富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月十八日(水)朝に目覚めればどんよりと曇り空。テレビ画面の天気予報は快晴の上に炎天下マークまで点り、何か間違いか、と思えば、曇天に非ず快晴ながらHazeひどく気象上は晴れらしい。Hazeは日本語では「靄、霞」であろうが南方特有のこのHazeは靄や霞といふにはあまりにひどい不透明感。かといって自動車排ガスや煤煙といった大気汚染にも非ず。もともと赤道に近いあたり特有の自然現象ながら温暖化によりHazeのかかる域が徐々に緯度高き地方にまで広がり香港もこの十年で毎年かなりHazyな日が増える。しかも今朝ほどひどいHazeこれまでお目にかかったことなし。言葉で説明難しいが雰囲気的にはウルトラセブンにて殺風景な郊外の住宅団地、その周辺の団地建設予定の空き地にて夕方、遠くにはガスタンクと工場の煙突からの煤煙と高速道路を走る車、夕焼けがぼんやりと大気汚染に渾る、あの感じに近し。実に不快。数ヶ月前に修理済みのOmasの万年筆の一本、洋墨の吸収良からず太古城にある代理店の貿易商に修理依頼に出向く。昨晩網上場所確認してのことだがオフィスビルは転居の跡。電話で確認せば先月香港仔に移転と。仕方なく普段出向かぬ香港仔の工業ビル並ぶ黄竹坑に足を運ぶ。工業ビルの中のこの貿易商あきれるほど内装快適な空間。修理請へば技術者現れ(見た目はパリのモンブラン万年筆の修理係の専門家の如く白衣姿、実際にはこの貿易商にて扱ふ時計などが専門の様子)暫しお待ちを、と。結果、調整にてインク吸入は多少改善されたが内部のインク注入部の可動部分が長年の使用にて摩耗しどうにも修理不可。イタリーの工場に送ってもパーツは手作りの万年筆ゆへその軸にあうパーツ注えるも難し、と説明あり。調整の結果、軸内のインキ貯めに半分ほどは充填できるようになり須臾瞞し瞞し使ふことととする。ところで最近Omasの万年筆、香港であまり見かけぬが、と問へば、技術者しからば営業担当がと。営業の若者現れ彼曰く万年筆の需要かなり下落しており殊に貴金属埋め込むなど付加価値つけぬOmasの万年筆は香港市場ではあまり受け入れられず、而も手作りゆへ「故障」といわれれば否定できぬ不具合生じることも少なからず難しいものあり、と。すでに二軒のみ取り扱ふ小売店ありと教えられる。そのうちの一軒が本日藪用にて出向くつもりの尖沙咀の某所の近所。もう一軒は香港島の上環にある時計と万年筆の専門店。タクシーで香港仔隧道潜り灣仔の税務署。所得税につき下記の件あり灣仔の税務署に赴き事情説明し判断を乞ふ。
(1) 今年3月〆の03年4月〜04年3月の確定申告につき、5月、某支払い元より03年3月に受けた仕事での報酬明細が届く。本来前年度の所得であるが実際の支払いが03年4月であったため前年度確定申告に間に合わず、と説明あり。
(2) 5月末に上記の前年度所得も含め確定申告済ます。
(3) 6月中旬にこの前年度の所得につき税金未納と請求書届く。支払い期限は8月5日。
(4) これについて事情を説明し已に03/04年度の所得にこの03年3月の所得も含めて申告済みであること、ゆえにそれで問題ないか、もしくはこの所得分のみ(3)の請求に従い納税済ませ、その上で03/04年の所得額よりこの分を減額するか、いずれになるか教え乞ふ、と手紙を税務署に提出。
(5) 7月中旬に税務署より(4)の返信が届く。書面には余の手紙受領、近々03/04年の納税明細届くので、それに不服の場合は1ヶ月objectionせよ、との内容。
(6) 8月1日に03/04年の納税明細届く。問題の03年3月の所得も余の確定申告の通り、この03/04年申告に所得として参入済み。それゆへ余は(5)の返信ないものの結果としてこの03年3月の収入は03/04年の所得として納税すればよいものと判断。
(7) 8月14日付けの(3)の再請求届く。8月5日の支払い期限過ぎたため追徴金として利息も加算される。
(8) 以上の経緯につき、(7)の追徴金は支払う意志はないが、どうのようにこの二年越しの徴税を整理できるか、教示願いたく本日参上した次第。
