富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月二十七日(木)快晴。イチローが愛知県の県民栄誉賞も辞退。愛知県の気持ちも解るが国民栄誉賞すら辞退しているのに敢えて打診するか、県民栄誉賞。「地元」ならイチローも愛着あり受け入れる、などと思ったか、甘い。昨年度の小中高の教員処分3,966人、児童生徒への猥褻行為が3.6%、体罰が10.8%は言及に値せぬが日の君が代での処分が6.9%の265人で前年度の2.7倍だそうな。国旗に敬意を表さず国歌を唄わねば処分とは怖い国である。アメリカもそういう国であるのは当然。国家はそうじゃなけりゃ成立しないか。ちなみに文部科学省の新学習指導要項は「自ら学び考える力」だが、それを教えるべき教員自身が自ら学び考えた結果を実行した場合、場合によっては処分されることになる、とは。大きな矛盾。「愛国心は『自ら学び考える』といった範疇にあるものではなく国民として抱いて当然の崇高な理念」とか「公教育に携わる者の『一員として』法で定められたことには随わなければいけない」ってか?。その通りだ(笑)、国家による公立の初等教育なるものは国家が存続するための国民の養成が目的なのだから(藤田弘夫『都市の論理』を参照せよ)、そうでなけりゃやってる意味がないだろう。そうなると、やはり寺子屋の復活が必要。読み書き算盤以外は教えない。教練的な学校行事も一切なし。運動は外で近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんを中心に遊べ。徳育教育など親がすべき(できないか……)。運動でも外語でも大工仕事でも芸能でも何か秀でる才能があるか興味でもあれば即座に修業に出る。それが一番。唯霊氏が二週間ほど前だかに『信報』で「一碗牛筋南伊麺、僅十六元、以質以量而論都物有価値」と讃めていた中環は卑利街の陳成記なる麺家、平日の昼間になかなかその界隈に行く機会なく逸していたことをふと思いだして昼前に卑利街を下る。昼前にて客は数人、卓につくと向いの卓に唯霊氏が屡々随筆に登場する愛娘とそこに居るではないか。なんたる偶然。娘も父親譲りでかなりの食通と書かれているが親馬鹿かと思っていたが麺を美味そうに掻込む唯霊氏に延々と食い物の話を続ける娘(まだ12、3である)には恐れ入る。店を出ようと唯霊氏こちらに来たので手帳に唯霊氏のその記事切り抜きがあり思わず唯霊氏にその記事に署名願う。かつてはかういった著名人に署名を貰うなど卑下していたが老いて余生も短くなればかういった行為も恥ずかしくもなし……先日、Dettoriの署名をもらひし時、その行動に自ら驚きたり。署名も見事な達筆で文人とはかういふものかとおもふ。英語で一言二言話し始めたが「日本人か?」などと<些細なこと>を聞かぬは流石の御大、「いやー、この店をガイジン連中(expats)にも絶対に美味いからって教えてんだけど場所がわからないのか来ないんだよな」などとボヤき。「それじゃね」と、さっと余の「肘に手を触れる」仕種はありゃイキだねぇ(唯霊に興味ある方は飛山百合子『香港の食いしん坊』白水社を参照のこと)。牛南伊麺。伊麺はこれまで炒めるばかりで湯麺は初めて食す。確かに秀逸。余が署名をねだったことで店の賄いのオバサンたちが「あれ、誰よ?」と。別な客が「唯霊だよ」と応じると、「えっ、あれがこの記事の?」と店中に張られた唯霊の記事を指さす。亭主は勿論知ってるがオバチャンたちはただの常連と思っていた模様。ジム。藤森照信『天下無双の建築学入門』ちくま新書、読み始める。歩いている最中すら読み続けたいくらい読んで楽しい本。藤森氏、赤瀬川原平南伸坊といったこの仲間連中の書くものはどんな内容でもとにかく面白くなければ、という前提なのがいいのだ。著名な建築学者(建築家ではなかった)としての藤森氏が自分の理想的な建築を追及するうちに古代にまでその視点が届き書いた本なのだが、古代において縄で縛ることがいかに魔法のような万能の技術であったか、だからその縄の文様が土器の表面に写されて(縄文土器)、聖なる場所を画すための注連縄(しめなわ)となり、出雲大社のあの空前絶後の高さ(48m?17階建ての高さ!)は特別にしても神社とは神社があってご神木があるのではなく、むしろご神木があってそれの傘のように社や祠が建てられ、そういった木は当然、神様が天から降りてくる木だから他の木より高いわけで、だから縄文時代は日本全土が屋久島みたいに鬱蒼とした森だったわけだから「その樹々の梢が波打つ樹海の上に点々と島のように浮ぶ神社たち。メキシコの密林の中に、ピラミッドが忽然と現れるマヤ文明の遺跡の、あの石のピラミッドを木の建築に代えたような光景。思い描くだけで涙がにじむ。」と藤森氏、まさに御意。これが神道の本来の醍醐味だったはず。神道が国家に統制されてしまう以前のこの姿は本当に想像しただけでゾクゾくしてしまう。