富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

春分の日、芹生ノ里寺子屋から関寺へ

辰年二月十一日。春分。気温摂氏▲0.5/15.8度。晴。神田淡路町(The Gollum)で 散髪済ませ歌舞伎座。開幕5分前で神田志乃多寿司の折詰めパクつき〈寺子屋〉幕見。

菊之助の松王丸。けして彼のニンではない、と思ふ。丁度二年前の三月に国立劇場での盛綱陣屋でも思つたが芝居は上手いのだが、或いは熊谷陣屋の直実とかの重いお役もさう。義経千本桜でも忠信はニンだが権太でも忠盛でもない。どれも彼の義父が得意としたお役。播磨屋のあの舞台を婿に期待するのだが。松嶋屋が盛綱、直実や知盛等を自らのモノにしたやうに役者高齢化の時代にあつて未だ半百前の音羽屋は重い役を演じるには若すぎるのかもしれない。源蔵は愛之助。こちらも半百は超えたが主君菅丞相の遺子守るため松王丸の子の首を刎ねただけの覚悟と気持ちの昂りとその堪へが足りない。松王丸が六代目なら中村屋XVIIが源蔵をどう演じたか。松嶋屋も源蔵を演じてこその松王丸だと語つてゐたところ。新悟の戸波が地味に上手い。萬屋時蔵系)は梅枝と萬太郎の兄弟が千代と玄蕃で好演。鷹之資(24)が涎くり与太郎をほんと図体だけ大きい子役で呆れるほど役になりきつてゐてあばらかべっそん。小太郎は丑之助君で天性の芝居上手は認めるが和事ぢゃないのだから戸波に手を引かれて出てきて座るまであまりに嫋やかすぎ。小太郎は松王丸の倅でこれから菅秀才の身替はりで……と諭され覚悟を決めた子どもなのだから、さうした中での所作はどうあるべきかお父っつぁんなりが教るべきだらう。「首実検」からの義太夫が葵太夫さんなので「一幕見にこれを」と選んだところでもあり。ご本人が呟板で書かれてゐたが今月は途中で咳と痰に悩まれた日もあつたやうで少し元気がないやうに思へた。この配役での首実検では葵太夫さんの義太夫にはまだ十分に応じられないかも。今月の昼の部は松嶋屋の〈御浜御殿綱豊卿〉でぜひ拝見したいところだが〈寺子屋〉一幕見で済ませ千駄ヶ谷国立能楽堂へ。そちら13時開演なので狂言花争はなあらそひ〉は間に合はぬと諦めてゐたが12:30に歌舞伎座を出て日比谷線(銀座)丸の内線(四谷)総武線で乗換へを最短距離で済ますのに車両まで考へて移動の結果、千駄ヶ谷の駅から走らずとも12:55に能楽堂着。

狂言〈花争〉はこの三月の番組が昨年発表になつたとき大倉流山本家でシテ(太郎冠者)則俊師でアドが倅の則重さんの予定だつたが則俊師昨年十一月にご逝去で則重さんの伯父にあたる東次郎師が出演と早くから告知あり。10数分の狂言だが舞台間に合つて本当に良かつた。則重さんの声の張りの良さ。観世ご宗家の〈鸚鵡小町〉は地謡で(さうなることはわかつてゐたが)地頭の桜雪師休演で副地頭だつた岡久広さんが地頭となり梅若紀彰さんが副に。この〈鸚鵡〉は謡が聞き応へあり。ワキは宝生常三師で〈鸚鵡〉では
 雲の上ハありし昔に変らねど見し玉簾の内やゆかしき
と帝が小野小町に贈つた御歌をワキとして謳はれる常三師の美声。舞でご宗家の謡がやたら威勢が良いが、それはもう百歳だらうが若い頃だらうが小野小町とは思へぬほど。ところで国立能楽堂今月のプログラム、売り場の張り紙に鷲田清一氏の随筆、妹尾好信氏による「残念な黒主、神となる」(これは稀曲〈志賀〉から大伴黒主に焦点当てたものださう)とあつた。見本はあつたのか見てゐなかつたがアトになつて村上湛君による番組解説が実に良いとネット上に書かれてゐて買ひ損ねた。