以上説明の結果、窓口の担当者は、納税につき余の誤解があること、objectionがあれば(5)の書面に従い抗議すべきで、それをせずに支払い期限を過ぎたことは余の過ちであると指摘。(4)の手紙については受信の記録はあるが内容についてはデータベースに記載なし。但し事情は理解できることであり(7)の追徴金の取り消しと(6)の03/04年の所得よりこの03年3月の額の減額を求めることは可能とのこと。その手続きすれば済むのだが、余が納得できぬは、抗議の理由が余の誤解があり納税が遅れたといふ点。これは納得できず余の間違いにあらず(5)と(6)に従ったまでで(4)について具体的な返信がなかったこと、また(5)のレターでは(6)の納税明細届くのを待ち1ヶ月以内に抗議できると銘されており、現在まだその1ヶ月以内ゆへ(8)の追徴金の加算ぢたい税務署側の手順に不当のはず。担当者の上司現れ複び事情説明。その者「事情はわかる」としつつ同一の納税者の納税とはいへ年度が変われば2つ別のマターであり03年3月の納税はまず済ますべきで8月5日までに(4)のレターの返信がなければそれを問い合わせるべき、と。なんとなく納得できようもするがこの担当官、余に対して「あなたは香港の税制について明るくない」と宣ふ。無礼千萬。余は納税者であり納税拒否でなく納税にあたり丁寧に問い合わせしところ税務署側の怠慢に対して余に誤りあると指摘の上に税制理解しておらぬといふはエコエコアザラク、この恨み晴らさずおくべきか……と念じるばかり。廉政公署に投訴もあり。とりあえずその03年3月の収入について即時納税済ますこととして追徴金の取り消しと03/04年所得の減額を求める文書を提出することにする。追徴金とられぬよう。背に腹は代えられぬ。但し理由として「税務署の判断に過ちあり、余の質問(4)に答えぬまま(5)以下の手段は粗忽さあり、と記述。余の誤解だの過ちにあらず。ここまで2時間要す。その窓口離れ納税窓口で納税済ませた上で上述の追徴金取り消し等の要求書類を別の窓口で提出。これであとは決済待つだけだが税務署から出て余はふと(4)の余の手紙の複写手許になきこと思い出し、今後場合によっては正式に苦情申し立ても必要かと思い、多少時間がかかるが手紙ぢたいはさがせば出てくるとの話だったため、税務署に戻り複写を求めようと引き返す。すると窓口で担当者ら三、四人鳩まり何やら見ており、何かと思えば余の提出書類。余が戻ったのを見つけて差し出されたのは(4)の手紙のコピー。担当官曰く「ほら、手紙にはその所得が03/04年ではなく前年度のもの、って書いてあるだけでしょう」と。よく読むとそのパラグラフはそれだけだが、その下に「それゆえ03/04で納税すればいいのか、分けて納税の場合、どのようにすれば返信請ふ」と。「ほら、書かれてるぢゃないですか。これの返信が(5)とは誰も思わないですよ、明らかに(4)を処理した者が犯したミス」と余は説明。それゆへ追徴免除と03/04の税金減額の要求に理由は「税務署側の処理での誤り」としか書けぬ、と余。先方も証拠の手紙目の前に今さら余の誤解だのとは口にできず。……が税務署でのやりとり。おそらく追徴金取り消しは認められ03/04年の納税も減額された請求書が届いて、当然、謝罪などもなく終わりか、と思っていたら一時間ほどして電話あり。窓口担当者からの報告を受けた上級職からで「今回の件について担当者より事情説明を受けこれまでの記録文書など見た結果、明らかに当方(税務署)の処理での誤りあり。謝罪をしなければならない。その上、今日のやりとりでもそちらに誤解があるような説明をしたことも担当者の理解不足で謝罪の言葉もない」と。かなり真摯な態度で謝罪され、一瞬、イトーヨーカドー本部のお客様相談室室長か「謝り太夫」の如き税務署での署内の粗忽事項全て謝るが職種の専門家かと思ふほど見事な謝りぶり。そのうえ今回の件については謝罪を文書で用意することも検討しているので、もし文書での謝罪要せば遠慮なく申し出てほしい、と。つい「そちらのミスあったことを確認してもらえればこちらは結構。ならば謝罪文書の用意も結構」もその謝りっぷりについ応じる。文書でまでの謝罪といふのは先方にとって面倒なようでいて、実はこの先、かりに余が廉政公署にでも訴えた場合、明らかに政府側の誤りはあったもののすぐに非を認め先方に謝罪した、といふ先方にとっても重要な証拠になるための筈。