富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

平和なら、ぼけててもいいんじゃないの。

fookpaktsuen2013-12-28

農暦十一月廿六日。晴。朝は気温摂氏9度。ベトナムハノイである、と思ふと極寒甚し。また夜明け前に目覚める。さう/\昨晩の覚へ書き:ホテルに還らうとHang Luoc通り北上して鉄道のガード潜つたら、日にいつたい何本走るの?といふ程度の単線の北部線なのに偶然にも列車が走るのに遭遇。寝台車連なり北部で長距離夜行と目を疑つたが十数輛で四人の個室寝台車並びきれいな食堂車も中間と最後尾に二輛も連結して「まさか?」週2便の河内発北京行きか、と思つたが北京〜河内は2輛の硬臥車両だとすれば、これは河内〜南寧の列車なのかしら。で、本日。Z嬢にHoàng Hoa Thám街456番地といふ場所で土曜骨董市がある、と誘なはれ丁度、ホテルの前のバス停から14系統のバスで一本なので、どうせすることもないし、と出かけてみる。バスはQuán Thánh街から西湖の湖畔に近いThụy Khuê通りを西に進みVan Cao通り過ぎたあたりで適当に下車。住宅街の路地に入り路上市場の並ぶドブ川渡りHoàng Hoa Thám街に出て東に少し進むと456番地。我ながら、よくぞ初めてで道にも迷はず、と呆れる。Z嬢の見たネット情報では通りからビルの地下に入る、一寸、勇気が要ると書かれてゐるが正確には「ぶらタモリ」的には、さきほどの強烈に悪臭放つドブ川がかつては地下水汲み上げ前はそれなりの川で河岸段丘が出来、その北と南にそれぞれThụy KhuêとHoàng Hoa Thámの通りが走り、Hoàng Hoa Thámの河岸段丘に面した建物は河岸段丘から高床式に通りの高さに合はせた建物並び、それぞれ低地に庭やさらに建物のある構造になつてゐる。面白い。その一画が土曜日の朝に骨董市となるわけで建物に囲まれた小さな敷地に骨董屋が小さなテーブル並べ蚤の市。何も買ふつもりもなく二束三文の品々眺めてゐるとクロスやパーカーのボールペンに並び箱入りのMont Blancの細身の万年筆あり。細かい造りや刻印、質感、適度な瑕と何より子どもに悪戯書きまでされた箱まで十中八九モノホンのはず。辛うじてカートリッジのインクが残つてをり最近まで誰か持ち主ゐたやう。書き味もまず/\。骨董屋の主人も「これは」と自信ありげで、まず先手で「いくらだい?」と尋ねると「Vt₫3.000.000なり」といふ。まぁそれくらゐはふっかけてくるだらう。これに半額で応じたら「馬鹿にするな」と叱りさうだしVt₫2mと言つてみて「ダメだ、それぢゃ」と言はれたら最終的にVt₫2.5mあたりで折り合ひかしら、とZ嬢と想定してゐたらVt₫2mに暫し沈黙したご亭主「いゝよ、Vt₫2mで」とあっさり商談成立。で、まさか買物するつもりもなくカネがない。一昨晩、空港でATMでVt₫2m入手しただけで何も買物もしてゐないが飲み食ひの上に昨晩のコンサートチケットだけでVt₫1mも使つてゐる。「銀行に行つてカネ下ろしてくるから」と骨董市出たが「よく、こんな雑多な通りに銀行があるよね」でATM二箇所宛つたがカードがいずれもリジェクトされる。かなり周辺を歩き亦た見つけた銀行のATMに近づくと守衛が「土曜日で銀行が休みだとカードも使へないよ」と教へてくれる。そんな……日本ぢゃあるまいし、って日本以下。そんはずない、と思ふが万年筆どころか今日は土曜、明日も日曜では現金がなくては路頭に迷ふ。かつてなら海外旅行の際は現地通貨に加へ必ずUSドルを100ドル札数枚とT/Cも持ち合はせてゐたしAmexの現金ご用立てサービスもいざの時のために覚へてゐたが今では世界中(日本ですら!)香港の銀行カードで好きに現地通貨下ろせるので何も用意してをらず。さて困つた。旅行で何か面倒になることは限りなく少ないアタシらも困つた。とにかく市街地に戻りませふ、と14系統のバスで戻ると市中心部に近づくにつれ銀行営業してをりATMも動いてゐる。だうやら少し繁華街離れたら、の土曜休みらしい。無事、現金得たが、さて先ほどのモンブランの万年筆、やはり捨てがたい。骨董屋の亭主は「け、負けさせてといてドロンか、時化た客だ」と思はれても嫌だし時節柄、晋三のおかげで「やっぱり日本人は信用出来ない」なんてのも癪。で14系統のバスでまた戻り無事、万年筆入手。前回のハノイではPatek Philippeの銀の懐中時計を得たが普段、旅で買物せぬアタシがハノイはなぜか大枚が飛ぶ。今日4度目の14系統のバスで終点のビエンチャンまで往くつもりが陸の孤島のやうな、バスの乗り換へせぬ限り往くと路頭に迷ふやうな場所であること思ひ出し旧市街の東河門で下車。旧市街に入つたHang Chieu通りはゴザや籠の商ひ多くZ嬢がビニールテープ編んだ籠を購ふ。ドンスワン市場近くの屋台でBanh Xeo(ベトナム風お好み揚げ)飰す。ホテルに戻り午睡。日暮れまで市中社会科見学。ハノイは、街角の、路地のバイク駐車整理の若衆一人/\でも何か物語ありげで主人公に出来そうで中上健次ワールド。いろ/\物語想像するだけで頭くら/\。社会科見学終へいつものBat Dan街のビアホイで麦酒3杯飲みお勘定したら手持ち金がVt₫23.000で高額に見えるが実はUS$1余だとは。フツーの都市生活ではあり得ない貧乏だがハノイでは麦酒がまだ三杯飲める。別行動だつたZ嬢と旧市街ハンザ市場(といつても今はショッピングモール)前で待合せ。ホテルに戻る途中にあるchả cá Lã Vọngといふ創業1871年の食肆に寄る。此処は雷魚の料理が有名で、といふかそれしかない、揚げた雷魚をカレー味の油でハーブと一緒に煮ながらビーフンにかけて飰す、その料理だけ。値段も1人前Vt₫17.000と強気。確かに不思議な美味さ。路地の屋台でZ嬢がChe(ベトナムお汁粉)頬張る。ホテルに戻るとまだ午後七時半。
▼安倍家の良心、昭恵さんの顔本への投稿。