国立能楽堂に着く頃に小雨降り始め狂言の10数分のあとの中入りで中庭に本降りの雨。それが本日の番組終はり15時15分に能楽堂出るとまことに雨上がりの晴れ間。新宿へ。彼岸で常圓寺に墓参。柏木の花屋が祝日休で西口地下の日比谷花壇に供花注文してゐたが小田急の工事現場のまるで迷路で花店がすぐに見当たらず(小田急エース「南館」に移転)。雨雲が近づくなか常圓寺。寺務所で今年の護持会費納め墓参してゐると雨本降り。雨宿りして見上げた枝垂れ桜の木はまだ蕾も目立たず。昨年の3月19日がこんな見事な満開だつたのに。この寒さではまだしばらく待つことになりさう。新宿駅東口のベルクでハーフ&ハーフのビール一飲して西口の鮨いしかわへ。午後5時の開店で少し早く着かれてゐたN大兄からアタシの予約がどうやら入つてゐないと聞く。予約したつもりだつたが携帯の履歴にもない。午後6時半までなら!と入れてもらふ。啤酒で再開を祝しツマミは鯵とコハダ。日本酒それぞれ一合づつ手酌で鯛と鮪の赤身。握り数カンで干瓢巻き。寿司やはこれくらゐの長っちりナシが良い。N大兄は下落合生まれの小滝橋育ちで(逆だつたかも)大学が稲門だから新宿が地元。もう傘寿待つところだがまことに爽快なお人柄。復路の乗るつもりでゐた特急まで少し時間あり新宿で少し独酌して帰途につく。

映画『怪物』クィアをめぐる批判と是枝監督の応答

辰年二月初十。気温摂氏▲0.4/12.4度。晴。

荻上チキのラヂオ番組(TBS)で「技能実習制度」を政府が「育成就労制度」に見直す方針について(ゲストは鈴木絵里子さんだつたか)。この待遇条件「改善」につき、その一方で納税や社会保険料等の滞納があつた場合に定住/永住権の取消しなど規制強化もあること(当然だが日本人に同じ滞納があつても国外退去にはならない)。社会保険料の徴収については地方自治体がそのデータ管理してゐるが今後は外国籍については自治体のそのデータを入管が共有できるといふことに懸念もあり。政府は自民党の裏金には甘く外国籍には納税など極めて厳しい対処、と荻上さんの(だったか)コメント。

朝日新聞デジタル版で突然、是枝裕和監督の映画〈怪物〉に関しての長い対談が掲載された(15日)。あの映画の少年の描き方について“Queer”とか“LGBTQ”に関する表現や理解に問題があるといふ批評があり是枝監督がそれに応じての鼎談になつたのださう。2度ほどこの対談を読んでみたが何だかよくわからない。アタシは是枝監督といへば『誰も知らない』や『万引き家族』でも少年へのまなざし、そのビジュアルも含め描き方にかなり特質が感じられるから『怪物』も見てゐてストーリーが展開するなかで、その特質がちらり/\と性質を見せるなかで「あゝやはりこれか」と思つた程度だつた。どこが問題点なのか。

映画「怪物」のあらすじと公開までの経緯:朝日新聞

カンヌでの記者会見の席上「日本では性的少数者を扱つた作品は少ないと思ふが」という記者からの問ひかけ(この映画はLGBTQの映画である前提)に対して「テーマは他にもあると伝えるため」に「特化してゐない」と是枝監督がコメントしたことも物議をかもす契機となつたさう。また上映公開までメディアがそのクィア的なストーリーに言及することに所謂「ネタバレ」懸念する事務所側から箝口令が敷かれてゐた状況(なのださう)。

『怪物』は加害側の気づきに重きを置いているのもあって、クィアが受けている/過去受けていたであろう加害描写がいくつもあります。そうした映画を前情報なく観られること自体がマジョリティー側であるし、特権ではないでしょうか。まさに「今」、同様のアグレッション(無意識に行われた攻撃のこと)を受けている子ども──あるいは過去強烈な加害を受けてトラウマを抱えながらも生き残ってきたクィアが、何の情報も無く映画館で『怪物』を観たらフラッシュバックを起こすかもしれませんし、強い言い方をすると命の危険もあります。これは日本映画全体の問題として、観た者の痛みがあまりに軽んじられているように思います。自死や性暴力のシーンがあるのであれば、事前にアナウンスするべきです。送り手は受け手が必要な情報によって観るかどうかを選べて、受け取る準備ができるようにしてほしい。(坪井里緒)

