富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

佔領金鐘

農暦五月初十。雨。朝餉で食後に台湾愛文芒果頬張つてゐるとテレビ報道は金鐘からの実況中継。

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立法会で逃犯条例改修再讀にあたり昨晩から香港市役所周辺に怒れる若者たち集結で今日早朝から警察と小競り合ひの後、幹線道路に溢れ道路占拠。

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警察は市役所、殊に立法会の警備に重点置き2013年の雨傘運動彷彿させる道路占拠は放置モード。さうしておけば「暴力的な若者たち」はまた世論から厭はれるか。米国総領事館から日曜のデモでは注意喚起なかつたが今日は金鐘で混乱予想され米国民に対して不意に近づかぬやうに呼びかけ。

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今日は現場に「野餐」に行つてもいゝかと思つてもみたが(昨晩、ピクニック用のリュックも久々に出したが)とてもそれどころぢゃない。金鐘周辺の銀行や企業は営業停止。立法会も朝イチの工作小組の会議取り消しで立法会開催も順延。泛民主派の議員らが道路占拠現場にあらはれ議会延期と市民の抗議活動成功に頭下げるが、こゝで「今日は一定の抗議成果あつた」と道路占拠をあっさりと撤収させたら凄いことなのだが、それが出来ない。建制派は出て来ず。「己の言葉持たぬ」証左で結局のところ指示に奴隷の如く従ふだけで己の判断では何もできず。午後遅く金鐘の現場に出かけてみる。学校早めに上がつたのか学生の姿多し。十代前半の男子がぽつんとゐたり。日本の中学生にはまずピンとこないだらう。知己の娘さんは学校で「デモに行くのは自己責任で。個人の意思を尊重します」と校長が宣つたのだといふ。危うく「支持します」と言ひさうになつて「尊重」と訂正の由。日本で校長がこれを言つたら吊るし上げ。雨傘運動彷彿の物資の豊富さと若者たちの役割分担のてきぱきぶり。これは香港人のDNAなのか。マスクから飲料水、冷えピタから皮膚保護用のサランラップまで。それにしてもマスク着用が目立つのは、やはり今日日「顔認証」対応なのかしら。

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ぐるりと一帯を回つた感じでは危険感なし。香港市役所、殊に立法会防御の警官も同僚と雑談したり市民と話す者もあり。

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 賛美歌歌ふ基督者たちと対峙する神妙な表情の警官たち。あちこちで「撤回!撤回!撤回!」といふシュプレヒコールが高層ビルに谺する。

小一時間の実地検分で金鐘廊の方に歩道橋渡らうとすると対面から武装とまではいはぬが防御服やヘルメット、ゴーグル姿の警官が何十人と現場に向かふのに遭遇。催涙弾銃など抱へ、この社中は道路占拠者一蹴のための部隊か。中には目を真っ赤に腫らした泣き顔の女史警官もをり。任務とはいへ怖さもあれば心の葛藤もあらう。金鐘のビル街に入るとQueensway(金鐘道)も自動車通行止め。それなら、と金鐘廊をFairmont Houseまで戻り花園道に歩道から車道へと入る。全車線通行止めといふか自動車が来ない。

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1997年7月1日に江沢民さま来港の時に、この坂道が一瞬、自動車通行が一切なくなつてゐた時のこと彷彿。金鐘の方でわーっといふ声と遠くだが道路占拠の連中が逃げるやうな影が見える。何かしらの「排除」始まつたのかしら。何台かの救急車のサイレン。ジムで運動してからFCCへ。さすがに今日は現場で取材する記者多し、か早晩のバーは閑散。地元テレビの報道チャンネルの他、CNNもBreaking Newsで香港の現場から生中継。

