富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

渡名喜庸哲『現代フランス哲学』ちくま新書

癸卯年九月廿四日。気温摂氏13.7/23.4度。夜中から天気不安定で午後まで雨(24mm)のあと快晴。東京は今日も夏日で今年の夏日は計124日なのだとか。1年のうち1/3が夏日とは熱帯である。昨日は福島まで往復6時間近く、400km超の運転でさすがに今日は身体がだるい。元々運転が好きではないし軽自動車で高速の長距離運転は無謀であつた。

現代フランス哲学 (ちくま新書)

渡名喜庸哲『現代フランス哲学』(ちくま新書)読む。現代フランス哲学といふとフーコードゥルーズデリダとか名前が上がるのだけれど、そのへんのポスト構造主義は日本でも80年代に話題になつたわけで(あのニューアカなんて懐かしいけれど)今ではもう古典。この『現代フランス哲学』ではそこからさらに先の今日に至るフランスの現代思想を紹介してゐるのだけれど一冊も読んだことも名前すら聞いたこともないので「へぇ」といふ感じ。それにしても自分が読んだことのあるフランス現代哲学がいかに古いか(この思想家マップで黄色にマークしたところ)よくわかる。

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それにしてもこの著作は文章も説明も平易でありがたい。例へば〈脱構築〉と〈スクラップ&ビルド〉の違ひについて。後者は文字通り一旦壊してもう一度立て直す、相手の論理を否定し自分の主張の提示なのに対して前者はひとまず相手の論理に乗つて、それに従つてその論理を批判する、とする。これがちとやゝこしい、と著者は「漫才」で説明する。後者はボケを「なんでやねん!」と即座に否定するツッコミ、前者の場合は一旦「さう/\」と相手のボケに乗りつゝ、さうすることで相手のボケへのツッコミの強度を増すやうなもので「なるほどあなたはこう書いているけれど、書かれていることと主張しようとしていることは矛盾しませんか」。それにしてもやはりフーコーなのだ。それまでの王権や軍事力といつた「権力」に対して学校や社会、家庭も含めシステムが機能する「生権力」(“biopouvoir”について、この訳語は何も好きになれない)まさにこれの中で生きてゐるアタシたち。ところでフーコーの「テクストの空白」は知らなかつた。フーコーは「生−政治」が18世紀に誕生して現代に復活してゐるとするが19世紀から第二次大戦に至る時代の分析はすっぽりと抜けてゐたさう。「福祉国家」の形成と衰退の時代について。