富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

仁左衛門〈碇知盛〉

陰暦正月十四日。気温摂氏0.2/8度。晴。昨晩から大雪の予報はスカ。水府は積雪2cmださうだが屋根がうっすらと白くなつた程度。朝、家人と停車場(ステショ)迄歩いてゆくと9時半だといふのに高校生ら通学で受験とかの特別日程か?と思つたら何うやら積雪での鉄道や道路の混乱見越して予め通学時間を1時間遅らせてゐたやう。女子高生の多くが小さな紙袋を携へてゐて家人がヴァレンタインデーだからかと気づく。

市井は聖ヴァレンタイン祝賀の異教徒多し。愛の祝祭はそれはそれで良いがチョコレートに特化も興味深い上に「女性が男性に」は世界中で日本と韓国のみなのださうで「女性が男性に」となつたのは「通常だと女性が男性に愛を告白できない」所謂「儒教的な」(とされる)社会で「この日だけは」といふ非日常がウケたのであらう。ヴァレンタインデー直前の週末は水府で人気のショコラティエ・ダルメゾンは長蛇の列で今日もあちこちの特設チョコ売り場はかなりの賑はひ。

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母と家人と三人で銀座。新橋から銀座に歩く。八丁目の角で天國のビルを眺めて通りを三本裡に移転した〈天國〉へ。フロアのテーブル席は大通りの時に比べると随分と少なくなり2階は高級感だしたカウンターで3階は和食(3階は営業時間短縮でやつてはゐたやうだが今日から臨時休業になつた由)。アタシの知る八丁目角の天國は昭和59年に高層ビルになる前のモダンな数寄屋造り。新宿柏木の常圓寺で曾祖母の葬儀を済ませタクシー数台に乗り込んで首都高お練りでお清めの席がこの天國。祖母も随分と気張つたものだがアタシにとつては首都高からの東京のモダンな眺めに続いて天國の楼上の大広間から下を眺めると横の通りにずらりと人力車が並んでゐる。芸者衆のお座敷への出番で、そのお迎へ待ちなのだ、と大叔父からだつたか教へられた。このギャップがとても新鮮で今でも脳裏に焼き付いてゐる。曾祖母の亡くなつた年だとするとアタシが小1のとき。それで天國はアタシにとつてはいつまでも(今の店でも帳場のところに掛けてある)笠松紫浪の〈雨の新橋〉の天國なのだ。


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天國もお酒の提供はないものだと思つてゐたら(先日も銀座では泰明庵でお昼の混雑してゐるときに座るなり「お酒、熱燗で」と言つたら我々のアイドルたる給仕のおねえさんに「お酒は出せないんですよぉ」と大きな声で聞こえてしまつて恥ずかしい思ひをしてゐる)もう早いお昼の客二人がランチビールしてゐて背後でも母にいはせれば「仁左衛門そっくりのおじいさんが上天丼の天ぷらで美味しさうに熱燗でお昼から」なのでお酒を供してゐるとわかつた(母が羽左衛門といふ時は当代ではなく十三代目である)。天ぷら定食で天ぷらでお酒を飲んでからご飯は美味しい柴漬けでいたゞく。ヤマハに寄る家人と一旦別れ母と〈若松〉で母もアタシも天ぷらのあとなのに甘味は別腹。半世紀も前と同じ食べ物が、建物こそビルの中になつてゐるが今でもあるのが銀座の良さ。だが新しい商舗は本当にわかりにくいもので母が〈若松〉と同じ銀座コアにある靴屋ビルケン)に昨年の歌舞伎(仁左衛門の熊谷陣屋の時に)寄らうと思つたら移転してるとわかつたさうで今日、移転先が数寄屋橋でどこだか確認したら〈東急プラザ〉だといふ。アタシにも「どこ?それ」だつたが今日昔の数寄屋橋阪急とTOSHIBAのビルの再開発がそこで、そこまで歩いて(つまり母は新橋から銀座を裡まで抜けて有楽町まで歩いたことになるがアトで聞いたら9千歩も歩いださう)母は靴を買ひ替へ遉がに歩くにも疲れて日比谷線で1駅で東銀座へ。銀座で尾張町から木挽町まで歩かず日比谷線も初めて。