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先ほど一時間前にはあれだけ市民の溢れてゐたHarcourt Rd(上画像左)が警察の武力部隊により催涙弾や胡椒スプレーで市民一層されるゐる(上画像右)。香港市役所は今回は雨傘運動の二乃舞にならぬやう早期の事態沈静に強気は明らか。報道で政務長官のメッセージが流れる。反対派の主張があるにせよ市民生活に深刻な影響ある道路占拠は直ちに中止して歩道に戻るやうに、と。さうはいかぬが抗議活動。行政長官リンテイゲツガがマスコミのインタビューに答へるところ逃犯条例で市民の間に疑問、蟠かまりや反論あるのもわかるが、その意思表示は理性的であるべきで暴力や道路占拠といつた実力行使は許容されるものではなし、またこの条例については立法会で盛んな議論続けたきたもので政府としてはこの改修合意にもつていきたいといふ意向は譲れぬ、と強気。更に「香港のためにどれだけ自分を犠牲にしたか」と涙ぐんだり、この逃犯条例改正のきっかけは台湾での加害者(男性)も被害者(女性)も香港人の殺人事件で、この加害者が香港に逃げたことで台湾での逮捕ができなかった、被害者家族のためにも条例改正で引渡し可能にする……と。その上、自分も二人の息子の母親として若者がかういふ運動で危険な目に遭つたら……とか余計なお世話も甚し。かういふ人は持論でかなり頑なに逝けるタイプなので困つたもの。

f:id:fookpaktsuen:20190612224543j:plain路線バスが路線変更や渋滞でMTRはいつもの帰宅ラッシュ以上にかなりの混雑。太古まで来てみると路線バスの運転手も行き先が道路封鎖中で、どこをどう抜けるかを確認中……難儀。報道チャンネルの現場中継、これは解説もなく延々と現場映すのがシュールにリアル。道路占拠の黒衣青年らは金鐘から排除され中環、湾仔方面に。中環の中心部では自家用車を交差点に止めたまゝで道路封鎖解除に抵抗する輩もをり。晩八時半だか行政長官リンテイゲツガが政府広報通じ映像で声明発表。

今日金鐘一帶發生嘅場面令人痛心,任何法治社會都唔能夠容忍呢啲破壞社會安寧、罔顧法紀嘅行為。佢希望社會盡快回復秩序,唔好再有人喺暴動中受傷,又深信可以用平和、理性、守法嘅方式去解決問題。

この主張は真っ当。たゞ問題は、その法治が脅かされてゐるといふことなのだ。夜半になり黒衣青年群と警察の小競り合ひもないが膠着状態。金鐘站も封鎖。
▼6月17日から蘋果日報デジタル版有料化の由。これまでかなり早くから紙面の全記事をネット上で配信し太っ腹なところ見せてゐたが紙の新聞が売れぬ上に蘋果日報は反政府系で且つ財閥系の醜聞もどし/\載せるから広告掲載敬遠され広告収入減少が痛いと社主の黎英智。そこでのデジタル有料化はNY Times等の成功を見てのところ「ゴシップ中心の蘋果有料化で誰が読むか?」といふ声も強し。面白可笑しい記事も"There ain't no such thing as a free lunch"でただ読みは甘いところで而も「中共の香港」で反中共、反権力といふ姿勢で報道の自由守るのだから共鳴する読者は多少の費用負担は当然か。

農暦五月初九

未明にひどい雷雨。朝六時丁度にドドーン!と雷鳴一発。昼間は時折小雨程度だつたが燈刻にまた大雨。

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湾仔を歩いてゐて鶏肉屋で鶏一羽がHK$200(2,800円)〜には驚いた。活鶏を今さっき捌いたやつで高目なのだらうが。20年ほど前にHK$50も出せば上等な活鶏が買へた記憶。


ジムで運動するときにスマホとかで音楽聞いてゐる人は多いがアタシはトレッドミルで走りながらでも落語がいゝ。昨日は志ん朝師匠の「宗珉の滝」、名人とは?といふマクラから入つて、それこそ、この噺なんて志ん生志ん朝しか考へられず、今でも誰かやるのかしら……でも無理があるでせう、きっと。今日もジムでyoutubeで落語をかけたら押し間違ひで談志。たまには談志でもいいか、と思つたら、やっぱりダメ。何だか走る気まで失せちまつた。

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中環にあつた馴染みの珈琲豆問屋が九龍湾の工業ビルに引っ込んでしまひ注文はSMSで、支払ひは早速Alipayで、さうすると順豐で翌日配達、自宅は不在がちなので初めて順豐の宅配ロッカー(太古の岡田屋(Aeon)入り口)を利用。便利ではあるが土曜午後に散歩しながら珈琲豆買ひに行く楽しみがなくなつてしまつたのが残念
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今日も大公報は日曜日のデモ解散後の香港市役所襲撃が「武器」持参も含め計画されたもので背後に泛民主派潜む……と暴動ぶり躍起となつて報道。それにしても今回の逃犯条例につき立法会の審議支持や市民デモと「暴動」での警察への秩序維持への感謝等、親中土共団体の提灯広告「これでもか」といふくらゐ澤山。1頁大のこれを17頁も見せられたらさすがの親中派人士も食傷気味では?