なるほど(是枝監督も反省的に理解を示してゐるが)かういふ点に配慮が欠けてゐたといふことになる。たゞアタシの理解は、あのくらゐの年齢の子どもたちは「性に関心が目覚める」それが以前なら「異性に」とされてゐたわけだけれど、その時期は相手が異性だらうが同性だらうが子どもから大人になる段階で自分の心や身体の異変が何らかの形でアンバランスな感情や行為に表れ始めるわけだから、それをあまり好奇なる大人のまなざしでとやかくいふ必要もない、さらにいへば大人がそれを映画とか作品にすることすら危ふいことなのではないか、といふこと。それが是枝監督も二人の対談相手を前に

ゲイという具体的な言葉でまだ名付けられていない子どもたちとして描くことは坂元さん(脚本)とも話していた。まだ自分でも名付けられないからこそ「怪物」という言葉が外から入ってきてしまうことにしようと。

と何だかネタバレ以上に「性根バレ」とでもいはうかコメントもしてゐて、だからもうこの対談じたい何だかわからなくなつてしまつた。

映画を撮ることが社会参加である、という意識が、自分も含めて日本ではまだ希薄だと思います。そこも今後、変えていかないといけないところかもしれないですね。(是枝)

一度カンヌにいる間に僕自身は何かしら声明を出すべきだと思って自分の考えを文章にまとめていたんですが、結局自分の判断で引っ込めました。公開から長い時間が経ってしまいましたが、自分が何を考えたのかということはまとめて表に出したいと思っていたので、こういう機会をいただけて、改めてありがとうございました。(是枝)

朝日新聞もいつたいどういふ経緯でこの対談を編集もせず、そのまゝデジタル版に掲載したのかしら。ちなみにこの記事の「構成」はこの鼎談にも出てゐる映画文筆家の児玉美月さん自身である……となると朝日新聞は議論の場の提供だけなのかしら。

Re:Ron(リロン)- 朝日新聞社の言論サイト

何だかいろんなことがよくわからない時代になつてきた。「よくわからない」といへば河野太郎大臣おとゞがライドシェア推進の立場での発言で「日本国民の移動の自由が制限されている地域」だとか言つてゐた。これって「公共交通機関が十分ではない地域」のことか?それを「国民の移動の自由が制限」って表現できる、ってやはり小泉進次郎並みにかなり得意なOS搭載なのかしら。

徐嘉澤『次の夜明けに』(書肆侃侃房)

辰年二月初九。気温摂氏4.2/12.8度。晴。昨日が彼岸の入り。母を誘ひ家人と三人で菩提寺(神崎寺)に参る。強風(最大15.7m)で墓地を歩くのも大変。線香に火を点けるのも難儀のところ先日入手のライテック墓参ライター ジェットライター2は効能発揮。谷中の光台寺に墓参。幼いころ隣家だつた1つ上のH君は昨日が命日で一周忌。春の彼岸の入りに重なるとは。H君の家の墓は広い墓地の一番奥の方で彼の祖父が建立の墓は石の造形がとても個性的で見事。お昼近くなり東木蔵(那珂市)のだぼうへ。一組の差で開店の席に間に合はず「待ち」に。順番待ちでいへば先頭だが次に来た二人組が店の入り口の二人掛けの待合ひに坐つてしまひ母が杖をついて目の前に立つてゐても席を譲らず。もう一人数組後の老人も腰痛があり強風のなか外で待つのを厭ひ店内の入り口で立つてゐたが二人組はそれも一向に気にせず。20分ほど待つただらうか二人掛けの席が空きアタシらは三人なので店のスタッフに「次の二人連れの方を先にしてください、そしたらこゝが空いて坐つて待てますから」とかなり嫌味を述べたつもりが眼下の二人連れは嫌味をいはれたことも気づかず。母と、そのご老人が待合ひに坐つて、そのあと10分ほど待つたが先の二人連れは天せいろ食べたあとも待ち客がまだ何組もゐるのに延々と世間話で席を立たず。呆れて言葉もなし。

