富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-12-04

農暦十一月初六日。十一月は何かと忙殺され週末は東京、マカオ、青島と外遊もあり、その皺寄せで日曜日の本日は終日残務処理。帰宅しても家事。NHKで〈真田丸〉眺めるが途中の話がわからない。
平川克美「成長望めぬ社会」(日経3日夕刊、こちら)より。

国民国家、デモクラシー、インターナショナリズムといった世界秩序の根幹が揺らぎ始め、代わってグローバル市場、強権的指導者による迅速な意思決定システム、排外的な競争主義としてのナショナリズムという新秩序がつくられようとしています。おおまかに言ってこのように今の世界をみています。
旧来の価値観が揺らいでいる大きな原因は、先進国では経済成長が難しくなったということでしょう。株式会社は経済成長を前提としたシステム。成長するから投資家は出資する。金利にしても年金にしても我々を取り巻く全てのシステムが成長を前提に形作られている。成長が止まってしまうと、システムの基盤が揺らいでいく。
そりゃ、できれば成長した方がいい。しない方がいいとは思っていません。ただ、もう、難しくなっているんです。日本は向こう50年は人口減少フェーズが続く。人口減少はマーケットの減少につながる。いまは総需要は頭打ちで、物価が下がってバランスしている定常化経済の段階にあります。
成長論者は希望を言っているだけなんですね。成長すればすべてがうまく回る。成長してくれたらいいなと。だが、現実をよく見て下さい。日銀の物価上昇目標はいつまでたっても実現しない。所得格差は広がる一方です。定常化に即した経済運営がなされてない。
若い人たちは気づいていますよ。私の大学の教え子は1990年代の生まれ。ものごころ付いた時から経済は定常化した状態にあります。我々の世代は年収500万円は見込めた。しかし今の若い人は大会社にでも入らないと300万円確保も難しい。だったら300万円でやっていく方向を探るしかない。実際にシェアハウスに住んだり、地方に移住して農業に従事したりと、定常化に合わせた生き方を選んでいる。それを悲観的にみる人もいますが、私はまったく悲観していません。