そういえばこういう醍醐味を体感していた一人が角川春樹氏、なんか覚醒剤裁判のたんなる被告と化しているが、詩人、俳人、思想家としてあのまま野暮な社会的倫理なる制裁で抹殺してしまうのは本当に惜しい方。優れた句を詠むことを条件に恩赦とか……ダメか。でも辻井喬岩波新書で『伝統の創造力』なんて本を上梓して「日本文化が衰弱していると感じられるのはなぜか」という問いに辻井先生は「伝統とは「大胆な自己革新を行う運動体」「新しい文化芸術を形成する源」であることを論じ」「混迷する現代社会、そして現代文化の再生のための、問題提起」をされているそうだが、辻井先生は堤清二としてセゾングループを潰しかけても部下たちに「文学のみご精進を」と引導を渡されて経営者としての会社再生はせずとも(まぁ私財も多少は負債補填で出されてはいるが)日本文化の再生をしてしまうのである。会社潰してもいいけど覚醒剤はダメなのである。社長が「ねぇ、○○ちゃん、今度ハワイ行かせてあげるから大麻とかブツ調達してきてよ」と頼んでるよりか、大きな会社を自らの判断での事業失敗で潰して多くの社員が苦しむ方がよっぽど社会的に人に迷惑をかけている気もするのだが……。たとえば、である、会社を潰さぬためシャブ打ってでも日夜懸命に努力する社長がいて会社がそれで存続の危機を乗り越えていたら、もし裁判が陪審員制度で余が陪審員だったら絶対に社長には恩情で無罪とするが。世の中は覚醒剤を悪むらしい。閑話休題。藤森氏だって確かに伝統を大切にしてその伝統の技術でもって建築を蘇生させようとしているのである、そういう意味では辻井先生の「伝統の創造力」と通じもする、が、決定的に違うことだけは確か(それ以上はいふまひ)。藤森氏の言及は留まるところを知らない。例えば、柱。ギリシア宮殿の柱がエンタシスにて法隆寺の門柱を見た時に遠きギリシアの宮殿を想った、なんて言うけれど、実はギリシアの宮殿の柱がじつはもともとは木でそれが石になったこと、だから時代がギリシアが古いから、ってその技巧が東に伝わったんじゃないこと。私たちは掘立小屋なんてボロい建物を罵るが実は土地を掘って木を立てる建造方法は縄文の極意にて、私らが無意識に「掘っ建て」を悪きシニフィエとしていることじたい<弥生思想>に洗脳されていること。だからホームレス諸兄の小屋をひと括りに掘っ建て小屋と呼んではいけない、段ボールなど土台のない仮設なら掘っ建てに非ず、公園だろうが河川敷だろうがきちんと地面を掘って柱を立て、もしくはご神木を見つけそれを軸に屋根と壁をつくれば、これぞ掘っ建て、ということか。目からウロコのような話が無尽蔵に続くのが藤森ワールド……同じ藤森でも名前を出すのもオコガマシきアレとは月とスッポンである(あっ……)。この本を読みつつHappy Valleyの祥興珈琲室。そういえばかつて芸人で賑わったこの店が筋向かいに別な店できて芸人がそちらに流れたという記事思い出し評判は如何なものかと訪れしはSなる茶餐廰。特色炸醤麺を食すが評価するに値せぬ単なる辛みで誤魔化した炸醤麺に過ぎず。夕方だというのに満席にて誰も彼もいわゆる業界人ばかりで芸人も少なからず。埋單すませた芸人風情の客が店を出ようとすると何処からともなく間違いなく蘋果日報だろうが報道写真家たる蝿が飛来してフラッシュ焚いて激写。これが明日の新聞に「明星の×××が娘連れて……」と記事になるのだろうが(なぜこれがニュースになる?)、この、そんな美味いわけでもない上に報道写真家の諸君がスクープ写真欲しさに狙っている店に(美味さでいったら同じ快活谷の茶餐廰でも和興のほうが格段に上)これほど芸人が来るのか不思議だが、考えてみれば答えは簡単、新聞に掲載されるから、か。芸人なら露出が宿命、こうしてこの店にくれば明日の新聞の芸能欄に載れば幸い。広尾の明治通り沿いのラーメン丸富でしぶがき隊のフックンがラーメン食べててもニュースにならない日本のほうがまだマトモ?。養和医院の牙科にて先週の親不知抜歯での裁縫の抜糸。悪太医師他患者治療中にて若造抜糸す。抜糸した歯の一つ手前の奥歯が痛み、おそらく親知らずと接触しこれまで外気冷水に触れずにいた部分で虫歯だったと察す、それを若造に告げると治療して銀を被せるとHK$4,000也と、冗談じゃない。藪用済ませ二更にさすがに小食ばかりで小腹空き中環はGough St.の九記。夜な夜な九記に赴くにはQueen's Rd CentralとWellington Stが交わる処、丁度香港に唯一現存する地下式公衆便所がある、からWellington Stにちょっと入り香港珠寶の横丁、これがお先真っ暗にて怪人二十面相が隠れていそうな路地にて暗きなかに階段あり、遠くに裸電球の街灯あり階段の石畳を照らし、その石畳がかなり古いものにて人の往来でかなりはんなりとし、それが街灯の光でわかるのだが、ここは何度潜っても本当にソソラレる横丁。週刊香港のK氏が九記のある九如坊がかつて富豪が妾を囲った邸があり、そこに上るためにこの路地から入ったと書いていた記憶あり。帰宅して『天下無双の』読み続ける。