アタシはこちら(だぼう)に来ると、ご亭主がTBSラヂオ好きでTBSから送られてきてゐるTBSラヂオの広報誌があるので、それを読んで時間をつぶせる。


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お店のご亭主、女将さんに「すみません、お待たせしちゃって」と恐縮されたが待たされても、こちらの天ぷらと蕎麦は美味い。季節でたけのことふきのとうの天ぷら。


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もうこの冬最後かしら、と太打ちの蕎麦でけんちんそば。野菜がとにかく風味あつてすばらしい。折からの強風で店の前の畑はこれから蕎麦を育てるのだけれど砂嵐。このあたりでは春に何日か見舞はれるひどい土埃り。陋宅に戻り北の方を眺めると那珂市にあたる大地が強い西風で砂がひどく舞つてゐるのがわかる。その手前は那珂川で低地は水田のため土埃りが舞ふほどではない。

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徐嘉澤『次の夜明けに』(書肆侃侃房、2020年)読了。書肆侃侃房の現代台湾文学選の第1巻がこれ。著者の徐嘉澤は1977年高雄生まれ。国立高雄師範大学卒業、国立屏東師範学院大学院修了で現在も高雄特殊教育学校で教鞭を執りながら作家活動(2020年の情報)。本作が日本語での初訳の由。

複雑な台湾近現代史を、世代を超えた父子関係を軸に重装的に描いた作品。父子の対立と相互理解の中に、民主化外国人労働者、同性愛の社会運動などが網の目のように編み込まれている。

敗戦まで日本語で発行されてゐた新聞の記者が二二八事件で逮捕され保釈後廃人のやう。その夫を支へる妻・春蘭は呂春蘭といふ名を脱ぎ宮本春蘭となり、それをまた脱皮して小林春蘭になり林呂春蘭となつた……といふ僅か数行のディスクールなのだが、これで戦前から戦後を生きた台湾女性の人生そのものを語つてみせただけでも作者の表現の見事さ。この「変名」の事実だけで呂さんが日本人としての改姓で宮本となり(宮の字のアシが呂である)、小林となつたのは結婚があつて夫の姓で、その小林は元々は姓・林だつたので戦後はそれに戻る。彼女は日々恍惚の夫の世話をしながら二人の子どもを育てる。戦後すぐに生まれた長男は戦後に期待を込めて「平和」と名付けられる。中国語では「和平」だが「平和」なのは父親の日本、日本語への愛慕。二二八事件のときに生まれた次男は文字通り「起義」。弟は全く対話もしたことのない父親の意思を受け継いだやうに新聞記者から台湾民主化標榜する「党外」の活動家となり民主党政権誕生にまで精力的に活動する。弟からすると兄は寡黙で何を考へてゐるのかもわからない存在だが、この家族に纏わる短編がいくつも織り込まれた物語で、次の短編が突然、台湾での如何やらタイから出稼ぎにきた出稼ぎ労働者の奴隷の如き就労状況にあつて抵抗する彼らの話となり、そこに人権派弁護士として平和が登場する。起義の息子はゲイで、そのカミングアウト、それを受け入れられぬ父、父子の和諧、平和と起義兄弟の関係良化……まさに戦後台湾の歴史をこの家族で物語る。それが大河的な歴史物語にならないのが徐嘉澤の小説の構成の見事さ。一気に読ませてくれた←誤用

次の夜明けに (現代台湾文学選1)

ちなみにこの小説の原題は『下一個天亮』で訳者は、これを「次の夜明けへ」にするか「次の夜明けに」にするか悩んだのさう。「次の夜明け」を目標にする「へ」ではなく、そこで何があるのか、何をしてゆくのか、を託すニュアンスで「に」にしたといふ。台湾に行く機会があつたら、この原著(下一個天亮)や他の著作も購入して読んでみたいところ。

矢祭町の公共建築

辰年二月初八。気温摂氏7.7/21.2度。家人と二人で水郡線水戸駅発0923の列車で東館へ(1103着)。


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東館は昨年の夏に青春18きっぷで水戸→仙台を水郡線経由で実行したとき東館にある「奇妙な公共建築」が気になり機会あれば探訪してみたいと思つてゐた場所。本日はJR東日本ときわ路パス(大人の休日割引で1,670円)を利用。