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▼日曜日の103万人デモ(主催者発表)の参加人数について。今日の蘋果日報に湾仔でHennessy Rdに面したビルの上からデモ行進を映像データで撮り、これをAI使つた計測で52万人といふ記事あり。

AI實測:52萬人行經灣仔 未計分流駱克道及插隊遊行者 | 蘋果日報 | 要聞港聞 | 20190611

これには湾仔のこの地点以前、以降での部分参加者やLockhart Rdなどに流れた分流などは計測できぬので実際にはそれ以上の参加者といふ見方。また副刊連載で「林夕」が紹介してゐる人数計算も興味深い。警察はデモ全体で最大の参加人数を24万人としてヴィクトリア公園出発は15.3万人としたがデモ参加者が公園を出るのに午後2時過ぎから6時間も要したのだから、この15.3万人といふ数字も怪しいところだが
1平米に密集で4人(それでも通勤ラッシュの電車より余裕あり)
ヴィクトリア公園のデモに解放の敷地面積(サッカー場6個分)5万平米
よって5万平米×4人/平米=20万人
銅鑼湾から中環の道路6車で幅はサッカー場とほぼ同じ、長さは50倍
サッカー場1つには3.3万人で50倍すると160万人余
これに係数をどうするか、だが50%としても80万人となる。アタシも一昨日の日記に

対2003年対比で主催者側が2倍とするのも大袈裟としても警察の7掛が係数だとしたら70万人か、少なくとも2003年の35万人÷0.7で50万人あたりが適正なところか。いずれにせよ香港開闢以来の反政府デモであることだけは確か。

と綴つたが70万人くらゐが実数ではないかしら。それでも人口の1割。1989年の天安門事件追悼も100万人といはれるが、おそらく総人口の1割が都市機能が正常のまゝのデモや集会開催の限界値なのではないか。子どもも年寄りもをり、これを超へると小売店や公共交通機関など従業員も足りず都市が機能しないはず。ショッピングセンターから客が消えてしまふ。それでも、これを100万人デモと象徴的に呼ぶこととしよう。

農暦五月初八

曇。燈刻にジムで運動。北角の食料品店で安いウヰスキーと馴染みの新聞スタンドで明後日の競馬予想誌贖ひ帰宅すると大風でひどい驟雨。久々に陋宅ハイボール飲んだところ先々週金曜の銀座さんぼあの、あんなに見た目粗く見えるお作法の角ハイが何故にあれほど美味いのかしら、とたゞ嘆くしかなし。
▼未明まで続いたといふ香港“市役所”付近での若者と警察機動部隊との小競り合ひ、かりに、の話だが昨晩の100万市民デモお終ひの時点で民陣(民間人權陣線)率ゐる若き岑子杰であるとか、朱耀明牧師、陳日君元枢機卿或ひは梁“長毛”國雄君が香港役場前で怒れる若者たちを前に「今日の示威は成功裡に終はりを迎へる、若者たちよ、今日の怒りを明日の糧に、さぁお帰りなさい」と語り、若者たちがそれに従ひ“Les Misérables”の「民衆の歌」でも歌ひながら涙ながらに帰路についたら昨日の運動は更に世界に「香港は平和を望む」と、とんでもない成果を示したことだらう。だが「民衆運動は失敗しなければならない」のが権力のテーゼで大団円は期待されてゐないから「やはり」本来の目的から外れた破天荒な混乱で、それが権力により収拾されなければいけないのかしら。今日の大公報はこのデモの後に香港市役所攻撃がどれだけ暴動であつたか、を懸命に伝へてゐる。

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市民運動を「暴動」とすることが天安門事件でもさうだつたが中共のいつものお作法。香港でマスコミ関係や研究者で香港民族党が何うも怪しいといふ声少なからず。雨傘で突然発生し最も敏感で過激な議論しかけ運動から一般市民、リベラル層を乖離させていつたが今回のデモ終了後の騒動でも誰が何をしかけてゐるのか、は「無間道」の世界、まさに不明、不明。

