農暦二月十九日。三時間ほどの睡眠で朝五時起きで空港に六時半着。ラウンジで米粉啜る。キャセイドラゴン航空の台北行きKA486便は509番搭乗口。500番台の搭乗口は511以降はターミナルに直接せぬ飛行機までバス移動だが501〜510番ゲートは建物から連絡バスでノースサテライトターミナルといふところに移動し、そこからボーディングブリッジで搭乗。私はすでにCXのマルコポーロクラブとは縁を切りSQのプログラムに乗り換へたがマルコのマイル余剰あり今回は家人と台北往復。最終招集で搭乗。席に着くなり眠り離陸も不覚だが家人の話ではハッチ閉めてから離陸まで朝の出発ラッシュで40分かかつた由。それでも台北到着は09:50で定刻が09:45なのだから朝の離陸渋滞は折り込み済みか。イミグレの混雑相変らずで通関に30分要す。到着便に出発地で「琉球」あり。ゆるやかな琉球台湾連合を。桃園空港に捷運が通り台北車站に直通。本日は下り。桃園線の終着は台鐵中壢站となるが今回の開通では中壢市内の工事進まず市外の北環まで部分開通。空港地下站を出た下りは大園といふ站で地上に出て高鉄桃園站で下車。高鉄(新幹線)に1区間だけ12分の乗車(自由席)で新竹。この高鉄の新竹站も新竹市郊外。この高鉄の站が台鐡のローカル線(新竹〜六家)の終着駅・六家と隣接。六家から一つ隣の竹中まで六家線に乗る。竹中で内灣線の次の下りまで小一時間あり丁度、昼なので駅前の客菜食堂(酪家小館)に飰す。麺と一緒に注文した龍須菜の炒め物が美味い。内灣線は竹中が始発で下りの終着、山あひの内灣まで小一時間。単線で途中の竹東が交換。合興の站には古い駅舎が残り退役の客車使つたカフェもある。内灣は週末は遊楽客で賑はふ由。驛前には土産物屋並ぶ。十数分後の折り返しで竹中に還る。強い雨で一つ先の六家まで歩けず六家線に乗り高鐡新竹より下りの新幹線は一時間余で台南。桃園についてからは肌寒かつたが台南はTシャツ1枚でも平気なほどの暖かさ。台湾新幹線に乗るのは確か二度目か大して興味もないが少し贅澤で商務廂に乗る。飲み物や軽食のサービスあり職員の青年のサービス態度がまぁ立派。高鐡台南は市街からかなり離れてをり台鐡の站とも隣接してゐるが西部幹線の区間車(各駅停車)に乗るのもつまらないし、かなり疲れてゐたので珍しくタクシー自動車に乗ると台北車站まで半時間近くかゝり17kmで400元也。今更だがはっと気づくと高鐡台南に交はる台鐡は西部幹線に非ず沙崙線(台南〜沙崙)。今日はすでに內灣/六家線に乗つたので沙崙線に乗つてゐれば平溪/深澳線と集集線と合はせ台鐡の支線全て乗つたことになるのに何たる失敗。台北站東口のシャングリラホテルに投宿。今回は一番廉価の客室(スーペリア)押さへてゐたがデラックスになつてゐたものゝレセプションのスタッフが「アップグレードしました」とはいはないのでダメ元で当ホテルのメンバーシップ(ゴールデンサークル)のステータス(翡翠)でアップグレードできます?と尋ねると宛はれた客室はホライズンクラブフロアのデラックスでかなりの広さとアメニティも豪華。但し客室のアップのみでホライズンクラブのラウンジアクセスはなし。早晩に出街。站で明後日の台北行きの切符調達。中山路の合成帆行で家人が数年前に購入のカバンの外れた釦の交換。無料。典型的な家族経営で優秀さうな若い息子が帳場仕切る。おばあちゃんも黙々と作業中。度小月で担仔麺。林百貨。復活開業で初めて入る。構造が戦前の建物で何百人だかの入場制限あり入り口で行列とも聞いたが木曜夜はがらがら。屋上の空襲で焼け落ち再建した頂楼を眺める。デザイン雑貨の店で鉛筆サック贖ふ。店晩の青年が暇に任せて描いてゐたのがカメラレンズの断面図の構造で勘定の際にさっとノート閉じたが「光学のお勉強?」と尋ねると「えゝ」と恥じらはれる。府前路の福記肉圓。隣の張家涼麺。東門圓環まで歩き太陽冰品で紅豆乳霜アイス頬張る。市街にまぁカフェやブティックの多いこと。小洒落た店多いが客足は多からず購買力も高いとはいへず。大学は出たけれど、で賑やかな就職先もなくのショップの開業。飲食店や古い商店など家族経営が今だに目立つのも就職難考へれば自営で安定した店があれば後継に、と思ふところ。今晩は四軒の飲食店梯子でも腹が破裂しないのも台湾ならでは。ホテルに戻り数日分の日記つけ新聞読みの遅れ取り戻す。