富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

大和屋の中日版崑劇「牡丹亭」参観

fookpaktsuen2010-11-20

十一月二十日(土)薄曇。今日こそ走ろうと思つたが机まはり片づけ雑誌の切り抜きなど読むうちに昼に至る。安息日と決めて午後も読書。夕方、Z嬢と九龍塘。城市大学で来週のユニセフが香港鼠楽園周辺で開催するロードレースのゼッケン受取り。城市大学は九龍塘駅から地下道潜ればキャンパスの狭さ寧ろ活かし教学楼の拡張はまるでショッピングセンターにゐるが如し。週末の民間団体や老人福祉などに施設貸し出しも凄まじいほど積極的で今日はそれに卒業写真撮影が重なり芋を洗ふやうな賑はひ。大学=閑静なキャンパスも良いが香港の大学の中で都市型で至便性考へれば文字通り城市大学の名に恥じぬ。引退後最近はすつかり中近東旅行に勤しむ張信剛教授の学長としての功績のはず。油麻地。上海街の台所用品屋もきちんと見てみよう、みようと思つて久しいが今日も時間もないまゝChinemathique隣りの夏銘記で魚旦河を食す。自家製の魚旦、魚片が殊更美味。梁顯利社區中心で油麻地古今圖片展(写真展)参観(公式)。写真より説明多し。九龍では最も早くから開けた油麻地。この油麻地なる地名は光緒元年の書物にも記載あるさうで……と説明あり香港開闢以前か?と一瞬思ふが1875年で当然、英国領の時代。今でこそ尖沙咀が賑はふが尖沙咀はもと/\軍警施設が多く油麻地こそ地元民の市街で古くから娯楽など盛ん。此処に近い果物市場も公営のやうでいろ/\地下社会とつながる謂はヾ「悪所」。夜になると各地より果物積んだ貨物トラックが着き鯔背な若衆が忙しく荷を卸し始めるが未だに香港で消費される果物の八割が此処で捌かれる由。翡翠市場も有名だが元々は広州の長壽路にあつた翡翠市場が中国の赤化で1950年頃に香港に移つてきたものと知る。隣の公園では今晩が油麻地懐舊風情同楽日で舞台設へ晩に音曲の歌唱、雑技や漫才などあるやうで賑やか。十五夜で雲一つなき空に見事な望月。廟街角の源記で渣咋(口窄)を食す。路線バスで美孚。地下鉄に乗り換へ葵芳。Z嬢が美味いと察したSoulmate Coffeeはあまりに雑多な葵涌廣場の二階の隅。想像以上に美味なる珈琲。本当に美味。葵青戯院。大和屋の中日版崑劇「牡丹亭」(公式)。中日版の意味がよくわからぬまゝ京劇はあまり見ないZ嬢に筋を幕前に説明しやうと昼に網上で検べれば、ようするに靳飛*1が大和屋が演じられるやうに牡丹亭の脚本を拵へたもの。全55幕のうち杜麗娘と柳夢梅の好いた惚れたの故事に絞り南宋は南安府太守・杜寶が金兵南侵で都落ちして云々から夢梅が科挙考試で上京の途中云々、杜寶が亡き娘の屍をば掘り返さうとする夢梅を罪人と咎め……といつた背景はざっくりなし。曾根崎心中でも桜姫廓文章でも「背景」ってものが大切なわけで牡丹亭もさうした背景がなくてどれだけの芝居になるのかしら?が心配。兎に角、この芝居は「大和屋が崑劇で牡丹亭を演じる」といふ、その椿事の実在こそが核か、と念じて劇場へ。トチリの中央の上席を切符発売と同時に押さえたが既に真ん中席は売却済みでVIPか、と思へばアタシの隣は香港政府元高官で京劇好きのT元局長。数列前に畏友William鄧達智君、他に還暦前後の文化系著名人少なからず。大和屋の杜麗娘で柳夢梅を崑劇の若手筆頭の兪玖林。あとは杜麗娘の下女と母、それに花神など出演の役者も抑へ筋も「なるほど」と理解。大和屋さんも楊貴妃を歌舞伎に混ぜ、で京劇を習ふなかで女形の不在に「こゝはアタシがっ」と食指伸ばし、で京都南座での初公演から過去三年ほど、この牡丹亭の演目のを一幕ずつ増やし、で今秋は遊園、驚夢‧堆花、寫真、離魂、叫畫、幽媾、回生と靳飛氏の考えた脚本をほヾ踏襲。大和屋が「美しさ」だけぢゃ困るわけで(それなら三十代の頃にでも中国の改革開放の八十年代前半にでも牡丹亭演じてゐたら(京劇好きの周恩来先生が見られぬのは残念だが)鄧小平氏の前で天覧京劇も可能だつたはず)歌舞伎の演技力で見せられるのか、それを