今日の産経新聞産経抄
朝日、毎日新聞両紙が、首相の靖国神社参拝により「国益を損なった」としていることに対し、日ごろの紙面からは想像できぬほど国益を重視する筆致に感心した。と産経らしい皮肉を込めています。
以前国益とは何かという議論をしたことがあります。
国益とひとことに言っても人によってかなり認識が違いました。
もう一度国益とは何か考えてみたいと思います・・・

と。きちんと物事を考へて、の内容。夫に比べなんと立派。だがこの顔本の書き込みには晋三の靖国参拝讃美ばかり。
▼フランシス=フクヤマ先生、25日の毎日新聞のインタビューで秦の始皇帝が作つた中央政権国家にある近代性の萌芽に近著「政治の起源」で着目してゐるさうで「なぜ中国には民主的な政府が生まれなかったのか?」といふ記者の質問に「要素が表れる順序が重要」として「中国の場合、国家が先にできたために他の社会的要因を制御した。ヨーロッパには独立した市民社会商業都市が生まれ、権力に抵抗したけれど、中国では国家がその発達を統制していました」……と、これは卓見。最初に国ありき。日本も近代国家としての明治政府が市民革命でもなく倒幕といふ過程で出来上がつては、これも「国ありき」。シンガポールのリークワンユーによる独立、タイの国王に縋る戦後体制……こんな状況で西欧型の民主主義が育つはずもなし。隣の記事、湯浅誠「代議制民主主義への不信」も面白い。
▼信報(本日)に何漢權なる香港の教育者が「給日皇明仁的公開信」なるもの寄稿。