中共の外交部スポークスマンは香港の市民デモの人数について正確なものではない、数字に根拠はない、としつゝ「香港政府の逃犯条例を支持する市民の署名は80万人に達しており」と、それこそ親中団体が何うやつて集めたのかもわからぬ署名で根拠ないこと明らかなのだが。数字は上手いやうに使はれる。

香港市民にとつての政治デモをじつによく見つめてゐるSCMPの記事。

六九「反送中」103万人デモ

農暦五月初七。朝、驟雨。朝餉の際に金曜晩のタモリ倶楽部(新よだれ鶏決定戦)見てゐたら四川料理の「口水鶏」といふ名付けが郭沫若なのださうで「郭沫若は中国の近代の有名な作家さんです」と紹介あり「作家」には違ひないが中国で20世紀代表する知識人、文人であり「作家さん」といはれると何だか放送作家のやう。この特集は花椒と辣油を用ゐずに現代版の美味い口水鶏を作るといふ他愛ないものだがゲスト(阿佐ケ谷姉妹)が使ふ香辛料に「ヘンプシード」といふ日本語で聞き慣れぬ言葉ありhemp seedなら「麻の実」で成程、日本ではヘンプなる英語は通用せぬので麻の実をさう言ひ換へがあるのか。午後から銅鑼湾に出街。今日は六九で「反送中」の市民デモあり。

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雨傘運動の失敗で縮小傾向にあつた市民の反政府世論が今回の逃犯条例では行政長官リンテイゲツガらの横柄、中共(中聯辦)の執拗な介入もあり今日のデモは盛り上がるのでは?と予想されるところ。銅鑼湾まで乗つて来たMTRは日曜午後にしては混雑もしてゐるし天后でそれなりに多くの乗客が降りたのはデモ参加のため。「それでも」2003年の50万人デモの時にはMTRのなかで乗客が自分も含め黒シャツばかりで「えっ……こんなにデモ参加の人がゐるの?」と驚いた表情でアタシも乗つてゐた地下鉄は車内放送で「天后站構内混雑のため臨時で通過」とアナウンスあり銅鑼湾まで連れてゆかれた。今日は「まだ」そこ迄の大群衆にはなつてゐないか、とタカ括つてゐたら銅鑼湾站はホームで湾仔側出口に誘導あり、それでも「そごう」側に向かふとコンコースで既にヴィクトリア公園方面へのE出口は封鎖で「そごう」側も封鎖、唯一、Hysan Place側へと誘導される。

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アタシは古書肆写樂堂に新刊、文庫など15冊ほど売却なので丁度良かつたのだが。写楽堂での査定で一部は買取り難でHK$40となり古書肆も地道に頑張つてゐるわけで代はりに沢木耕太郎『キャパへの追走』を新古書HK$45で入手。沢木『キャパの十字架』は読んでゐるが、この『追走』にはチョートク先生の解説と著者による「解説のための解説」があつて面白い。さて写楽堂をJardine’s Crescentの路地に出て「そごう」前はHennessy Rdの西行きはデモ行進開始まで1時間あるが自動車も通行規制されてゐるばかりか「そごう」側に横断歩道も閉鎖。

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随分先の歩道橋を渡れと警察の指示あり。地下鉄構内も混雑で入れず反対側になど行けたものではない。

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仕方なくヴィクトリア公園方面にHennessy Rdから続くYee Wo街を歩き始めると道路に歩行者が溢れてをり路線バスやトラムも立ち往生。デモの際に集合場所のヴィクトリア公園への表参道の如きGreat George街には市民団体の大物が壇上でアジ演説(画像は梁“長毛”國雄)。

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それにしても2003年の50万人デモの時でも、この「そごう」前でデモ実施中でも道路横断できたし好きに好き勝手に動けたが今日は下手するとそれ以上の盛り上がりになるのでは?と実感。デモ行進は午後3時開始の予定が警察の要請もあり主催者(民陣)が前倒しで14:20すぎにはデモ先鋒が公園からCauseway Rdに出て行進始めたのが遠くに見える。

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当方は人の流れでヴィクトリア公園に入つたが、これまで何度か市民デモの現場には来てゐるが出発地の公園に入つたことはなかつたのは公園出口が狭く何時間もデモ参加者がこゝで待たされるからで、警察は制限なくデモが公園を出ると道路は片側通行規制のため危険であるからとして、更に途中からデモ参加せぬやう呼びかけは警察が公園出発人数をデモ参加者数としたいがためか、いずれにせよ公園内は今では市民デモは中央の芝地しか借用できず、そこにも何万の人出。

