正月初四。濃霧多湿。春節連休四日目だが出先仕事。今日は東京マラソン。コース的には「はとバス」気分でとても出たいが慎太郎が不愉快で慎太郎が都知事辞めたらと思つたら猪瀬某、それが失脚で舛添で今度は、と思つたが何だか大政翼賛的な世相でテロ対策だとか警視庁のランニングポリス伴走なんて聞くと食指ならぬ食足も出ず、これぢゃ永遠に出る機を逸すわいな。晩にコロッケ揚げる。朝日新聞の速報で三津五郎逝去と伝はる。NHKのNW9は晋三政権で農水相・栃木の何某の辞任につき最低のキャスター大越は政治部記者相手に晋三の「迅速な対応」の良さ求める。自民に忖度のNHK報道局と大越に呆れるばかり。
▼三津五郎の逝去。母に電話すると惜しんで言葉もなし。八十助時代の「三社祭」。2006年の夏に歌舞伎座で「籠屋」、2009年の夏に「六歌仙」見たのが最後。後者は畏友・村上湛君にこれは見た方がいゝと勧められ一幕見で。相手役(小野小町)は福助。福助も大病患つたまゝ。Youtubeに上がつてゐたのは勘九郎と八十助時代の「茶壺」くらゐ。祖父・八代目の「喜撰」、父・九代目の「文屋」も懐かしく見る。「三津五郎が河豚に当たつて亡くなっちゃったよ」と祖母が驚いて語つたのを懐かしく思ひ出す。八代目を実際に見てゐるのは私が最後の世代……と言ひつゝ昔「海老蔵(当代の祖父)の光源氏は」とか「歌右衛門が福助のときの」「六代目(菊五郎)は」だの初代の「播磨屋が」と自慢げに話す年寄りが耳障りだつたもの。
勘九郎 黄泉に八十助 逢ふて春
團十郎、勘三郎に続く三津五郎の逝去。メディアの扱ひは大きいが、どれほどの人が歌舞伎見てゐるのか。で「歌舞伎はどうなる?」となる。歌舞伎通のT君曰く、昭和後期の名優揃いの頃でも歌舞伎座の歌舞伎興行は年10ヶ月(昔は長谷川一夫、橋蔵そして寛美とかやつてゐたわ)、而も大抵は団体頼み、空席も目立ち切符入手は容易、それが役者は不足なのに興行数増へる役者は酷使、芝居の切符は高額で役者給金は闇の内の松竹の独占興行、端役養成は国費、国費で伝統文化存続にせよ能狂言や文楽を見れば歌舞伎がいかに大袈裟にされてゐるか、いろ/\考へるべき点あり。それにしても三津五郎失つたことは大きい。
▼「あの事件以来、誰もが「テロに屈しない」と叫ぶようになった。しかし最近の政治の動きを見るにつけ、とりわけ政治家やメディアが「テロに屈しない」と唱和すればするほど世の中全体はテロリズムに制圧されていくという逆説が存在する」と山口二郎(昨日の東京新聞)。国会で共産党の志位委員長の代表質問に「テロ政党」とヤジが飛んだことに触れ「テロという言葉は自分の政治的な優位を得るための道具となっている。そしてテロという言葉が一度使われたらメディアも深い検証を放棄し政治の世界では議論が止まる」と。御意。本来「テロに屈しない」といふ時の主語は個々の政治家は勿論だが「日本の民主主義と自由」こそ「テロに屈しない」の主語であり、権力もつ政治家が恣意的にテロといふ言葉を使って議会政治封じ込めるなら、それこそ日本の民主主義がテロに屈したことになる、テロとの戦いは言論・表現の自由の実践する勇気である、と。
▼与那国島への自衛隊配備、住民投票で賛成6割。これも尖閣ばかりかテロの脅威など「国防は重要」がファクターになつたか。一度配備すれば、たとえ平和な世の中になつても自衛隊撤退はあり得ぬ。
▼日本で評判のピケティ教授、東京新聞の取材のあと「言ひ忘れた」メールで「格差拡大の一因である経営者の超高額報酬は“Pay for luck”と指摘。記事ではこれを「幸運に対する報酬」としてゐるが「幸運による報酬」。役員報酬高騰は役員の生産性向上ではなく好況、原材料コスト低下、為替などで、不況となつても高止まり。新保守主義台頭で世界的に所得税の累進課税率引き下げで、お手盛りで報酬額を決め、有力政治家への献金で政府も税制見直しに及び腰、と。
@fookpaktsuen: RT @G_D_Greenberg: 音楽家や文学者の自殺の多くは、20代に迎えたピークを越えられないと悟ったときに起きる。言いたいことは「若者よ焦るな」ということだ。私は今、自分の20代が単なるぼんくらだったことを本当に良かったと思っている。焦るな。カーネル・サンダースがチキ…