富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月十九日(木)Haze甚だし。昨日このHazeにつき自然現象と述べたが大気汚染と光化学スモッグも相応しての鬱葱たるHazeなのだそうでちなみに今朝の視界は1000mを下回り拙宅よりも九龍側が見えず(写真)。藝術新潮七月号読む。小さい記事にフィレンツェの古美術店で偶然に見つかったミケランジェロ弱冠廿歳の頃制作のキリスト磔刑像。作者がミケランジェロといふことばかりかモデルが25〜30歳の男性で死後48時間以内の死体モデルに制作とまで判明と。今の時代ならこの死後直後の死体用いての磔刑姿の裸体像の制作といふことぢたい「おかしなまなざし」の対象だろうか。世の中といふのは進歩しているのか開明的になっているのか。築地のH君より先日内容の抜粋紹介あった関容子の『海老蔵そして團十郎文藝春秋読む。これを読めば十一代目とその生き写しの新之助に挟まれた十二代目のその人柄にあらためて惚れるほど。余にとっての十二代目は、まだ海老蔵の頃に歌舞伎ではなくテレビドラマ、カラーテレビがようやく茶の間に普及してきた頃にフジテレビ系放映の女の劇場「春の雪」。題名の通り原作は三島由紀夫豊饒の海」の「春の雪」で(物語の内容はだいぶ違っていたはず)主演は海老蔵吉永小百合。母が寝室の小さな白黒テレビで寐る前に毎週見ており余も見た記憶がぼんやりとあるが、まだ実は小学1年だったかの余にとって海老蔵の鮮烈な印象は「この海老蔵といふ役者はまた何と誠実といふか裏のない……それにしても演技があまりに「育ちのいいお坊っちゃま」そのままで演技としては物足りないし役柄に何かこう観衆を惹きつけるあぶなっかしさが全然出てないねぇ」と(もちろん具体的に余は当時そう言っていないが)子供ながらに海老蔵吉永小百合の演技に「物足りない」感じがしたのである。当然、当時はその物語の原作がその年に自衛隊突入した三島由紀夫豊饒の海」だなどとは知らぬが、大人にとってそれを知れば、殊更、松枝清顕は海老蔵ではないと思ふ。本当に育ちのいいお坊っちゃんで演技でも性格に裏がなかったのだ。当時、例えば児玉清石坂浩二などもそういった「温厚な青年役」であったが、例えば同じ吉永小百合との共演でも児玉清が「花は花嫁」で見せた何のクセもない花屋の跡取り息子役のほうが海老蔵の松枝清顕に比べれば吉永小百合演じる芸者の「みどり」が何故に突然、花屋の息子に惚れたのか、児玉清はそのちょっと異質性を好青年の影で演じてみせていた記憶あり。だが、そのテレビの演技で余りの好青年らしさに物足りなさを感じさせてしまふほどの海老蔵が(当時24歳)が5年前に父・十一代目を亡くしどれだけ苦労していたか。市川宗家といふ大名跡でこそあれまだ芝居もじゅうぶんに教わらぬうちに十一代目が没くなり芸の上でも経済的にも苦労していたのがこの時期。それがテレビの映るとその苦しさの片鱗も見せず(見せられず?)何の苦労もなき良家のお坊ちゃまに見せてしまふ(見えてしまふ)それが十二代目。いま新之助海老蔵襲名で團十郎海老蔵が一緒に舞台にたった矢先に病床に臥せ、なぜこれほどの良人が苦労してこの吉事にこの不幸かと思ふと涙すら禁じ得ず。
▼ところで1957年の東芝日曜劇場、当時はテレビある家庭のほうが珍しくこれを見た人こそ少なかろうがこの毎週日曜にこの役者並ぶとは今になって見ても垂涎のもの。これがテレビで見られたとは。
▼昨日の朝日に孔魯明・韓国元外相の「平和国家こそ日本の役割」といふ論説あり。原文も日本語。一読せば思わず姿勢正してしまふほど日本語の論説文の手本の如き文章。「今後の日本の国際的役割を思うとき、「平和国家」として戦後59年間、非核三原則専守防衛を保持しながら鋭意築いてきた日本のソフトパワーこそ、他の「普通の国」とは異なる鶏群の一鶴たることに資するのではないだろうか」と孔氏。鶏群に埋もれるが如き小泉三世にこの言葉が届くものか。
▼SCMPに香港の映画資料館の記事あり写真は係員が広げた往年の映画のポスターで偶然にも千葉泰樹監督、宝田明主演の「香港の夜」1961年・東宝であった。翌年のこれに続く「香港の星」は見たが「夜」は未観。尤敏が香港側の紅一点。この六十年代の日本映画の香港モノ、クレイジーキャッツの「香港クレイジー作戦」等も必見。
▼政府の汚職贈賄など調査するICAC何をトチ狂ったか七月には新聞社ガサ入れ、今度は昨日それに続きFCCに対してFCCのメンバー2名の倶楽部利用歴(口座)照会依頼。FCC側は倶楽部会員のプライバシーとしてこれを拒否。MacLehose卿の香港政治浄化の理想がまるで官憲の如き振る舞い。

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