところは退き登β小平の如く無職位にて権力の更に一つ上に、といふ目論み。昨日の歯科治療で今朝は出血止まったが口もロクに開かず疲労感も残り午後まで外出せず、ふと思い立って隘き書斎は荷物多く余計な家具もあり月本さんぢゃないが片付けに勤しむ。十五年前に中文大学で拾った中国製の書棚と九十二年だかにハッピーバレーに引っ越した当時に買ったサイドボードをば手放し書籍も少し処分。どうにか歩けるだけの広さ確保。卓下の電源コードの類も整理。切り取ったままのスクラップだのも整理。午後晴れる。晩にランニングクラブの定例会あるが参加できず定例会に先立ち会場となる北角のホテル屋上のプールサイドにて夕方O君ら幹事と解暑に麦酒一飲。ガラス越しで鮮明でないがビクトリアハーバーにジャンク船走るを眺める(写真)。Z嬢とFCCに待ち合わせ夕餉。ビーフストロガノフなど。夕方の麦酒一杯でもう飲む気もせずラッシ飲む。FCCから歩いて金鐘を抜けHK Academy of Performing Artsに向かふ。HKAPAならいかにも英国倫敦の王立APAの流れ組む名称だが中文名はいきなり香港演芸学院でこれだと吉本の漫才芸人養成所の如し。トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団の公演。場内これでもかといふほどに西洋人と地場のやんややんやの男衆ばかり。老洋男に妾の地場の若衆といふカップル少なからず香港らしさか。バレエぢたいは一応きれいに着飾るが胸毛朦々のプリマドンナが白鳥踊るだけで笑えるのだが個人的にはオカマバレエではトロカデロと双璧のLes Ballets Grandivaのほうが個人的にはバレエ本来の器量として好きかも。急いで歩いた所為か疲労感ひどく観劇の途中に生欠伸絶えず貧血気味。幕間の休憩でZ嬢一人残り先に座を失礼し帰宅。遅晩に驟雨。広東省の日系の会社の工場で(なぜか管理職クラスがCitysuperのT氏など役職者ばかり)田舎出の女工に混じり情報データの入力作業に従事する夢を見る。トロカデロ・デ・モンテカルロのトラウマだろうか(笑)。
▼九一八事変(満州、柳条湖)記念日。中国各地で九一八事変の記念行事。香港での総領事館に抗議団体デモあり。特に今年は日本の国連常任理事国入りについて強烈なる反対。第二次世界大戦の加害国であり大陸侵略への贖罪意識も正当な謝罪も反省もなき日本に常任理事国入りなど認められるかといふ理由と常任理事国は中国がアジアの代表として入っており覇権国としての意地もあり。成都だかで反日運動に参加する市民の前列にまだ十歳ほどの少年の姿あり。笑顔で日の丸焼く姿を見ればピンクフロイド的に悲しい限り。ふと二十年前にその柳条湖をば一人瀋陽よりバスに乗り継ぎ訪れた夏の日のこと髣髴。鄙びた村で住民に柳条湖の場所を聞き道を辿れば玉蜀黍の畑など近き草生い茂る荒れ地の一角に九一八事変追悼の記念碑あり。静かな何の変哲もなき農村のここに走っていたといふ鉄道線路の爆破で、日本の中国侵略の序となる大きな事件が起きたとは想像するも難しい辺鄙なる農村だった記憶。
▼梁國雄君、立法会当選議員の一人として正式に香港政府より十月一日國慶節の記念式典招待受け、これまで会場外にて打倒一党専政叫び機動隊と衝突の彼は抗議デモに参加してから國慶節に参加など思案だそうだが、ただ問題は参加者は「スーツ、軍など制服か中山服など民族服」とドレスコード決まっており梁君はいつものチェ=ゲバラのTシャツでは参加できず。だがそのゲバラが梁君のトレードマーク。たとえばチェ=ゲバラのプリントの背広とか。その國雄君、本日、董建華長官の一連の与野党議員との会談の最後にエミリー劉慧卿女史ら三名の議員当選者とともに董建華と会談。十五分の遅刻。遅れた理由は董長官に贈る漢詩のコピーだったそうで贈ったのは白居易の「杜陵叟」。
杜陵叟杜陵居  歳種薄田一頃余
三月無雨早風起 麦曲不秀多黄死
九月降霜秋早寒 禾穂未熟皆青乾
長吏明知不申破 急斂暴徴求考課
典桑売地納官租 明年衣食将何如
剥我身上帛 奪我口中粟
虐人害物即豺狼 何必鉤爪鋸牙食人肉
不知何人秦皇帝 帝心惻穏知人弊
白麻紙上書徳音 京畿画放今年税
昨日里胥方到門 手持敕牒片郷村 「片」は「片」扁に旁は「旁」
十家租税九家畢 虚受吾吾益免恩 「益」は「益」扁に旁は「蜀」
政府の厳しい徴税に貧困なる農民がいかに苦労するか、と香港の現状がとくに低所得層の市民にとっていかに過酷かを述べ会談でも董建華長官に辞任求めるが董君に贈呈の「杜陵叟」のコピーに作者を誤って杜甫と銘したのはご愛敬か。

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