このパス「ときわ路」名乗るが真岡鐵道なら栃木(下野)に入れるのに水郡線常陸大子の先、県境の下野宮で。下野宮→東館は追加料金。この列車水戸発は4両編成だつたが常陸大子で後ろ3両切り離され、その先は1両。東館で下車はアタシと家人の2人のみ。先づは東館駅前の〈矢祭もったいない図書館〉へ。「東北最南端の町」と謳ふ矢祭町の人口は5,327人(2023年3月1日現在)で図書館の蔵書は48万冊。町民1人あたり90冊。全国市区立図書館の平均蔵書数は134.9千冊(2019年)で1人あたりの貸し出し冊数は5.4冊なので矢祭図書館の蔵書がいかに多いかは明らか。

矢祭もったいない図書館は、平成19年1月14日に開館し令和5年1月14日に開館17年目を迎えました。
寄贈図書のみで開館いたしました「矢祭もったいない図書館」は図書館設置の理念である「もったいない精神」を受け継ぐことが原点と思っております。
図書館の設置は町民のボランティアにより図書の整理及び運営までを担っていましたが平成28年4月1日から町の運営になりました。
もったいない図書館の更なる読書の推進を図ることを目的に図書を増冊いたします。現在必要としている図書のみで新刊から3年以内に発行された図書のご寄贈をお願いしております。
受け入れしました資料につきましては広く利用に供して参りたいと存じますので、ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。

元々は矢祭町の武道場だつたかの建物で今も公民館と共用。小さな図書館だが本当に健やかな愛情に包まれてゐる。


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矢祭町は公共建設には資金投入だが町役場じたいは昭和の頃の建物そのもので堪へてゐるから立派。

合併しない宣言で有名な元町長は今…「国から目の敵に」:朝日新聞

町議会議員選挙がもうすぐだが町議会議員だつて全国で唯一「日当制」導入してゐたほど。

福島 矢祭町議会 議員報酬を日当制から月額制へ 16年ぶり|NHK

それが来月から町の財政安定を理由に月給制に戻されることになつたが、それでも月給20万円余で「議員が儲かる」ではない。

矢祭町の東館の中心にある町立矢祭小学校。設計は三上建築事務所水戸市)。コンクリート打ちっぱなしで外見は斬新だが実に機能的な設計。平成28年4月に町内の5つの小学校を統合して開校で8年目。町内各地からスクールバスで登校。建築を見ただけで、この小学校がどれだけ素晴らしいか、はよくわかる。職員室だつて校庭と校舎内に面して全面ガラス張り。勝手な参観でさすがに校舎内には入れなかつたが正門から校庭に勝手に入つて学校の様子が「見える」のが立派。


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矢祭町といふと風光明媚な矢祭山公園が有名だが交通の要所でもあつて水戸からほゞ水郡線と並走して郡山からは会津若松に至る国道118号線常陸太田を経て(旧棚倉街道)阿武隈高地から阿武隈川に沿つて宮城県柴田町にまで伸びる国道349号線がこの矢祭町で100mほど交はりもする。その交差点のところに位置するのが矢祭町の山村開発センター(福祉センター兼用)で、これが水郡線の車窓から見えて「こんな僻地にいったいこれは何だ?」と驚かされて、それが今回の矢祭町訪問のきっかけとなつた。


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とにかく南東北の山間にあつて他の周辺市町村との合併もせず「矢祭は矢祭」で自主自立、個性ある町政を行はうとしてゐる。その成果として全国でも有名な「もったいない図書館」や矢祭小学校のやうな充実した学校教育施設や福祉センターなどが維持運営されてゐる。

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矢祭町の公共建築ツアーは勝手にまことによろしいのだが東館にある町内でお昼に飲食店で営業してゐるのは手打ちうどんの山田屋食堂一軒(おそらく間違ひない)。当然かなりの盛況。出前の注文は対応できず途中から「電話に出るな」と親方。お昼はこちらで鴨肉うどんをいたゞいた。そして交通の便も水郡線は郡山〜常陸大子間は1日8便で(常陸大宮〜水戸間は1日19便)上りはアタシらが東館に着いたときに東館を発つた1103発の列車の次は1521発である。東館から観光地の矢祭山に行く路線バスもなく東館から1駅区間なのだが6kmほど矢祭山まで歩く。

