富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月廿九日(日)夜中に脛から足先が冷えて目覚める。気温も廿五度となると冷房など冷えてしまひ冷房も止めて寐てもこの有り様。早朝に足を揉んだりタオルケットに足を包むと老いとは悲しきものと感じ入る。朝起きると大雨にて黄雲警報発令中。昼まで新聞雑誌の類に目を通し過ごす。吉田健一の『英語と英国と英国人』続き読む。スコットランドに旅した吉田健一、その旅の一行に今朝出たホテルの鍵をポケットに入れたまま鉄道に乗ってしまった者あり、さてどうしようかとしていると同行の英国人が、それはよくあることで、そのためにどこのホテルの鍵もその番地が鍵についた金属製の札に刻まれているわけで、そこに三ペンスの切手を貼って投函すればよろしい、と言われ、鍵を見てみるとその金属札には丁寧にも切手を貼る四角まで彫ってあるといふ寸法。鍵の札にそのまま切手貼ればホテルに戻る仕組み。なるほどと感心していると列車の車掌通りかかり、切手はる様を見て「三ペンス、損をなさいましたね」と。何故かといえば、そのホテルはこの鉄道ともともと同じ経営のホテルにて(実際に吉田健一搭乗の際は鉄道は国有化されているのだが車掌はまだ民営時代の気合い)この列車はまたその始発の町に戻るから私に渡してくれれば切手代など要らなかったのに……と、それだけの話なのだが、随筆といふのは、こうした偶然のあまりに出来すぎた阿吽の呼吸の話が最も面白い。ちなみにそのスコットランドの首都エディンバラでは恰度夏の芸術祭の最中でウィーンフィルがなんとフルトヴェングラーとブルーノ=ワルターの二人が指揮とは何と贅沢な。それくらいしか面白くないのだが、随筆ぢたいは。午後ジム。雨止まず。灣仔にかなり上出来の按摩屋あるのを教わり九十分深刻に按摩。晩にモブノリオの芥川賞受賞作『介護入門』読む。石原慎太郎は選評で「この作品には、神ではない人間が行う「介護」という現代的主題の根底に潜んで在るはずの、善意にまぶされた憎悪とか疎ましさといった本質の主題が一向に感じられない」「主人公がマリファナ中毒だったり、頻発される朋輩(ニガー)という呼び掛けも、ニガーという最大級の蔑称としてはミスマッチだし、各章冒頭に出てくる「介護入門」なるエピグラフもことさらのアイロニーも逆説も込められてはおらず、ただ説明的なだけで蛇足の域を出ない」とし今回の選考を「猛暑の故の夏枯れとしかいいようがなかった」と結ぶ。宮本輝の、この作品の口調は小技にすぎずこのモブノリオをこの一作で評価できぬといふ評が最も妥当であり、山田詠美の「麻呂顔なのに、ラップもどきをやっちゃってるのが玉にキズの非常にまっとうな小説。主人公の息苦しさが良く描かれていて心に痛い。でも、朋輩にニガーなんてルビ振るのはお止めなさい。田舎臭いから」といふ評が最も的を得る。作品はラップもどきでもなく
毎夜俺は、俺の簡易ベットより少し高い位置から祖母が向ける幼児のような微笑みを確認し、豆球の薄明かりの中で密かに安堵する、仲のいい子供同士がおやすみの挨拶を互いの笑みだけで交わすように。眠る祖母の掠れた呼気と吸気が行き交う狭間で、気がつけばばあちゃんに背中を向け、壁へと逃げるように、俺は音に狂う俺の浅い眠りを眠る、次の目覚めが祖母の死体と添い寝する俺の朝で始らぬことを祈りながら。
などと伝統的な<私>の小説。石原の評など、介護に憎悪だの疎ましさもあるのは事実で小説がそれを扱うのは必要だが都政で福祉の根底を暴露するのが石原であり、アジアの近隣に最大級の蔑称を吐く石原に、ただ「よく言うよな」と呆れ石原の『太陽の季節』がそれぢゃどれだけのものだったのかと感じるばかり。同じ文藝春秋立花隆東京大学物語津田左右吉の受難を読めばこの昭和十三年前後の状況が政府の大学への介入などまさに今反復されているとの同じ状況に見えてならず。
週刊読書人(九月三日号)で東京舞台に小津安二郎へのオマージュとして『珈琲時光』撮った侯孝賢監督のインタビュー読む。神田神保町の喫茶店Ereka訪れたが切掛けで東京であちこちの町に自分のお気に入りの喫茶店がありそこを仕事場のように使う所謂フリーのクリエーターの女性主人公に、その女性はきっと高円寺や阿佐ヶ谷、荻窪に住んで、と「ありきたり」のようだが台湾人の日本へのオマージュと見ると面白い筈。大西巨人鎌田哲哉相手の対談、実に一年の連載が終わる。最後の頃には宮台真司について「彼はへらへらしているように見えるが実は立派」で「ただ頭がよすぎるのではないか」といった、今さら大西巨人が語らぬでもいいことまで、ただこの連載は大西の前の蓮実重彦でもそうだったのだが語り手の一言一句編輯せぬことが方針らしく、それゆへ一年も対わされる読者も辛いところ。