日皇明仁閣下:
筆者為中國香港特別行政區國民,現職中學教師,現誠意向閣下致公開信,期望你能收到及看到並且付諸行動。
銀髮乃珍貴冠冕,能享八十壽辰,並有日本國民合一拜賀,實在美事。媒體作出世界同步播出,以着眼新聞報道為誌慶,情理能容。在此,筆者也不嫌冒昧,祝閣下健康長壽年年,在任年月能超越你的父親日裕仁,日本國民幸福快樂。
你的八十歲壽辰記者會答問,世界同樣高度重視,當被問及一生及在位期間印象最深刻的事情,閣下直指:「三百一十萬日本人在這場戰爭中喪生,想到那麼多對未來有着夢想的人們,年紀輕輕就失去生命感到非常痛心。」同時又指出:「要把和平與民主主義作為應當保護的重要理念,制訂了日本國憲法,戰後的日本正是因為和平憲法的制訂,才有了今天。」
筆者翻查資料,得悉閣下於1989年繼任日本天皇,一直遵守憲法、恪守本分、勤政愛日本國民,1995年阪神地震、2011年宮城縣外海大地震,釀成的大海嘯災難,再造成福島核洩嚴重事故,都見閣下深入災難現場,與日本老百姓同負一軛。今天,回想歷史,你對第二次世界大戰日本所損失的三百多萬國民感到心痛,實是有感而發、國君肺腑之言。

とまぁ礼儀正しく日本の天皇に対する賞讃で始まる手紙は、そこから日本の中国侵略の道義的責任、戦後の政治家による史実無視の発言や行動、当然、今回の晋三の靖国参拝まで触れた上で

知悉閣下自登基後,多年來,從未有參拜靖國神社,這是帶領日本國民實踐和平的最好方法,期望你能以日本天皇之尊,發揮和平的影響力,讓日本右翼政客的猖獗言行能有所收斂,功紱無量,終究是為日本的國民謀最大的幸福!
過兩天是西曆2014年了,這又讓筆者想起,日本於一百二十年前已發動第一次侵華的甲午戰爭,日本是戰勝國,滿載而歸;第二次侵華,日本是戰敗國,中國是戰勝國,卻沒有向貴國作丁點兒的索地索賠款。歷史在說話,最後亦希望閣下能對日本、對中國乃至對全世界,為和平多說公道公義的話,讓大部分熱愛和平的日本國民能抬得起頭來!
耑此 候覆 並祝身心安泰

と陛下への期待。そこまでせねばならぬほど日本の政権与党の政治体制と考へが狂つてゐるわけで晋三の靖国のおかげで日本と中国との「冷戦」状況はさらに深刻に、とマスコミ。だが本当に戦争に向けて一触即発の状況と「冷静」の違ひは戦後アタシたちが米ソ関係で学んだところ。意外と安定であつたりもする。

日本は平和ボケしてる、って声を時々聞くけど、なんで緊張を強いるんだろう。平和なら、ぼけててもいいんじゃないの。

と俳優の西田敏行氏のコメントはここまで丸腰平和論が素敵(毎日新聞)。ちなみに中国も対晋三でエスカレートしてゐるやうだが、実は香港の「保釣行動委員会」が昨日、北京の最高人民裁判所に対して、昨年8月に日本の海上保安庁によつて自ら尖閣釣魚に向かつた船「啟豊2号」損傷があつたとして日本政府を起訴、1.65億元の賠償求めたが、裁判所は即、却下。北京も冷静さ。それにしても香港特区の外交権限は北京にあるのは基本法でも謳はれる事実だが容易に北京の裁判所に提訴、って香港自治への北京の介入に反対するメンバーも多い保釣行動委にしてはあんまり。