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すると痺れ切らした人たちが垣根越へ借用してゐないサッカー場(2003年の時は親政府側がサッカー場借り切り閑散としてゐたもの)に入り込み、警察も一応は制止してゐたがダムに小さなヒビ入つたが如く直ぐに多くの人々がサッカー場に溢れ、そのまゝCauseway Rd側に出ようとするがデモ出発は天后站側のゲートに制限されてゐたところ、こゝも人出多数に警察数名ではすぐに制限も解除され路上に。

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アタシもそれに乗じて公園脱出なつたが今度は出たところが東行き車線で自動車や路線バスが人波に呑まれ立ち往生、そこを縫つても今度はトラム(市電)の軌道で警察がそこを越へての西行き車線へのデモ合流は認めず「開路!開路!」とシュプレヒコール上げるデモ参加者との対峙。

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すでに銅鑼湾では東行き車線もデモの群衆が溢れたやうで、それならヴィクトリア公園横のこゝだけで警察が通行止めしたところで孤軍なのだが警察は「これ以上のデモ参加者が銅鑼湾に向かふと危険なので、こゝで制限が必要」とする。30分ほどして、やつとこゝの解除も解かれ歩き始める。


それにしてもデモが進まない。いつものことだが銅鑼湾の「そごう」に向かふ道路が一番細く、その先は片側3車線でトラムの複線もあり開豁となるのだが「そごう」前が関所で、そこが詰まる。首都高でいへばかつての箱崎

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本来のデモはそれにも負けずデモ行進にゐるべきだがアタシは意思が弱いやうで銅鑼湾の手前、リーガル香港ホテルのところでデモから脱落してLeighton Rdに抜けてみるが、この道路も西行きは自動車走れるが東行き、それにこの一帯の横道ももはや歩行者天国。時計を見るとすでに午後5時。写楽堂で本を売つてから3時間経過してゐたことになる。さういへば今日は此処から50mほど離れたエリザベス体育館で卓球の香港オープン開催中で日本から張本智和が今ころ決勝戦の最中。まだ若いが出自は中国で日本育ちの彼は香港のこの状況に何か感じるところありやなしや。銅鑼湾から湾仔に向かふ鵝頸橋の高架下は市民デモがあると恒例で、此処は親政府派、親中派がデモに向けて抗議が盛んな場所なのだが今日は、その社中も出動してをらず(午前中に香港政府にて「香港を犯罪者天国にするな」と請願書渡したのみ)。

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英国旗、中華民国旗も堂々と振られては中共にとつても忌忌しいところ。湾仔に入るとヘネシーロードのデモに対して電車道のJohnston Rdも自動車もたまに走つてはくるがデモの本流を外れた人たちの先を急ぐバイパスとなつてゐる。明らかに2003年の50万人デモの時よりも参加者が多い。

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本来はここから更に政府総部の終点までがデモだがアタシはこゝで退散を決め湾仔站のところで雨傘運動首謀者で唯一、有罪での収監免れた朱耀明牧師の演説を少し聞き帰宅。

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晩にNHKスペシャル | 天安門事件運命を決めた50日を見る。先日、私訳した嚴家祺の文章の指摘にもあつたが「たられば」だが1989年の天安門の学生たちの動きで異常が見られたのは4月26日の人民日報社説で、あれが「動乱」とされたことによるもので、それが趙紫陽北朝鮮訪問中に李鵬が仕掛け鄧小平がそれを認めたもので、学生たちもよもや人民解放軍が運動を武力で鎮圧し殺戮も辞さぬとは思つてもみなかつたところの悲劇。いずれにせよ、あれから中共一党独裁と人権、自由の抑圧強化が続き今日に至り、香港もかうなつたもの。2003年の50万人デモは香港基本法23条に基づく治安条例制定反対で当時はあの制定は最悪と思はれてゐたが今となつてみれば少なくとも治安条例では何か法に触れても香港の司法下にあるもので、それが今回の逃犯条例では香港の司法など蔑ろでいきなり中共のお沙汰となるのだから。中共民主化どころか香港の民主化運動も過激化すれば国家転覆企図となり、商行為も中国で睨まれれば香港でもクロとなり、かうして中共一党独裁が云々と書いてゐるだけで外国人とて睨まれては……の世界。それが今回のデモが2003年を上回るといふ状況を引き起こす。ヴィクトリア公園を発つた最後尾は午後7時半、つまりデモ開始から4時間経つての出発だつた由。