坂東玉三郎的演出,既繼承崑劇傳統,亦精準地掌握角色的神髓,注入一種超越意識、空靈的日本美,特別是在《離魂》一折,他為杜麗娘的身段灌注了日本藝術獨特的「無常」感覺,因而別具神韻。(パンフレットより)

なんて「無常感」なんて言葉で済ますのは簡単だが、杜麗娘の厭世観や憂ひなど梅蘭芳でほヾ完成してをり当世には蘇州崑劇院で沈豐英が兪玖林相手に当り役としてゐる。で大和屋の杜麗娘は幕が上がるが、何よりやはり口跡に難あり。幕間でT局長も「東洋人の声楽家がイタリアオペラ歌うのと同じで多少の難は仕方ない」と許容、鄧達智君も自分だつて崑劇の古語はわからない、と笑つてみせるが、それでもやはり崑劇の場合、ことに崑曲の、あの独特の声腔といふものがある。大和屋がどれだけこの五年ほど牡丹亭の習得に猛勉強しても「崑腔」が出来なければ崑劇にならないわけであまりに難過。牡丹亭の、殊に「寫真」の幕の有名な曲をいくつも歌ふを見て、大和屋さんの苦労はわかるが無理がある。諳んじて歌つてはゐるが役者が幼い頃から仕込まれる「腔」は、文字通り肚のなかから音が発せられる技巧。ユネスコによつて「人類の口承及び無形遺産の傑作」と評され世界無形遺産なのだ。その歌唱あつての崑劇だろう。それに対して台詞こそ大和屋さんにはもと/\中文の素養がないのだから難癖はつけたくないが有気音と無気音の区別も不明で、韻を踏むのも不容易、発音もずいぶんと怪しいと思つたら中国語(普通話)の素養ないまゝに当初から崑劇の蘇州口音多い音曲を耳から倣つてゐるから標準音でもなく蘇州方言でもない中途半端な発音の不明瞭となつてしまふ。「不想我已経……」といふ台詞があつたら、それは独嘆なのだから「不、想我已経……」でなく「不想・我已経……」と息をつくのだ、と周囲が教へればいゝのに。……と苦言を綴ればきりがない、が坂東玉三郎という歌舞伎の女形の大御所が五十路過ぎて京劇の女形の育成に協力し自分も崑劇の男旦を習つてみませう、と精進し還暦で難曲、牡丹亭の杜麗娘を演じる……とそれだけで「見事」。日本では深刻な京劇好きは「大和屋が演じる牡丹亭なんて……」と当初から論外だろうし、それ以外には「玉三郎が京劇」といふだけで絶賛。中国でも北京、地元の蘇州、上海博でも好評だつたと聞くが中国的には「日本の歌舞伎の女形が崑劇」といふだけで物珍しく台詞回しや崑腔など兎や角言ふまひ。それで「好し」か。たヾ、やはり台詞や音曲が肚に坐つてゐないぶん、歌舞伎特有の無常観といつたものまで出しきれず。大詰めの幽媾、回生の幕は、さすがに感情が入つたか、そのぶん台詞はもうハチャメチャであつたが演技に表情も豊か。兪玖林は春の牡丹亭の舞台では沈豐英相手にかなりいゝ意味で緊張気味であつたが今晩は物語の筋が筋ゆゑか、かなり新宿コマでマツケンサンバの如き放心ぶり。下女・沈國芳が器用に大和屋に合わせ、何より石道姑と睡夢神の二役で呂福海が丑旦らしく見事な上海語の口音で滑舌の妙。

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富柏村写真画像 www.flickr.com/photos/48431806@N00/

*1:靳飛は日本での京劇普及に功績大の演劇プロデューサー。北京から東京に移住し朝日カルチャーセンターで京劇など講じていたが歌舞伎の中国公演にも携わるやうになり大和屋とは中国演劇で男旦(女形)が枯れたこと憂ひが興じて大和屋が梅葆玖から楊貴妃など習ふことになり牡丹亭に至る云々、と。因みに梅葆玖の父の梅蘭芳と親かつた波多野乾一の孫娘の婿が靳飛と聞く。