富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月二十二日(水)快晴。昨晩富柏村サヒト移転すませ復旧していたvirtualave.netの旧 址に移転告知遺すが案の定朝になるとまたサーバー死んでおり移転知れぬ方も多かろうと察す。もっと早くの移転決断をすべきだったと反省。それにしても連日 のサーバーダウンにて70万にのぼるvirtualave.netに属すサイトの不便甚大のはず。もはや改善の余地もなしか。米国時間の晩にダウンし朝復 活ではまるで節電か?と冗談にもならず。午後遅く先週に続き請われて10数名で銅鑼湾の歴史散歩。黄泥涌とよばれた沼湿地の如き一帯、鵝頸橋と呼ばれた橋 のかかる河(Canal)埋立てられその先のトラム操車場(現在のTimes Square)、今日銅鑼湾と云われる繁華街一帯がこれといった名もなく、それ故に大丸という百貨店の名がミニバスの行き先となり、利銘澤氏による一帯の 開発と戦後の日本人への恩恵、ジャーディンマセソン商会の名残、保良局は職員の厚意にて内部見学許可され1956年の三井洋行会社(藤田一郎氏が支店長) の寄付の記録などある重厚なる建物の内部を参観、掃桿埔の香港大球場横に明治から昭和にかけてあった旧日本人墓地跡地など巡り銅鑼湾道に沿った曾ての「銅 鑼湾」と呼ばれていた街歩く。本来このあたりから現在の天后電気道にある銅鑼湾街市あたりまでが銅鑼湾。終わって参加者の有志と天后の“濃情”なる名の地 場パブにて麦酒。競馬簡単に予想して馬場に向かうつもりが気力失せてZ嬢に電話すると丁度銅鑼湾にてバスに乗ったところと天后の場外馬券場にて待ちあわせ 天后電気道にある順寿司分店。5年ほど前の香港彷彿するが如き「香港型ヤッピーと連れの女性」が数組生息しており驚く。砲台山の本店の亭主より店を任され た板前も女将も真摯にて日本人なしでここまで日本料理に徹底するのは中環の福喜くらい。熱燗二合で小鰭と赤貝の刺し身、赤身、細魚、鯖の握りにかっぱ巻一 本と“枯れ”を意識。帰宅して競馬テレビ中継みるが当っても楽しくなき堅い複勝のみ。富柏村サヒトのvirtualave.netの旧祉つながっており転 居案内の告知残した主だった看板ページなどを除き、中途半端に残しても移転完了していることを理解されぬままになりかねず、と一気にファイル削除す。
▼一昨年の911契機に米国主導にて反テロなるプロパガンダ世界席巻せしものの正義だのとお題目唱えても結 局は米国による石油権益と覇権の実態明白地さすがに米国が対イラク臨戦態勢には欧州中心に厭米感漂ふなか日本は本来イラクとの友好的関係活かし調定工作な どに尽すべきところ今その知力も体力もなく忠米国家たらんと日章旗と軍艦マーチ勇ましくイーズス艦中近東に遣って「いざ臨戦」と意気込んだ頃にようやく親 ブッシュにて歩調合わせしはずの英ブレア政府も距離おく現実の世界情勢知る。
ビートルズのLPアビーロード、四人が横断歩道渡るヂャケツ、当時ポールの裸足姿にポール死亡説流れるな ど話題事欠かぬ作品ながら、そのポール右手にもった煙草、反禁煙団体の圧力かかりレコード会社それに屈しポールの手より煙草消す写真の偽造に応じてこの無 煙写真、今後のヂャケツを飾る、と。ここまでくるともはやファッショ、キチガイ、禁煙も嫌煙も勝手にどうぞだがポール、この時にこの風景のなかで煙草吸っ て道渡ることはその煙草の賛否の範疇に非ず歴史の事実。それ歪めることの不健康さに気づかぬ健康主義者の馬鹿さ加減に呆れるばかり。