気温摂氏30.5/23.2度。朝は小雨(0.5mm)のち曇。
国道50号線で南町3の紫陽花は剪定もせず咲き放題で見事といふか何といふか。それにしてもよく育つものである。
館山郵便局で風景印を押してもらふ葉書は山川秀峰画伯〈序の舞〉の切手を貼つてゐた。房総と何か関係あるわけではないのだが内房線に乗つてゐて駅名が「袖ヶ浦」「木更津」「君津」「富浦」「千歳」「江見」「鴨川」と何だかそのまゝ謡曲の題のやうでもあつた。県立図書館で月刊『観世』最新号読む。ご宗家インタビューでご宗家の立ち姿のまことに佇まひの良さ。手の指の先まで油断もないが力は無なのである。独特の耳の形。『茶道雑誌』最新号で村上湛君の連載(心ごころの花)で取り上げられたのは能〈清経〉。前回〈清経〉を拝見したのは昨年12月の観世淳夫の会で大鼓は亀井忠雄先生なのであつた(涙)。
現代しきりにもてはやされる「武士道」という言葉が独り歩きし始めるのは、現実には「武士」がいなくなった明治時代からです。江戸時代以前「武士」のありようはさまざまに変化を重ねてきました。いわゆる「武士道」として想起される単純な倫理・道徳感ばかりを信用してはいけません。
と湛先生は冒頭から実直に語る。皇族、貴族に雇はれる「殺人のプロ」としての武士。「信義・忠義のためなら一命を投げ出す」のは理念であつても実際には一族の存続のため、どれだけプラグマティックか。さういふ冷静な視点から22歳で自ら海の藻屑と消えた平清経を何う見るか、面白く読ませていたゞく。『芸術新潮』6月号の特集「マティスのとびら」も一読。巴里のポンピドゥセンターでもう20年前に見たときはピンとこなかつたが今は少し好きになつてしまつてゐる。
県立図書館に寄る前に近くのコンビニで気付けに飲んだ缶入りのレモンサワーは驚異の価格で118円(税込)。今どきこの値段ではソフトドリンクやウーロン茶も買えないのに。それに実際に無糖のこれが美味いのだからハマりさう。
房総半島の鉄道旅のことをブログに綴つてゐてGoogle Mapでも時刻表でも読めない風景といふものがあつてネットで探してゐてたどり着いたのがこれ。全国鉄道地図帳(昭文社)。今朝これがAmazonで「あと1時間だか以内に注文すれば本日お届け」とあり。注文したら14時に、幕張かと思つたら小田原を発送された荷物が18時頃に届いてあばからべっそん。戦後に敗戦になつた路線も網羅とあつたが東京で都電の路線図までが都心の場合1/36,000の地図に記録されてゐるとは。かつては北海道、東北、関東と分冊だつたものがデジタル地図の普及で、それを持ち出す機会も少なくならうといふことで2020年に全7冊だかを合版してこの428頁の全国網羅する地図帳になつたのださう。こんなのを見ながら落花生を割り/\ハイボールをちび/\してゐるなんてのが老人にとつて最高の道楽なのだつた。