富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

越南河内、西湖の夕日

fookpaktsuen2013-12-29

農暦十一月廿七日。朝五時起床。今日も朝の気温は摂氏9度。極寒。晴。東京ならさしづめ早朝ジョグだが河内でバイクのあひだ縫つてジョグ気分にもなれず。ハノイは三度目だがホーチミン廟とホー伯父さんの家は伺つてをらず。一度出かけたが午前中だかの参観時間ぎり/\だつたのか廟は休館中だつたのかホーチミン博物館のみ見学。今回すつかりお世話になつた14系統のバスで西に行き歩くつもりが間違つて乗つた22系統がそちらの方向往きで中国大使館の近くで下車してホーチミン圏へ。数年前に比べ入場のなんと戒厳なことか。ホー伯父さんのご遺体拝す。アタシにとつては巨人、大鵬、卵焼きの時代に短波放送(BCL)の影響もありホーチミンは偉大なる北ベトナムの指導者。サイゴン陥落の翌朝の母にいはれた「この日は世界にとつてとても大切な日なんだから」。ホー伯父さんの家参観。1950年代にすでに無印良品。さすが。ホーチミンのファッションだつて無印良品そのもの。ユニクロに非ず。アタシの人生にとつてベトナム戦争はけして過去に非ず。土産物売り場でホー伯父さんがオケ指揮する、あの有名な写真立て購ふ(Vt₫80.000)。此処もハノイでまだ見てゐないタンロン遺跡も見学。午前中の入場が10:30までなのでホーチミン博物館から近いのだが立入り禁止区域広く迂回してぎり/\入場。考古学に全く興味ないが、このサイゴン城跡にはフランス軍、そして対米戦争の最中はベトナム共産党の政治局、中央軍事委員会あつたD67の軍事施設あり。一見は城跡内のフツーの建物だが地上部の単層の建物の壁は暑さ60cmのコンクリートで地下にも会議室などあり。原爆投下でもびくともせぬだけの強度だつたとか。 Võ Nguyên Giáp将軍もここにゐらしたか、と思ふと感慨深いものあり。タンロン遺跡横のバス停から22系統のバスで宿に戻り。部屋で少しだけ寛ぎ昼前に退房。タクシー傭ひ(Vt₫60.000)西湖の湖畔にあるインターコンチネンタルハノイに下榻。西湖の湖畔に張り出したレイクヴィラのうち套間のLotus Suiteに案内される。巣づくり。午後も一時過ぎ、ホテル近くの湖畔の食堂に毎度のことながらPhởを飰す。宿に戻り少し読書。午餐。ジムで少しだけ運動してサウナ。日暮れ前にホテルから西湖に張り出しのサンセットバーに飲む。日暮れには少し早めに陣取り夕焼けまでじつくり飲むつもりが「これから」といふときに湖畔の向かふの水平線といふか大気汚染?に隠れてしまふ。西湖渡る風も厳しく退散。クラブフロアのラウンジ。19:30まで黄昏の一杯と、せめてカナッペ程度で夕食までの空腹補ふ程度のはずの時間が、まるでファミレス的盛況で宿泊客(それもクラブフロアにアクセスできる皆さま)ここで夕食済ませんばかり、の食欲旺盛。①ホテル内にはベトナム料理とイタリア料理あるがハノイでわざ/\イタリア料理飰す理由もなくベトナム料理などホテルで食べる程でない。②ホテル周辺にもまともな食堂もない。③クラブフロアの客室で少し余計に払つた分はこゝで食事済ませてしまはう……といつたさま/\な事情、魂胆か。酒も発泡酒は豪州のChandon、白が智利のMaipo、赤も同じく智利のMapuで「なるほど」といふ感ぢ。食べ物の提供は極力減らすこと、幼児の立入り拒み、電子機器はマナーモード、野暮なBGM流さぬこと……徹底すべき。それだけでラウンジがどれだけ心地良くなるか。ホテル出て近所で中華系の料理供すビアホイに入る。一見して不味そう。だが他のチョイスもなし、で麻婆豆腐と炒飯←世界中どんな不味い中華料理屋でも最低、食べることの出来る二品注文。この判断間違つてをらず。ハノイでよく見かける飼い犬は小型のバンビのやうな可愛らしい犬で、この食堂にもまだ幼い犬がチョロ/\歩き回り可愛がられてゐるが店頭には犬の丸焼き掛けてあり、どうにも苦しさうな表情の狗首を見ると、この狗喰ひと愛玩の矛盾がなんとも……。暗い夜道でZ嬢が「あっ!」といふので何かと思へば路上にUSドル札。しかも100ドル札。思はず拾ふが明らかに紙質も印刷の手触りも偽札。おまけに裏にはベトナム語表示(笑)。ホテルに戻り、よく見るとNgân hàng Địa Phủで、Ngân hàngが銀行なのは想像も易いがĐịa Phủは何かと思つて調べると地府=冥府で「冥界銀行」てな感じか。おそらく地場の民間宗教で葬儀のときに撒く散銭かしら。とんでもないもの拾つてしまつた、と西湖に散らす。