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今日のデモ主催した民陣は夜になり103万人がデモ参加と発表し午後10時にデモ終結宣言。興味深いのは警察発表で、今回は最大で24万人が参加とするところ。2003年の50万人デモで警察は35万人とし、その差は7掛だつたのだが、その後、デモの規模は主催者側と警察の数字と乖離が著しくなるのだが今回が2003年の35万人の約7割にあたる24万人参加といふのは余りに非現実的。対2003年対比で主催者側が2倍とするのも大袈裟としても警察の7掛が係数だとしたら70万人か、少なくとも2003年の35万人÷0.7で50万人あたりが適正なところか。いずれにせよ香港開闢以来の反政府デモであることだけは確か。デモはお終ひだが政府総部に居残つた若者らが立法会前で警察と小競り合ひ。

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深夜にもつれ込み武力衝突で警察の胡椒スプレーも発散で機動隊が若者らを強制立ち退きさせGloucester Rdに出張つた若者らは旧湾仔警察署まで後退、未明まで警察との攻防あり。ところで本日のデモにつき在香港の日本総領事館からの注意喚起。

デモ行進や集会の会場等には近づかないよう注意し、デモ隊や群衆に遭遇した場合には、直ちにその場から離れ、安全な場所へ退避するよう努めてください。

この「デモ隊」や「群衆」とはフツーの香港市民なのだが……。このフレーズ、雨傘の時も他の大規模デモの時も一緒。市民デモは暴動に非ず。但し一部が過激化する可能性は当然のやうにあり(事実さうなつた)注意喚起なら「そこ」であり、寧ろこの大規模は市民デモによる公共交通機関の混乱や道路渋滞等の支障に留意呼びかけこそ適切なのでは? ちなみに米国総領事館は今日のデモに注意喚起出ておらず。

農暦五月初六

晴。土曜朝、蘭桂坊は金曜夜からの気狂ひ騒ぎのあと早朝にはよく路上が掃き清められてゐるといつも思ふ。蘭桂坊の坂にある広島?「食材本来の旨味を極限まで引き出した最強とんこつ醤油」が売りの「覇嗎」ラーメンは覇嗎を「ばりウマ」と読ませる由。

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香港で6店舗だか経営でノリは良いが朝で「ちゆうけいきゆう」であつた。

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午前中FCCにて週末の新聞読み。書き物。昼餉(spaghetti alla carbonara)まで済ませてジム。トレッドミルで走る。午後遅く中環の寄席で高座に上がり一時間半。中環の電梯を上がり始めると家人よりPMQのGinsanityは芋を洗ふが如き混雑と。この企画、GinとInsanity(狂気)を組み合はせてゐるが酒文化も随分と浸透した香港でもジンの普及は今一つとジン好きの連中がジン扱ふ問屋に声掛けジン普及ださうでジン好きのアタシも珍しいジンの試飲でも出来るかと思つたがPMQに着いてみると混雑と、その人いきれでとてもゐられたものぢゃない。

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ジン試飲のクーポン買ふにも半時間は並ぶだらう長蛇の列。そこまでして茹つて飲む気もせず退散。荷里活道歩き上環東街の源興で香料購ひ店猫愛で市電で石塘沙へ。山道高架下の永利清湯腩で鴨粉啜りThe Junk Yard Dogで冷たい瓶啤酒飲む。

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帰路のMTRがまるでウルトラセブンのやうな色の世界。

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▼用あつてダイアモンド社『地球の歩き方』香港の最新版を購入して読んでみたのだが知らぬレストランや小売店など数多いのは当然として「香港映画」の紹介のコメントの正確さには驚いた。

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旅行者相手の情報とは思へぬシビアな香港映画の現状についてのレポート。

あれだけホモフォビアであつた新加坡の李光耀(リークワンユー)王の孫が同性婚とは。興味深いのは新加坡の李王朝でありながら、このゲイ孫の父・李显扬は兄で首相の李显龙と仲違ひしてゐるさうで息子の同性婚にも「父(李光耀)はとても喜んだだらう」とコメント。新加坡は開発独裁で政治的自由も制限されるが中共同様「政治以外」には寛容とはいへぬが黙認でガス抜きあり同性愛についてもPink Dot SGといふ団体の活動など盛ん。少なくとも同性愛が刑法に触れ、といふことはない。