サイデンステッカーの自伝『流れゆく日々』についての書評(勝又浩)がサイデンステッカーが所謂朝日岩波文化人とも交わらぬばかりか吉田健一にすら嫌われた、このサイデンステッカーとは「結局何者だったのか、当然のことながら、この自伝だけではわからないところも数々ある」と指摘しているのは正直な感想であろう。サイデンステッカーはやはり余はシアトル出身の畏友JB君が浅草での踊りの稽古の帰りに上野の不忍池の畔で散歩中に憩ふサイデンステッカー氏に邂逅して初対面ながら氏より聞いたいくつかの話を余はJB君より伝え聞きサ氏が何者かを解した次第。廿日の芥川賞の授賞式ではモブノリオが受賞者挨拶で紋付き羽織袴姿で舞台に登ると先日逝去の中島らも氏に捧げると煙草を一服して「人の死を巡る小説を書いておきながら、中島らもさんにはいつでも会えると思いつつ結局一度も会う事ができなかった」と語り内田裕也より授けられた言葉でこうして人に会える喜びを教えられたと挨拶。じつはモブノリオがいかに真面目かと。田原総一朗「取材ノート」に十三日逝去の亡妻についての記載あり。氏は平壌に取材中で取材に行く前に癌の末期症状で医者に平壌から戻るまでもつかどうか保証できぬと言われ取材あきらめたところ「同志」であった妻より取材に行け、ガンバレと諭されたそうな。こういったものが最近感涙が怖く読めぬ。
▼台湾で戦前のベルリンオリンピック中華民国出場以来の悲願の初の金メダル受賞のテコンドー、而も男女それぞれで受賞だが、その女性、陳歌欣、授賞式にて国歌の代わりに「国旗歌」流れるなか国旗の代わりに中華台北オリンピック委員会旗が掲げられるなか感涙に咽びつつ敬礼した姿印象的であるが、この陳歌欣選手が「檳榔西施」だったといふ半生興味深し。陳選手、厳格な父に育てられ十六歳ですでに二度もテコンドー世界選手権にて優勝する才能見せるが已にこの時で敵なしに飽きてテコンドーから離れ若気の至りで家出。十九歳までの三年間は台中で檳榔売りの「檳榔西施」、賭博ゲーム店の店員、不法の屋台での物売りなどして警察に追い回され、暴力団に保護費払う生活。で本人も反省し五年前に父親の誕生日に自宅に戻り父に詫びて複びテコンドーの厳しい修行始めて今日の栄光と。で「檳榔西施」であるが詳しくはこちらご覧いただくとして台湾では風土に根付いた風俗文化であるにせよ、やはり路上で昼間からスケスケの服装で色気たっぷりに檳榔売り娘。蘋果日報の語るところによれば台湾で檳榔売りの屋台の数、実に五十萬戸で五百万人がこれで生計たてる一大産業。道路沿いで檳榔売るためにお色気で勝負と売り子の、ほとんどが未成年の売春こそせぬが「学歴不佳、没謀生技能」の娘らが客の嫌らしい眼差し受けての稼業、社会的にも貶まれた職種。この金メダルで檳榔売り娘の社会的地位も向上だろうか。でなぜに台湾でテコンドーかといへば六十年代に当時国防部長の蒋経国が台湾の国民党軍に格闘技系武術の導入を求めボクシング、空手、テコンドーのうちボクシングは中国的な精神修養に欠け空手は蒋の反日感情も絡み、テコンドーを導入。当時の台湾韓国の反共蜜月時代も影響ありであろう。八十年代に韓国がテコンドーの国際化に乗り出し台湾は軍隊出身の選手が韓国の好敵手となり、ついに今回の金メダルといふ話。
▼廿六日の信報文化欄に「ノルウェイからの叫び」といふ文章あり。ムンク「叫び」が美術館より盗まれた日、偶然にこの美術館より歩いて十五分の距離のホテルに泊まっていた小奥なる筆者の文章。美術館近くの路上で盗まれた作品の額縁発見され作品がどう扱われているのか破損の恐れあり、博物館の防犯対策などの欠陥も指摘されたが、筆者曰く、これだけ世界的な作品蔵める美術館でまともな守衛もおらず警報機システムも完備せぬこと一般常識としては奇異に映るがノルウェーにいればけいして驚くに価せず、と。国宝級の美術品が厳格な監視下におかれている中で観賞するのと、とくに仕切りも赤外線警報もなく作品を間近に鑑賞できる環境のいずれかが望まれるかといへば後者。一応は手荷物預けて館内に入るが保安員の数も少なく「館内は静寂に」だの「作品に触らないでください」といった標語もそこいらにベタベタと貼られず。ノルウェーの人にしてみれば常識であり自律に属することはいちいち他人の指図も要らぬこと。御意。世界で最も豊かな国の一つであり税金高いが高福祉維持しノーベル賞世界に授ける理性と徹底した個人主義、平等。その「叫び」が盗まれた日にこの美術館訪れた、筆者の友人が語っていたのは、館内にピッザ餅売る売店あり、その店員はピッザ餅焼くに忙しく客と金銭のやりとりを厭ひ、客はカウンターに置かれた小腕に自分で代金を入れ釣り銭をとってゆく。店員はそれを一切関知せず。その対人の信頼に基づく社会での犯罪がこれ、と。

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