富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陰暦七月初八。處暑。朝に停留所でバス待つ時ふと街路に風涼し。台湾で旅行中に毎日昼頃にマルチメディアメッセージなるもの届き開けてみると金メダルの画像に「アテネオリンピック」といふ文字。それだけ。受信拒否もできず香港に戻っても続き呆れてよくよく見たらどうやら携帯電話の契約会社CSLが送ってきているようで早速CSLに電話。一方的で迷惑であるし拒否できぬし競技結果の速報なら「まだわかる」が単なる金メダルの画像で意味なし。それを何故送るのか?と質せば「オリンピックだから」と先方。オリンピックでもこんな金メダルの画像全く意味もないので送信せぬよう依頼。明日から届かぬようになるので、と素早い対応に「この苦情けっこうあるのだろう」と察す。オリンピックならみんなが関心あるといふ前提で何かオリンピックで対応しようといふ、この思考停止状態での発想(言葉に矛盾あるがそうとしか言えず)。余はオリンピックぢたいが嫌いとかぢゃなく、この「日本全国がテレビに釘付け」だとか「今朝は睡眠不足ですよね」といふ感動のデフォルメやこの金メダル画像に象徴される強要を厭ふ。灣仔の都市再「開発」決定された利東街通り抜ける。賀状の印刷屋多く古くからの理髪店や小さな工場、南洋食品扱ふ店など並び建物も五十年代のモダンな建物でなかなかの風情あり(写真)。この建物の老朽化理由に、実際には香港の大手デベロッパーで八十年代は香港で最も高層ビルであった合和中心(Hopewell Centre)建てたゴードン=ウー氏の合和実業が、この灣仔の皇后大道東といふ場所がまずかったのだが灣仔の沿岸や中環、そればかりか李嘉誠のホンハム地区の著しい「発展」に比べ灣仔の内陸部でそれに取り残された観あり、合和中心の西側・船街まで(洪聖廟の裏側山手)の日本占領時からの廃屋などある手つかずの一帯にメガタワー建設計画しており、それに呼応する形で政府がこの利東街など旧態依然とした下町の建物群をも解体、開発といふ手筈。余談だがこの皇后大道東、この洪聖廟が海の神様であり船街だのアモイ街だのスワトウ街だのといふ通りの名の通り、かつてはこのあたりが沿岸。晩にジムで拳闘系の鍛錬。帰宅してマグロの中落丼食す。
▼SCMP紙もヘラルドトリビューンも経済紙「信報」も昨日北京にて挙行の中共政府による登β小平生誕百年の記念行事はCoquinteau国家主席と温家寶首相の新指導部が登β小平の業績評価を更に高めることで相対的に江沢民前主席による「指導」体制より脱却し江君をば権力中枢から乖離される本来の第三世代指導部の地盤固め図るもの、と指摘。この夏の北戴河での中共最高幹部恒例の避暑地政治もCoquinteau主席が北戴河での政治会議の廃止を決定し江沢民派に属する幹部のみ抵抗みせたが、この生誕百年でもCoquinteau主席は具体的に、登β氏が引退表明してから実際に具体的な政治活動から身を引いており、登β氏が中共幹部の終身制をば廃止したことを評価する発言をしており、白地さまに江沢民への間接的三行半に等しいもの。秋に開催決定の四中全会にて完璧に江沢民引退とすることまで確定とか。そこまでせぬと経済発展に比べ著しい停滞みせ経済への影響懸念される中共の政治改革に拍車かからぬものらしい。……と新聞各紙のほぼ一致した見方なのだが朝日新聞にこの記事なし。ネット上で他全国紙も見てみたが生誕百周年記念行事の開催と登β路線への最大の評価と改革の維持強化といふタテマエ記事並んでいても一歩踏み込んだ上述の如き記事は見あたらず。日経は辛うじて終身制廃止に触れ江氏の「軍事委主席の座を保持した状態は長くは続かないとの考えも示唆した」と言及しているものの、寧ろ、胡錦涛主席が江氏をば「当代(現在)の共産党人の主要な代表」と表現したで江氏が中共ナンバー1であることを記事は強調。これがCoquinteau主席の江氏へのヨイショであることは明白なのだが。