香港も今世紀に入り歴史的建造物保存にやつと本腰上げてはゐる。そこでこの記事が取り上げてゐるのは戦後のコンクリート建築の保存如何。銅鑼湾エクセルシオールホテル(1973年建立)は取り壊して複合ビル再建決定。このあと中環の徳成大厦(1959年)や湾仔の友邦大厦(AIA、1969年)など老朽化した民間の高層建築も再建検討あり。徳成大厦は中環でも鉄筋高層ビルとしては黎明期の建築でかつて日本総領事館や香港航路就航後の日本航空香港支店など入居したビルで外装はとくに目立たないがG階ロビーの古典的優雅さなど格別。AIAの建物も湾仔からStubbs Rdの上がり口の傾斜地に鉄筋コンクリートの躯体強度で高盃のやうな未来主義の威容誇る……が、これを保存するかだうかは微妙なところ。東京でいへば鳥居坂国際文化会館も保存か建て替へか論議の末、この建物の近代建築としての歴史的意義で保存の上、持ち上げで地階改装となつたが、高層建築の場合、建てかへの如何しか選択肢なし。

農暦五月初五。端午節。

端午の日は毎年のやうに快晴猛暑の印象あり。今年もその例に漏れず外出厭ふ日差し。明日久々に高座で午後まで慌てゝのネタ仕込み。外は肌を炒るやうな暑さ、ミニバスでジムに往きトレッドミルで走る。強烈な冷房で冷へ肩が凝るのだから現代はなんて不健康。夏空の下、肌黒く走り回つてゐたころが懐かしい。早酒。ふと何の記事だつたか007で、恐らく新作の宣伝か、いずれにせよ昭和42年の「007は二度死ぬ」で、これは日本を舞台にエージェントの丹波哲郎浜美枝も活躍で丹波が地下鉄丸ノ内線に専用列車がイカしたところ、冒頭は香港でジェームス=ボンドが怪しい女を同衾のところ殺される場面からのスタートで、何度も見た映画だが、その香港シーンの印象薄くApple TVで、そこから前半を眺める。テレビの前に座つてしまふと慣れたもので先週末の「ブラタモリ」のちばらき編、タモリ倶楽部、今週初の「マツコの月曜から夜更かし」見る。ブラタモリ鹿島神宮に始まり利根川渡り香取神宮、佐原で伊能忠敬、船で潮来へ。昔から下総と常陸に水辺を跨ぐ水郷は江戸時代に利根川東遷で明確な国境となつたが、それを明治以降の置県で「ちばらき」といはれると何らか違和感もあり。晩に端午節ゆゑ粽を頬張る。


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▼日本で高齢者による自動車運転暴走だとか政府元事務次官精神疾患の息子殺害とか。かうした高齢者絡みの悲惨なニュースが海外で報道されるのを見てゐると何とも忸怩たるものあり。米国でも新西蘭でも学校や教会など狙つた無差別殺戮などあり。だが若い者とかテロとか。寿命が無駄に伸びてしまつてゐることは致し方ないこととして高齢者に運転免許証の自主返納呼びかけるより「年寄りがなぜ自動車運転できぬと生活できないのか」を考へるべきであり、息子殺害にしても多少の精神疾患でも昔なら町中で「ノータリン」だか「アイツはアタマのネジが……」で少なからず居場所あつたものが「引きこもり」となりネットとゲーム三昧で親が面倒みるだけとなるのか。今更、自動車も要らぬ旧市街に向かひ三軒両隣りのゴミゴミした生活も復生など無理なのだらうが、老人が自動車を運転しなければならず引きこもりの子ども(それもとっくに成人してゐる)を老親が面倒みる日本社会の奇妙さ。「おもてなし」だ、外国人が大好きな日本、Youは何しに日本へ?と浮かれてゐる前に現実の日本社会の歪みに対応すべき。

