富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

友枝昭世〈景清〉

癸卯年十一月朔日。気温摂氏3.3/14.6度。晴。神田淡路町(The Gollum)にて散髪。国立能楽堂に赴くのにいつも慌たゞしいのだけれど今日は千駄ヶ谷駅に着いたのが開演1時間前で日本将棋連盟将棋会館)のある千駄ヶ谷らしく駅の構内にまことに大山康晴名人らしい筆で「王将」の大きな駒があることに今日まで気づかず(この駒の背後には羽生善治名人のあまり上手ではない「千駄ヶ谷駅」の揮毫もある)。千駄ヶ谷駅前の道路は銀杏の落葉敷きつめられとても目に鮮やか。国立能楽堂の外のベンチで神田志乃多寿司(本店)の寿司折を広げる。


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本日のお能東京能楽囃子科協議会の公演。

喜多流友枝昭世師の舞台をなか/\見る機会がなかつたので今年は努めて昭世師を追つた。プログラムで当日会場で配布されたものはワキ方で森常好さんの名前には改名で宝生常三とシール貼られ訂正がされてゐたが大鼓の亀井忠雄先生(故人)の名前はそのまゝで広忠さんが代演の形。ご本人の改名は訂正でも配役決定後に逝去で代役の場合は故人を偲び名前を遺すといふ配慮なのかしら(かといつて当然もう代演のお知らせなど貼り出されたりはしない)。昭世師シテの能は〈景清〉で当世この景清役は昭世師が絶品なのではないかと思はされる緊張感で景清の無念と悲哀を表現する。これは本当に今日拝見できたのがありがたい。広忠さんの大鼓も音がシャープすぎる気もするのだけれど忠雄先生を亡くされて広忠さんの打つ一音/\にずいぶんとハリが感じられる。能の場合、数年先の番組までお役がつくといふから、まだ暫くは「亀井忠雄」の名前が遺るのだらうが、それが終ひなつたころに広忠さんが何うなつてゐるのか、を見てゆくことになる。終演後にロビーでN先生と邂逅。教職を引退されてから宝生流(宝龍会)で謡の稽古をかなり熱心に続けてゐて本日は宗家出演でいらっしゃってゐた。香港でN先生とお会ひしたのはもう四半世紀も前のことで最後は何年前だつたか宝生流宗家の香港大学公演の時だつた。