▼本日のSCMP紙の論壇に香港大学の日本研究学科のPeter Cave氏が日本の歴史教科書と歴史教育について文章あり。Cave先生曰く、日本の教科書での南京大虐殺などの侵略問題について正確なる記載なく歴史事実匿す如き作業あると指摘される点につき具体的に南京大虐殺慰安婦については海外で誤解されている以上に全般的に記載があり、ただ問題は政府自民党の歴史感や教科書をつくる会の反動教科書が検定通るなどあることで、実際には国際的なプレッシャーのなかでリベラルな理解も生れてはいる。ただ問題は歴史教育がまだ完璧ではなく、有史以前の歴史から現代史までを通史で教えるなかで二十世紀などの近代史が疏かにされること。日本の子供たちはもっと日本とアジアの現代史を学ぶべきである、と。恐らく殆ど読まれておらぬ論評であろうが、実に的確なる指摘と感心するばかり。
▼蔡瀾が蘋果日報で十八日の随筆に曰く。千歳空港で偶然遭遇した日本人の子供に「蔡瀾!」と言われ「大人を呼び捨てにしちゃダメだよ」と言ったが、続けて大人にもまた「あ、蔡瀾だ」と言われ「女の人になら呼ばれて許すがアナタは大の大人の男でしょう。面と向かって呼び捨ては教養の問題ですよ」と語気も荒れた蔡瀾氏だったが、知人に有名人への名前の呼び捨ては親愛度の証拠と諭されつつも、礼儀のない若者が大人になって世の中どうなるのかと歎く。しかも空港のラウンジでは(キャセイパシフィックの直行便ではラウンジは日航のを借用)日本の空港らしくラウンジの四分の一が喫煙可で愛煙家の氏には極楽なのだが、煙草一服していると子供が入ってきて氏の目の前で「臭い、臭い」と。氏は子供は無視してその両親に「ここは喫煙エリアですよ」と喫煙マーク指して説明したが両親は怪訝な表情で氏を見ているだけ、と。この常識もモラルもなき社会を憂ふ蔡瀾氏。
▼雑誌『世界』にて梅原猛先生が首相小泉三世を「インチキ」で「戦後最低の首相」と罵る。中曽根大勲位の後藤田官房長官の私的懇談会「靖国懇」のメンバーとして靖国神社の日本の伝統的な神道からの逸脱を説き結果的には公式参拝に臨んだ中曽根大勲位とて「公式参拝しなければ自民党がもたなかった」と本音。当時の「戦後政治の総決算」でタカ派とされた大勲位も識者の意見聞く耳あり。それに比べ小泉三世は「まったく聞く耳を持っていない」「議論が成り立たない」「間違ったことをやっても反省しない」「いい格好することだけを知っている」と。首相就任前からこの小泉三世の欺瞞は予想されたことだが国民の八割がこの変人に国家の改革委ねた事実は将来「平成の大誤解」と歴史に刻まれるべき。
▼昨晩の教育テレビで先代松緑の「象引」の放映前に「NHK古典芸能鑑賞会」で菊五郎の勘平で五段目と六段目あり。敢えてビデオ録画をば実家の母には頼まずにいたが、築地のH君によれば当然音羽屋の勘平はいいしお軽演じた菊之助もいい意味で老けて見えると。お姫様だけでなく世話物や武家の女房などもイケルのでは。長足の進歩とH君。だが定九郎の当代・松緑。この問題は本人といふより永山会長が責任とるべき。ところでH君、荒畑寒村の自伝(といっても若い方はご存知なかろうが昭和期の南宋画の大家で……といふのは冗談で社会主義者)読んでいたら寒村は歌舞伎好きで明日下獄という日にわざわざ歌舞伎座で芝居見物とか。夫人ももと花柳界の人だそうで、なかなか粋好み、だが大の十五代目嫌いで絶対に十五代目の舞台を見ようともせず。十五代目が出ただけで舞台がパッと明るくなったと言われるほどの十五代目羽左衛門、関容子の本にも十五代目贔屓の芸者衆が楽屋訪れると衣装の為度終えた十五代目が「どうだい、きれいだろう」と自惚てみせたとか、それでも寒村夫人は十五代目の「家橘時代のダイコぶりを知っているから」見る気がせぬと。だが大坂の角座で十五代目が保名を踊ったら「右團次のような踊りの名手がいる上方に、わざわざ来て羽左右衛門ごといが保名か」と酷評されると「あたしは江戸っ子だから大坂のものにバカにされるのは我慢ならない」と憤慨したというエピソードもあり。

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