香港政府公務員が同性のパートナーにつき婚姻者としての福利と税制上での優遇を異性婚同等にと求め4年越しの裁議で香港の終審法院が同等に認めるべき、と判決。この二人は(相方は英国人で)すでに新西蘭で同性婚が認められてをり裁定は香港で同性婚が認められておらず社会に未だ同性婚受入れに否定的な意見があつても已に海外であり同性婚が認められた二人が異性婚者と同等の受権ができぬことは不平等としたもの。同性婚可否といふ判断避けたところががスマートな、極めて常識的は司法判断。まさか香港政府、全人代常委に「解釈」求めんだろうね……。いずれにせよ中共同性婚どころか同性愛にすら「中国の特色ある社会主義」で許容もなきまゝ、少なくとも同性愛については「地下活動」が黙認されてゐるだけでもマシか「一国両制」で今の状況で香港にだけ同性愛者の権益、同性婚など認めるとは思へず。大陸のゲイが香港で同性婚なんて中共が許すはずもなし。

農暦五月初四。芒種。

晴。朝の気温が摂氏29度で昼は33度まで上がるさうで猛暑警報発令。この程度の高温は日本でも珍しくないが湿度90%以上なのが辛い。午前中ある用事で香港政府関連の某役所に。受付の登記場所に工人(工事就業者)の一団をり何かと騒々しいところ何だかメモする必要あり「おい、誰か紙くれ!」と言ひ「これ使え」と同僚が要らない紙を渡したら「何だよ、これ昨夜の馬券だろ」「そうだよ、それでいいだろ、外れ馬券だ」「外れかよ、験が悪い」と、まるで熊さん、八っつぁんの世界。午後のある会合。渡された資料と口頭での説明内容に明らかに齟齬あり。後者が正確といふが、それなら明文化された資料は何なのか。早晩に散髪。元々、正統な昭和らしい七三の短髪だが理容師I氏に聖上・浩宮さんと同じにしてもらふ。名付けて「令和」である。

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季刊誌『状況』2019年春号で柄谷行人樋口陽一の対談「天皇制代替わりと改憲」読む。元々土俵違ひのお二方で2012年3月11日の反原発デモで遭遇されて以来。晋三のおかげで陽一先生と柄谷、小林節といつた繋がりができてゐる。ありがたい。今年85歳になられる陽一先生の〈護憲〉のレベルアップ。9条は戦争責任償ふ懺悔の証拠であり、だからこれが懲罰の押し付けといふ人もゐるが日本人の圧倒的多数はこれを「贈り物」として受け取り、それに胡坐かいてゐるのは事実だが、それを壊さず維持し経済的繁栄謳歌したのも朝鮮とベトナムでの戦争の犠牲があり、それを理解せず〈平和〉に浸かり9条の意味も忘却してきたことを批判する、と。二人の話は柄谷先生の〈徳川の平和〉と現行憲法との相似、陽一先生は1889年の大日本憲法発布からの立憲政治をAとして、それに対して同じ憲法下でも1935年から敗戦迄の10年をBとする。Aにはポツダム宣言で「日本国民の間における民主主的傾向の復活・強化」とされた大正デモクラシーもあれば1935年からの軍国主義を生む要素もあつたのだが少なくとも立憲制であり伊藤博文が「君権を制限し臣民の権利を保全する」のが憲法だといへば森有礼が人々の権利は自然権であり「法により与ふるものに非ず」で憲法に謳ふ必要なしなんて議論あり。今日の劣化した政府と国会では考へられぬレベル。あの陽一先生がこの1889年のA体制と徳川の合議体制は繋がるものあり、なんて発言されるのだから。リベラルで護憲派とされる平成の先帝については二人とも好意的だが陽一先生曰く「私たちは戦後70年も経つて明仁天皇のやうな、控へめではあつても明確な言動をとる内閣総理大臣を作つてこなかつた」のであり明仁天皇が名君であれ「天皇制が悪用される可能性」があり民主主義とて選挙で勝てば(実際は違ふのだが)民意を盾に強行政治が行はれる民主制の悪用もある、と。二人とも晋三ももはや改憲は不可能と断定で、それは結構だが柄谷先生が「第三次世界大戦が起きる」といふのが何とも辛いところ。

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香港の弁護士ら「反送中」で香港返還以来5度目の沈黙なデモ行進。終審裁から香港特区政府総部まで3千人の法曹関係者が参加(警察発表は880人)。これまでの法曹デモは
1999年 香港居留権につき香港政府が全人代常委に釈法請求
2005年 全人代常委による香港行政長官選出の釈法
2014年 北京国務院による一国両制白書発表
2016年 香港立法会議員の就任宣誓につき裁判前に全人代常委による釈法
と常に香港の法治及びやかす権力の政治的判断に抗ふもの。