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久慈川に沿つて平坦な道。途中はサイクリングロードもあり。関岡の集落を抜ける。今では山間にトンネルのバイパスもあるが旧道をかつては大型車まで走つてゐたのだらう。矢祭山が近くなると旧道はトンネルから出てきたバイパスの高架道の下に隠れる。

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矢祭町は奥久慈県立矢祭山公園が名所で、もうすぐ桜そしてツツジが有名。山肌の樹木がかなり薄い色なのはサクラの発芽なのだらう。それが満開を迎へると、こんな桃源郷のやうになる。

その頃からツツジの季節、そして紅葉は矢祭山を多くの人が訪れるは今日など日曜日だといふのに矢祭山に遊ぶ人たちは数へられるほど。


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川沿ひの公園にある木造の休憩所がとてもきれい。畳敷きの小上がりもあつて他に誰ゐないので、こゝでのんびりと読書して寛ぐ。


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1450に矢祭山を通過する下りの列車を狙つて構図も考へてスナップショット。これが背景がサクラ満開だつたら本当にきれい。

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1526に矢祭山を発つ上り列車で常陸大子へ。矢祭山から下野宮まで1区間の運賃を精算。大子町茨城県)も市町村合併しない町。どうせなら矢祭町(福島県)と跨境同盟結んでは如何か。袋田の滝矢祭山と両町とも観光資源もある。


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時間はあるのだが大子の町内で何かする術もない。古民家改造のカフェがあるくらゐ。そこで狭い町内から久慈川を渡り道の駅へ。

道の駅 奥久慈だいご 温泉に入れる道の駅

天然の温泉に浸かる(500円)。とても良質な少しぬる/\のお湯。入つたときにちょうど先客が出てアタシが出るときに数人が入つてきた。町中に戻り早めの夕餉。

大子の割烹料理|弥満喜

お昼なら奥久慈軍鶏のしゃも丼でも良いが夜なので奥久慈軍鶏の各部位を用ゐたすき焼きとする。これが肉がまことにさっぱりで美味。お酒は会津坂下の〈飛露喜〉を1本だけいたゞいてから横手の〈阿櫻〉を5合。


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もう完全に寝静まつた大子の町。1919に大子発の水郡線上り列車で水戸(2046着)に戻る。

甲辰年二月初七

気温摂氏5.1/16.9度。晴。昨晩の酒飲みで二日酔いでもないが少し酒が残つてゐる感じもして何よりもパソコンの画面を見てゐて(Macではなく出先で安物搭載のWindowsで、だつたが)目がしょぼ/\してかなり疲労感じる。まさに寄る年波には勝てない。

昨日の備忘録になるが、その①、昼に水戸駅で母に声を掛けられ母は大人の休日倶楽部ジパングカード:ビューカードの更新手続きに水戸駅に来た由。もう所有のクレジットカードが限られるので、このカードの更新をしてゐないと、のことだつたがビューカードで大人の休日時ジパングだと年会費4,364円でジパングなしのビューカードだと年会費524円なので後者にすれば良い気もしないではないが、まだジパングで旅をする意欲があるのは良しとすべき。

その②は昨晩の上野での宴会にて。岸和田兄が少し具合が悪いといふ話。そこで「岸和田って救急車が〈だんじり〉なの?」と尋ねたら(関東人ならツッコミは出来てもボケが下手なのだが)さすが関西人で岸和田兄は「2回に1回くらいやな」と受けるから、やはり上手。

安井仲治と吉村順三

辰年二月初六。気温摂氏0.3/18.3度。晴。昼から東京。

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生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真 | 東京ステーションギャラリー

初期のピクトリアリスムからリアリズム、フォトモンタージュそして街角のスナップまで十代半ばに写真撮影を始め38歳での夭逝まで20年ほどで驚くほどの様々な技法への変化。個人的には初期のピクトリアルな絵画のやうな作品が好き。技術的にも素晴らしいが何よりも「独自の被写体を見出す感性」こそ安井仲治の一番の魅力だらう。ちょっと見に寄つたつもりが安井仲治では1時間余でも時間が足りなく感じた。東京ステーションギャラリーも考へてみたら訪れたのは初めてだつた。