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歌舞伎座で第2部。踊りは松嶋屋の千之助君の〈春調娘七種〉で蘇我兄弟が萬屋の梅枝君と萬太郎君。仁左衛門丈の一世一代と銘打つた〈渡海屋〉から〈大物浦〉である。女房お柳実ハ典侍の局が孝太郎(お柳がニン)。安徳帝(子役)は梅枝の倅(大晴君)で台詞覚へも立派なもの。最後この安徳帝を預かり抱へて花道引っ込む義経役は大晴君実祖父の時蔵。髙島屋の弁慶。松嶋屋の一世一代と銘打つた知盛は渡海屋で「実ハ知盛」と再現からはさすが格調高いところだが、その崇高さの分、銀平は誰が見ても渡海屋の主人には見えないか。〈大物浦〉はとても来月78歳になるとは思へぬ熱演に恐れ入る。碇知盛をかうして見てゐて記憶を辿ればアタシが最後に実演を見たのは澤瀉屋で昭和63年7月のはず。前年とこの年、猿之助Ⅲは昼夜通しで〈義経千本桜〉を忠信、知盛と権太まで超人的に演つてゐたのだ。この知盛はその澤瀉屋の海老反りのハイジャンプだけではないわけで(アタシは残念ながら見る機会なかつたが)播磨屋、そして中村屋(2001年、平成中村座)とか、そして何より辰之助!とか残念なが何も見る機会逸して想像は尽きない。紀尾井町松緑Ⅱ)は尚更である。それにしてもこの芝居は渡海屋で知盛と正体明かしてから〈大物浦〉での相模五郎(又五郎*1)と入江丹蔵(隼人)の「戦況報告」はダレてしまふ。本日は偶然、村上湛君も第2部に来られてゐて姿お見かけこそしたが彼は忙しい身で幕間も芝居が跳ねても出入りや「引っ込み」は「まるで花道か」のやうに早くて面会できず*2。今月の歌舞伎座第3部は音羽屋の鼠小僧で丑之助君もなか/\と讃君も褒めてゐたが出演者感染で本日より急きょ休演の宜。第2部が始まつてからの松竹の発表で幕間にロビー受付で第3部のチケット持つてゐるご婦人が「あー昨日にすれば良かった」と訴へてゐて、その休演を知つた。芝居が終はり母ももう歩き疲れてゐるので歌舞伎座から日比谷線で上野。帰りの電車で『銀座百点』を読む習慣は小学生の頃から。2月号の特集鼎談は歴史上の人物や文豪の直筆の手紙。アタシも手紙を書くのは好きな筆まめだが手紙と日記はやはり面白い(さすが漱石先生ともなると「など」も「抔」となる)。


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この『銀座百点』で傑作は昨年の何月号だつただらう関容子さんの連載(銀座で逢ったひと)で(これも新刊になるはずだが)大檀那の屆。本当にこの方の個性が見事に表れてゐる。まさに近代歌舞伎界の巨人である。


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香港では香港のコロナ対策は医療崩壊や物資不足が深刻といふことで中央政府の支援、広東省からの物資提供など強化。

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かつては大陸で自然災害やSARSなどあれば援助するのは香港だつたのだが、この立場の逆転。香港で日に1千人の感染も人口800万人と思へば大したことない気がするのだが中共は「動態清零」所謂ゼロコロナ体制なので国内の香港も徹底した0に向けた防疫が求められる。
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香港の元調教師「食力簡」逝去。享年八十四。1952年に渡英で当時は不法出稼ぎの時代だが彼は英国競馬で騎士目指しパッとしなかつたが競馬馬管理を学び1969年に返港で5期も最多勝調教師に。調教師引退後は新界のドンで選挙での贈収賄で有罪で入獄までして話題に事欠かぬ人であつた。

*1:又五郎と聞くと二代目だが当代は歌昇Ⅲで歌六Ⅴの弟。時蔵Ⅲからの播磨屋萬屋少子化の時代にあつて大家族で役者多く本当に覚へられない。

*2:ご本人にいはせれば「大檀那の尾上の引っ込みのやうにゆっくりはできない、とw