「それにしても、誤りがあるのは誰でも仕方ないにせよ、納税者側がきちんと出向いた上で記録資料提示して説明していることに対して、納税者側の誤解だの、ましてや税制を理解していない、などと口走ることについては税務署側は猛省を要す」とのみ伝える。先方の素早い対応でひとまず廉政公署への提訴は回避か。尖沙咀にて藪用済ませOmas扱う貴金属店(万年筆を貴金属店にて売ることぢたい何か間違っているが)のショーウィンドウ覗く。確かに目立たぬところにOmas数本あり。ただし埃かぶり。余の修理し難き万年筆「Arte Italiana」は二千二百ドル、もう一本限定生産の「フェラーリの赤」は七千二百ドルと発売当時より値段上がっており多少感激。藪用あり日本人倶楽部に寄れば旧知のHさんに「これ、興味ないですか?」と出されたのが『演劇界』増刊の歌舞伎役者名鑑(平成元年判)。えっ……これは明らかに余が数年前の蔵書整理にてバザーに提供のもの。同じ『演劇界』増刊で平成五年の「新判・歌舞伎役者名鑑」所有のため旧版は要らぬと当時判断。だが今になって見ればすでに物故の役者少なからず。写真ページ捲れば梅幸(班女の前)、歌右衛門道成寺)、先代仁左衛門(菅丞相)、羽左衛門熊谷直実)、延若(義経千本桜・権太)そして我童(象引・中老竹川)と。そればかりか勧進帳で弁慶演ずる團十郎太閤記にて関白秀吉の猿之助も病床にあり復帰も易しからず。こういった役者名鑑は保存すべき、と今更ながらに思ったがHさん「この本、図書館のご自由にお持ちください、に置いてあっても誰もお持ち帰りにならないんですよ」と。歌舞伎など香港の邦人で興味もないか……で余は持ち帰る。Z嬢と待ち合わせで銅鑼灣パークレインホテルのG階のバーGerge&Co.に早く着きノートブックで書き物と思えば勝手にホテル内のワイヤレスLANにつながり最近、いちいち宣伝などせず建物内は当然の如くワイヤレス環境の、とくにホテルなど少なからぬこと実感。Z嬢来てホテル地下の家具・池屋にて納戸のなか整理用の木棚購ふ。簡単な木作りの棚とはいへ幅80センチほどの棚の価格がわずか19ドル。266円って豚肉150gじゃないのだから。東南アジアの安い木材使って現地の廉価なる労働力で大量生産だがコーヒー豆のプランテーションの如く実際の製造作業者にいったい幾許の所得ありか……。Quarry Bayのマザーインディアにてインド料理食す。帰宅して納戸の棚整理。吉田健一の『英語と英国と英国人』続き読む。今日の昼間、某所にてこれ読み始める。奇才吉田健一は英語は言葉であり言葉といふ意味で日本語も英語も同じ、英語をいちいち外国語だの英語だのと別扱いすることぢたいが間違いと説く。言葉として自然に読むこと。英国の詩人ディラン=トオマスの詩
It was my thirtieth year to heaven
Woke to my hearing from harbour and neighbour wood
And the mussel pooled and the heron
Priested shore
など日本語に訳すと多くのものが損われ、これなど原文をそのまま体感すればよし、と。吉田健一曰く
外国語がただの言葉になるのは、それが外国語を勉強する場合の、いつになっても先ず実現する見込みがない理想なのではなくて、そこから外国語の勉強、というのは、外国語を自分のものにする仕事が始るのであり、それが出来ない位、言葉に対する感覚、或は認識が不足しているものは勉強するだけ無駄である。
どこかの役所の「「英語が使える日本人」の育成のための行動計画などの発案のセンスではとてもこの吉田健一の説く言葉に対する感覚など理解できぬか。ところでこれを途中まで読んで乗ったエレベータに偶然、観光旅行らしい日本人女性三人足つぼの按摩だか終えて乗り合わせる。エレベータの階数表示見て「このGってわかんないよねー」と一人が言えば、もう一人が「これって、何?、Gってゴールってこと?」と。なぜここでゴールなのかよくわからず。須臾考えてわかったのはエレベータが地面階に着く場所、でゴールか、ととても納得。言葉に対する凛々しい感性。だが英語はからっきし理解できておらず。……となると吉田健一の説もちょっと通用せぬのだろうか(笑)。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/