エルメス(丸の内店)で香水(テールドゥエルメス)購入。エルメスの入つてゐる新東京ビルなんて高層化の進む丸の内では昭和テイストの低層ビル。このあたり今では本当におしゃれなファッション店舗が並んでゐてディスプレイも春の装ひで眺めてゐても気分も軽やか。

東京駅近くで行きたいメンズファッションのお店 | Pathee

大手町駅から東西線東陽町竹中工務店本社にあるギャラリーエークワッドにて〈建築家・吉村順三まなざしアメリカと日本-〉参観。

建築家・吉村順三の功績を紐解く「建築家・吉村順三の眼」|美術手帖

吉村順三といへば日本の戦後のモダニズム建築の巨匠であつて皇居新宮殿だとか紐育のジャパンソサエティ国際文化会館なんて傑作が並ぶのだけれど実は箱根のホテル小涌園だつたり俵屋旅館、行川アイランドホテルフジタ京都から猪熊さんの家も吉村作品で遺作が八ヶ岳高原音楽堂。そしてこちらも吉村順三の作品で、といふか奥様がこちらの創立者の大村多喜子。

小さくても、こんなすてきな家に暮らせたらあつたら本当にステキでせうと思つたのがこちら。住宅遺産トラスト:伊藤邸(旧園田高弘邸)


竹中工務店は香港でも何人か竹中の方とお付き合ひあつたがアタシのなかではとても印象が良く東陽町の東京本店の建物もオフィスの中には入れないがロビーの空間性やミーティングスペースの解放感などステキ。

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湯島に出る。湯島といへば金曜日だし木村硝子店に寄りたかつたが「グラスをこれ以上増やしてはいけない」。見たら目の毒。久しぶりにバーEST!へ。午後5時過ぎで口開けかな、と思つたらもう先客あり。同朋町の雑多な飲み屋街の中にこんな空間がひっそりとあるとは。


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上野広小路組紐の道明と黄楊つげ櫛の十三やに寄る。「十三や」は珍しい屋号だが櫛で九(く)と四(し)足すと十三といふ語呂合せ。道明では根付紐など好みで誂へになるが急ぎもせぬので夏前迄は待つてもよい。十三やでは櫛と耳かき贖ふ。白山眼鏡店。眼鏡の柄のネジがすぐ緩むので調整。马来西亚より槟城君一時帰国中で岸和田兄と北小金君と四人で広小路の中華料理やで飲み会。啤酒をさんざん飲んで紹興酒、焼酎2本(いずれも四合瓶)もしかすると焼酎は3本知れない……你们喝那么多吗?である。この中華料理やは「四季香」で全国に数多ある四季香なのだが上野のこの店は池袋に本店のある(町中華に対しての)マヂ中華で名を馳せる人気店の上野店。かなりの人気。確かに香辛料の使ひ方などかなり本格派。水戸に着くと本日は青春18きっぷだつたので日付が変はつてをり水戸駅で「本日も続けてお使ひになりますか?」と確認され「使ひません」で(日付を越えた駅なのか)確か常磐線羽鳥駅からだつたかの追加運賃(420円)支払ひ求められる。

原武史「象徴天皇制を問い直す」(朝日新聞)

辰年二月初五。気温摂氏▲1.4/16.9度。晴。


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銀座で両膝鉤裂きしたズボンの補修仕上がり。よーく見ると修繕跡がわかるが遠目にはわかるまい。日本の誇る技術だわ。

天皇の「象徴」のあり方。平成期とは対照的な「動かない天皇」像が定着。平成の先帝の先覚的なる天皇のスタイル。あいまいだつた「象徴」のあり方を戦略的に確立したが、いはゞ「象徴天皇制のハードルを上げてしまった」。その水準を今上天皇と皇后はクリアできていない。しかし国民から天皇と皇后への批判や苦言はほとんど出ていない(意外)。天皇の存在感の希薄化に伴ふ国民の関心の薄れか。令和は令和で流儀の見直しなどしてゆくべき。

