富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

John Lennon "The Lost Weekend"

辰年十一月十四日。摂氏▲1.0/11.7度。晴。

サントリーで新浪が社長ではなくなつて(それでも代表権のある会長だが)鳥井家出身の社長になつたので一先ず「サントリー不買」は止めようか、と。ハイボール用にウヰスキーはブラックニッカにしてゐたが久々にサントリー角瓶を購入する。飲んでみると角瓶は味に丸みがあつてブラックニッカの一寸スモーキーな感じにすつかり舌が慣れてゐたのがわかつた。

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水府で水戸駅近くのスペース(MINERVA)で映画の自主上映会が月イチのペースで続いてゐる。当初はビル(ホテルシルバーイン)の入口にシネマと看板があつた気がするが、それもなくなつたのは映画館ではなく認可とか消防法とかあるのかしら。「シネポート」は70年代つまりもう50年近く前のことだが水府で「シネポート」といふ題の映画同人誌があつて、それに肖りシネポートシネマと名乗つてゐるのださう。

シネポートシアターMITO vol.85『ジョン・レノン 失われた週末』 – 310+1 cinema project

ジョン=レノンが亡くなつたのが1980年の12月8日で45年前のこと。確か日曜日だつたか前日から友人たちと筑波山「登山」で筑波山ユースホステル(今はもう跡形もない)に泊まつて夜中に隠れて酒を飲んで(筑波山からの夜景が冬は本当に輝いて美しかつた)翌日山を下つて関東鉄道筑波線(廃線)で土浦に出たとき駅舎か駅前のビルの電光掲示板に「ジョンレノン暗殺で死去」といふ文字が流れてゐた。渋谷にタワーレコード開店が1979年で初めて渋谷タワレコに行つたとき買つたのが〈イマジン〉だつた。土浦から水戸に帰るはずが仲良かつたH君と土浦駅前の酒場でジョンレノンに献杯。当時は子どもでも酒を飲んでタバコ吸つてゐても大人たちは寛容だつた。“Double Fantasy”のリリースがこの年の11月で「友人の彼女が」孕んでしまつて中絶する費用稼ぎが必要になつたといふ友人が、このアルバムをカセットテープにダビングして、それを500円だつたか(それぢゃほんと利益率が低い気がするのだけど)で売つて、みんなカンパでそれに協力した。ホントは彼自身の彼女ぢゃないのか?と誰もが思つたけど、それは直接聞けないし聞くべきぢゃないし、たゞほんと自分の彼女だつたら500円ぢゃなくて1,000円だったよな?と思はれてホント彼の親友へのカンパのため彼がそんなダビングをしたのだ、と今でもさう思つてゐる。

このドキュメンタリー映画の主人公たるメイ=パンは両親が中国からの移民で紐育のスパニッシュハーレムに生まれ育つてビートルズが米国でキョーレツな人気を獲得したときは当時の、ほんとロックンロール好きの女の子の一人だつた。ウソのやうな話だけれどハイスクール卒業で仕事を探しにブロードウェイにのこ/\出てきたメイは友人の情報で求人先に出向いたのがアップルミュージック。そこで採用されてビートルズの仕事をするやうになつただけでもウソのやうな話だけどビートルズはその後もう事実上の活動停止でアルバム制作に専念するばかり。メイは仕事を失つてもおかしくないところジョンとヨーコに気に入られて二人の個人秘書に。そこからがこのドキュメンタリーでさま/\な形で語られる物語。ジョンレノンを映像で見てゐるとほんとだらしないほど魅力もない姿かたちのときと神のやうに見える崇高さに満ちたときと、この人のそれが魅力なのかと唖然とさせられる。同じ人物にこのペルソナの多面性こそジョンレノンの魅力なのだらう。ジョンレノンが先妻シンシアとの間に生を受けたジュリアンがこれほどメイと信頼と愛の関係にあるとは、このドキュメンタリーを見るまで知らなかつた。ビートルズの元メンバーもエルトン=ジョンも誰もがメイに対しての親しみと信頼。そしてジョンレノンですら愛だとか、そんなものぢゃなくて畏怖の念を抱くのが紐育の玉梓怨霊たるオノヨーコの存在なのでした。ジョンが心を許したメイもオノヨーコにだけは、まるでオノヨーコの掌上で弄ばれてゐるやう。本日の上映で主催者側の方がこの映画について「ジョンレノンが亡くなる直前まで」とメイとジョンの日々をさう言つたのは1980年迄のことは恐らく生まれる前か記憶にない世代の彼だから、のことでアタシたち当時の現役世代にとつてはジョンレノンがメイとの、このウィークエンドが終ひなつた1995年からのジョンが命を失ふ5年間はジョンがオノヨーコと「カップリングの完成形」を構築した時期で、その5年のことは、まだ何も総括されてゐない……といふか真実はアタシたちは何もわからないまゝ。いずれにせよジョンレノンにとつてオノヨーコの存在こそ、いつぞやか少しでも明らかにされるべきことのなのだらう。


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この映画が終はり水府の大通りに出るとライトアップされた銀杏がとてもきれい。もう12月半ばである。銀杏坂の旧坂の戦争での水戸大空襲でも生き残つた大銀杏もまことに見事で暫し見惚けるばかり。

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東海道/山陽新幹線車内トイレ今月から順次半数を女性専用へ :朝日新聞

北陸新幹線で女性用のトイレと洗面所があつたのにはあばからべっそんだつたが東海道・山陽新幹線も車内のトイレの約半数を女性専用に変更といふ暴挙。男性は小用の場合に小用用のトイレがあるのだから、それのない女性に個室トイレに優先あつて当然といふ考へ方もあるのかもしれない。しかし国鉄民営化後に最も呆けたJR東海によれば女性客の増加で「女性専用トイレの設置を求める声が寄せられていた」さう。JR東海は「男性が入ったお手洗いで便座に座ることに抵抗感を示すお客様もいるのではないか。女性のお客様に快適にご利用いただきたい」。憶測かよ……JR東海のもはやキチガイ沙汰。台湾など公共トイレの男女別すら撤廃の風潮なのに。男が使つたトイレを厭ふ「女性専用」を求める女も女だが、そんな声を組み入れるJRも何を考へてゐるのか。世界中で日本以外に鉄道列車内で女性用トイレってあるのかしら。