農暦十月初六。あまり良く眠れぬまゝ六時すぎに起きる。深圳空港には国内線も出発90分前と聞いてゐたが何だか愚図/\してゐたら08:05の1時間前に宿を退房して隣の建物の空港へ、着いたつもりが、とんでもない広さで深圳航空のカウンターは長蛇の列。ぞっとしたがスタアラのゴールドで深圳航空の貴賓ラウンジでチェックイン済ます。巨大な施設は柱もなく曲線活かした天井が馳名。こゝまでの建築が出来るといふだけでも中国の技術力も凄いが複雑な屋根裏の鉄骨構造は清掃、メンテナンスはかなり大変なはず。コンコースも広いが歩くしかなく深航のラウンジに入つたものゝラウンジの受付で渡されたディバイスが鳴り始め「麺を頼んでもゐないのに」と思つたら搭乗開始のアナウンスで牛乳1パックもらひ、それを飲みながらゲートへ。ホテルも朝食ありラウンジもあつたのに朝食抜きで搭乗。中国の国内線乗るのは深圳から西安か、北京から上海か、いずれにせよ20年以上前のこと。スッチーが笑顔で服務すること、丁寧な英語まで。機内食は事前に食べたい人だけで何も食べてゐないので三文治を貰つたが、こればかりは恐ろしく不味い代物。フライトは08:05にオンタイムで離岸して10分後に離陸、午前10時ちょうどに上海虹橋空港着。睡眠不足の日が続いてゐて遉がにフライトで仮眠。とんでもなく巨大な第2ターミナルはまだ閑散としており余計に広く感じる未来空間。地下鉄道にリンクしてゐるが1つ先の虹橋火車站まではコンコースを歩いていけば良いと聞いて500mほど歩き火車站。前回は確か10年くらゐ前か、まだ「一回り小さくした上野駅」のイメージがまるで大規模空港のターミナルの如し。そこに、まだ野暮な人民も沢山ゐて、そのギャップが大きすぎ。虹橋站11:10初のG7572列車の一等席。この列車は温州(東)06:49始発の安徽省淮南往き(8時間22分)。一等車の隣席は少し不良めいた若者。アタシが通路側で若者は通路側だが陽射しが強いからか廊下側に坐つてゐる。アタシに「窓側に座れば」といふので「蘇州までだから、すぐ降りるから面倒だよ」と言ふと不服そうだが「自分も蘇州までだ」と言ひながら窓側に写り四方山話。あまり詳しく背景を語らないが温州から蘇州に「用事があってね」と苦笑ひ。面白い若者。昼前に蘇州着。蘇州は2009年以来。伝統的な建築様式活かしたモダンな巨大な駅舎。当時すでに高鉄は走つてゐたが駅舎は上海虹橋同様に古いもので一等待合室も古いソファが並んでゐたのが、こゝまでの規模の站が要るのかしら。地方都市で威力示すだけなら疑問だが。タクシーでシャングリラホテルへ。寒山寺も高層ビルの影で昔より観光化なのか新しい多層塔が建つてゐた。アップグレードされた客室で午後の日差しに意識も朦朧としてくるがメールで雑務整理。外資系ホテルだとネットも関越緩和されてゐたがシャングリラはきちんと「当局の指導で下記のサイトは通じません」。昨晩の深圳空港ハイアットは通じてゐたが徐々に帰省厳しくなつてゐる。夕方にホテルのプールで少し何年ぶりかで泳ぐ。このホテルのある地域は疎水が著名な蘇州旧市街の西側の開発区。ホテル周辺もかなり大規模の商業施設が並び工事も進んでゐるが、高級そうな店舗が並んでゐても閑散としてゐて営業的にはかなり苦戦がホテルの客室の窓からもわかるところ。この蘇州といふ都市の住民だけでなく観光客等も含めた消費力に対して商業を大きくしすぎ。日本では郊外にはあくまでAeonなどの商業施設が拠点にあるだけで旧市街の周囲にどこにでも同じやうな商業エリアが拡散してゆくのではない。早晩に近くの某ホテル集合で今回蘇州に仕事であつまつた知己と会食へ。「商業区」そこは日本人相手の飲食店や飲み屋多く2013年の半日デモで攻撃された一角だが、そこにある「一心」といふ日本料理屋。東京から来られたN大兄が出水酒造の芋焼酎「赤鶴」を持参いたゞく。宴会は晩八時過ぎにはお開きとなつたが、この一週間ほどのバタバタと今朝にかけての睡眠不足でふらふらでホテルに戻り早寝。
⇧以前の蘇州火車站と現站舎