富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

徐嘉澤『次の夜明けに』(書肆侃侃房)

辰年二月初九。気温摂氏4.2/12.8度。晴。昨日が彼岸の入り。母を誘ひ家人と三人で菩提寺(神崎寺)に参る。強風(最大15.7m)で墓地を歩くのも大変。線香に火を点けるのも難儀のところ先日入手のライテック墓参ライター ジェットライター2は効能発揮。谷中の光台寺に墓参。幼いころ隣家だつた1つ上のH君は昨日が命日で一周忌。春の彼岸の入りに重なるとは。H君の家の墓は広い墓地の一番奥の方で彼の祖父が建立の墓は石の造形がとても個性的で見事。お昼近くなり東木蔵(那珂市)のだぼうへ。一組の差で開店の席に間に合はず「待ち」に。順番待ちでいへば先頭だが次に来た二人組が店の入り口の二人掛けの待合ひに坐つてしまひ母が杖をついて目の前に立つてゐても席を譲らず。もう一人数組後の老人も腰痛があり強風のなか外で待つのを厭ひ店内の入り口で立つてゐたが二人組はそれも一向に気にせず。20分ほど待つただらうか二人掛けの席が空きアタシらは三人なので店のスタッフに「次の二人連れの方を先にしてください、そしたらこゝが空いて坐つて待てますから」とかなり嫌味を述べたつもりが眼下の二人連れは嫌味をいはれたことも気づかず。母と、そのご老人が待合ひに坐つて、そのあと10分ほど待つたが先の二人連れは天せいろ食べたあとも待ち客がまだ何組もゐるのに延々と世間話で席を立たず。呆れて言葉もなし。

アタシはこちら(だぼう)に来ると、ご亭主がTBSラヂオ好きでTBSから送られてきてゐるTBSラヂオの広報誌があるので、それを読んで時間をつぶせる。


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お店のご亭主、女将さんに「すみません、お待たせしちゃって」と恐縮されたが待たされても、こちらの天ぷらと蕎麦は美味い。季節でたけのことふきのとうの天ぷら。


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もうこの冬最後かしら、と太打ちの蕎麦でけんちんそば。野菜がとにかく風味あつてすばらしい。折からの強風で店の前の畑はこれから蕎麦を育てるのだけれど砂嵐。このあたりでは春に何日か見舞はれるひどい土埃り。陋宅に戻り北の方を眺めると那珂市にあたる大地が強い西風で砂がひどく舞つてゐるのがわかる。その手前は那珂川で低地は水田のため土埃りが舞ふほどではない。

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徐嘉澤『次の夜明けに』(書肆侃侃房、2020年)読了。書肆侃侃房の現代台湾文学選の第1巻がこれ。著者の徐嘉澤は1977年高雄生まれ。国立高雄師範大学卒業、国立屏東師範学院大学院修了で現在も高雄特殊教育学校で教鞭を執りながら作家活動(2020年の情報)。本作が日本語での初訳の由。

複雑な台湾近現代史を、世代を超えた父子関係を軸に重装的に描いた作品。父子の対立と相互理解の中に、民主化外国人労働者、同性愛の社会運動などが網の目のように編み込まれている。

敗戦まで日本語で発行されてゐた新聞の記者が二二八事件で逮捕され保釈後廃人のやう。その夫を支へる妻・春蘭は呂春蘭といふ名を脱ぎ宮本春蘭となり、それをまた脱皮して小林春蘭になり林呂春蘭となつた……といふ僅か数行のディスクールなのだが、これで戦前から戦後を生きた台湾女性の人生そのものを語つてみせただけでも作者の表現の見事さ。この「変名」の事実だけで呂さんが日本人としての改姓で宮本となり(宮の字のアシが呂である)、小林となつたのは結婚があつて夫の姓で、その小林は元々は姓・林だつたので戦後はそれに戻る。彼女は日々恍惚の夫の世話をしながら二人の子どもを育てる。戦後すぐに生まれた長男は戦後に期待を込めて「平和」と名付けられる。中国語では「和平」だが「平和」なのは父親の日本、日本語への愛慕。二二八事件のときに生まれた次男は文字通り「起義」。弟は全く対話もしたことのない父親の意思を受け継いだやうに新聞記者から台湾民主化標榜する「党外」の活動家となり民主党政権誕生にまで精力的に活動する。弟からすると兄は寡黙で何を考へてゐるのかもわからない存在だが、この家族に纏わる短編がいくつも織り込まれた物語で、次の短編が突然、台湾での如何やらタイから出稼ぎにきた出稼ぎ労働者の奴隷の如き就労状況にあつて抵抗する彼らの話となり、そこに人権派弁護士として平和が登場する。起義の息子はゲイで、そのカミングアウト、それを受け入れられぬ父、父子の和諧、平和と起義兄弟の関係良化……まさに戦後台湾の歴史をこの家族で物語る。それが大河的な歴史物語にならないのが徐嘉澤の小説の構成の見事さ。一気に読ませてくれた←誤用

次の夜明けに (現代台湾文学選1)

ちなみにこの小説の原題は『下一個天亮』で訳者は、これを「次の夜明けへ」にするか「次の夜明けに」にするか悩んだのさう。「次の夜明け」を目標にする「へ」ではなく、そこで何があるのか、何をしてゆくのか、を託すニュアンスで「に」にしたといふ。台湾に行く機会があつたら、この原著(下一個天亮)や他の著作も購入して読んでみたいところ。