(皇室を)どう存続させるか、ではなく、そこまでして象徴天皇制を維持する必要性があるのか議論すべき段階です。血の純粋性をよりどころにした制度は多様化する社会の統合や包摂を担うメカニズムにはなり得ず逆に排除の論理になりかねません。むしろ右派が逆説的に存廃の話をしているのに左派リベラルは存続が前提の議論ばかりしています。「平成流」を過度に理想化し上皇戦後民主主義の擁護者かのように仰いでいるのも主に左派です。改憲派に対する防波堤的機能を期待する声すらあります。しかし、その時々の政治の否定勢力が天皇とつながろうとするのは二二六事件を起こした青年将校が抱いた理想に近い。筋違いも甚だしい。

近代の天皇制国家は国家神道の整備と大規模な行幸、学校教育によつて形成されたもの。メディアが果たした機能。平成期に天皇皇后が国民に寄り添うイメージを強く刻印。メディアは時代ごとに皇室の権威を高める役割を一貫して担つてきた。「天皇の地位は主権者である国民の総意に基づく」と憲法に明記されているがメディアはそのための自由な言論の場になつてゐない。あの特別な敬称や敬語。平成の天皇退位(おことば)もまるで第二の天皇人間宣言のように称賛されまたがそも/\「国政に権能を有しない天皇が政府や国会を通さず11分間も国民に直接語りかけ政治が動き立法がなされるというのは権威どころか権力の発露」あだが。それを問う声は主要メディアにはほとんど登場せず。新聞もテレビも皇位継承政教分離の問題を扱うことはあっても根源的な問題には踏み込まない。これでは天皇のあり方を決めるべき国民の中に冷静な議論は育たずタブーはいつまでも残つたまゝ。ジャーナリズムは本来の責任を果たすべき、と原先生。そしてそれを報じた朝日新聞は「パンドラの匣」を開けてみせたのか。

(記事編集前)原武史インタビュー:朝日新聞デジタル(以下、紙面記事に出てゐない点の要約)

明仁上皇(平成)
-積極的に行幸繰り返し国民に向き合ひ戦前とは違ふ新たな形態の〈國體〉が国民の中で内面化され天皇制はより強固に。〈象徴〉のあり方を戦略的に確立。よつてもその「務め」が全身全霊で果たせなければ退位。
-その行為により「象徴天皇制のハードルを上げてしまつた。

徳仁天皇(令和)
-疫禍とはいへ近代天皇制の歴史で天皇や皇族がこれほど長期間、国民の前に直接姿を見せなかった事態は異例。
-皇室のイメージが尚「平成流」に規定されてゐるが故に 天皇の存在感の希薄化に伴ふ国民の関心の薄れ。
-権威のhierarchyの不安定化。
-近代天皇制が明治以降の「創られた伝統」であることは歴史学専門の徳仁天皇ならわかるはず。見直すべきものは変えたり廃止できるはず。その新しい象徴像を打ち出す意欲が感じられない。
-退位の「おことば」で11回用ゐられた「国民」は誰を指すのか。移民や在日朝鮮人は含まれてゐるのか*1

万世一系」といふ近代の発想は敗戦と大日本帝国憲法改正で消滅したはずが旧皇室典範の骨格は現典範に引き継がれ、明治のイデオロギー墨守しやうとすればするほど皇位継承の危機に。この状況で悠仁親王と進んで結婚しやうとする人は現れるか。

万世一系イデオロギー*2と血の純粋性を拠りどころにした制度は多様化する社会の統合や包摂担うメカニズムになり得ず逆に排除の論理になりかねない。「和を以て尊しとなす」日本的共同性の「象徴」だった天皇はどん/\時代から遊離している。専ら「日本人」との紐帯のみ強めてきた「平成流」は、そういう意味でも乗り越えなければならない。

*1:これについては明仁天皇は皇室が朝鮮ルーツ言及してゐることに留意。富柏村

*2:岩倉具視が持ち出した万世一系という「血のフィクション」にしても南朝北朝のどちらを正統とするかというやっかいな問題を抱えており、歴代の天皇が確定したのは大正末期。それまでイデオロギーに見合う実体は未完成だった。幕末に倒幕の旗印になったのは事実だが「明治維新の過程で一気に天皇が国民統合の核になり近代国家が形成された」――そんな単純な話ではない、と原武史