農暦一月十四日。土曜日だが今週は三日休暇で要取り戻しで官邸にてご執務。午後遅く旺角に遊び帰宅。野菜多く食しボジョレ邨はLouis Jadotのプリムール 09年飲む。録画で昨朝のNHK「あさイチ」で美輪明宏先生ゲスト出演眺める。舞台劇「黒蜥蜴」の宣伝。有働アナウンサーも美輪さんの舞台を「拝見させていただきに行くと」とか日本語がヘンだが美輪先生のコメントで東京に出てきていろ/\な方に親切にしていたゞいたが勘三郎(先代)の知遇を得、その数ヶ月後に三島由紀夫に遭ふことになつた、と。こゝに中村屋が出て来ようとは。それにしてもさすがの美輪先生も口跡はやはり多少の難あり。話してゐる言葉が幾度か聞き取れず。永六輔は声帯がかなり弱り、滑舌といへば、の黒柳徹子刀自も厳しいところ。美輪先生が77〜78歳で永さんと刀自は80歳。元気なのはいゝが老化は当然で舞台やテレビ出演はやはりそろ/\限界なのでは? ちなみに志ん生師匠は82歳まで存命だつたが高座下りたのは77歳で黒門町の師匠は79歳で引退、ご逝去。老化は致し方なく話芸の芸人は「聞き取れない」では辛いところあり。元気なのはまことに結構だが。
▼SARS疫禍から十年。新之助(現・海老蔵)の隠し子発覚からもちょうど十年。SARS疫禍とは何だつたのか。アタシの当時の日記を見ると二月はまだ他岸の火事(こちら)。三月(こちら)になると香港で感染広がるが問題は四月からが感染はもはや減少してゐるのに社会の、殊に日本などの大袈裟な対策(実際にはもう遅い)が過剰になり、その対応に追はれてゐる(こちら)。これは災禍の際のケーススタディとしてよく覚へておく必要あり。ちなみに「広東省で謎の肺炎」と噂されてゐたのが十年前の昨日(2月22日)64歳の広州中山大学の感染症専門の医者が来港。結婚式参列のため。太子の京華酒店9階に宿泊。この医者がIndex Patientとなり感染拡大、7名の海外からの旅行者がこれに感染したまま離港……でSARS疫禍始まる。その後の出来事は(アタシも当時かなりヒマでよくまとめてゐるが……)
2月24日 衛生署、この医者入院する廣華医院を検査。
3月4日 この医者が亡くなる。
3月6日 京華ホテルに宿泊して、その後ハノイ訪れていた米国籍中国人、香港に戻りPrince of Wales Hospitalに入院。13日に死亡。
3月8日 Prince of Wales Hospitalにて医療関係者の感染広まる。
3月11日 衛生署、この感染症について初めて正式にコメント。
3月13日 ハノイにてその感染者を診断したWHOの医者がSARSについて警告。
3月19日 非典型肺炎と思われる感染者、Prince of Wales Hospitalへの入院相次ぐ。いくつかの学校が休校措置。
3月22日 九龍地区のアモイガーデンの住民に感染者、Prince of Wales Hospitalに入院。
3月24日 Prince of Wales Hospital視察した医療管理局高官が感染。
3月25日 教育統籌局、香港の全幼稚園、小中学校の休校措置決定。
3月26日 アモイガーデンで感染増大始る。
4月1日 14歳の作製した疫埠記事がインターネットで広まりパニック。アモイガーデンの感染者、日に237名。
4月2日 WHO、香港、広東省への渡航自粛を要請。
4月3日 教育統籌局、学校の21日までの休校措置延長決定。
4月4日 英国航空、カンタス航空、香港への直行便欠航決定。
4月8日 九龍のそのマンションに隣接する公共団地で30余名の感染。ゴキブリによる感染か。
4月10日 70世帯に対して14日より10日間の軟禁措置決定。アモイガーデンE座の住民、軟禁措置解かれ帰宅。ウイルスはこのマンションE座のトイレの下水で拡散と解明。
4月11日 香港の空港から出発する全ての搭乗客の体温検査開始と決定。
これについて「こうして並べると深刻な時代だが、Z嬢曰く、これだけの疫病がわずか1,000名余の感染で済んでいることは客観的に評価されるべき、と。確かに」と。今日の信報の紀曉風「沙士十年港事幾番「辛」 管治十大問題更不堪」が興味深い。SARS疫禍から十年で何が拙いか、として挙げるのは
① 政府高官の問責制度。局長級人事を官僚制から外し任命制としたが董建華が財政司司長に梁錦松をば登用、これが税制改正前に自動車税上がるため個人で自家用車購入叱責され辞任。測量梁になつても行政会議メンバーの林奮強が政府の固定資産税改正案に対して発表前に所有不動産動かし行政会議から辞任は拒み無期限の休暇中とはこれ如何に。
② 政治モラルの低下。SARS疫禍の際に衞生食物局局長の楊永強が疫禍防げず責任とり辞任。同年の50万人デモで当時の保安局局長葉劉淑儀も事実上の更迭。それに対して国民教育実施などで無能罵られる教育局局長吳克儉強や飲酒運転の發展局局長陳茂波など厚顔無恥で役職にあり。
③ SARS疫禍当時、政務司司長だつた貧館曾をば「清潔大隊長」に命じ香港中の清潔運動実施したが今もつて衛生面で問題ある地区や建物など減らず改善のアトなし。
④ 市民デモに対して行政会議のメンバーだつた測量梁は機動隊の出動や催淚彈使用に言及、と唐紅酒が暴露したが市民デモに対して警察が公安化し威圧的、暴力的に。
⑤ SARS疫禍での香港経済の打撃から回復への起爆剤に、と内地からの「自由行」政策で香港に来る内地旅行者激増、景気回復はしたが市街地の不動産価格上昇で小規模の商店など撤退相次ぎ内地客の粉ミルク買ひ占めなど問題続出。
⑥ 基本法23条に基づく公安立法は2003年は50万人デモで世論が拒否はしたが測量梁の四大任務の一つがこの23条立法の由。いつ、どう政治日程に挙がるか。
⑦ 2003年当時、普選実施は07/08年が目標だつたが2012年にまで後退。
⑧〜⑩は経済項目だが市民の毎月の平均収入は03年はHK$9,700だつたものが現在HK$12,800まで増加はしてゐるが物価上昇は収入増の比率上回り実質的に生活は厳しくなり2011年の世帯あたりの収入も月額HK$20千に達しはしたが或る経済学者によればインフレ率など加味すると1997年当時と変化なしの由。結局のところ問題は収入増でも輸出増に追ひつかず、また対人民元レートも2003年当時はHK$1=RMB1.05だつたのが今ではHK$1=RMB0.805まで香港ドル安に見舞はれ生活物資など内地製品の生活必需品の値上げも顕著。この十年で政府は当時の台所事情は余剰金がHK$3.1千億だつたものがHK$2.5億にまで増へ結局のところ低所得者層ほど負担大。
而最反映這十年變化的,相信是七一遊行人士數字,當年是50萬人,觀乎現時政府的民望數字,四個多月後的那一天,人數或未至亦恐怕相差不遠矣。
@fookpaktsuenhkg: Cybercrime: Smoking gun | The Economist URL China “the most sophisticated and prolific” hacker of foreign companies.