富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Temirkanov, St Petersburg Philharmonic

fookpaktsuen2010-11-21

十一月廿一日(日)薄曇。今日こそ走るつもりが何かと雑事済ますうちに昼。九龍站「圓方」の映画館で香港国際自主制作映画祭だかで中国の朱文監督の映画「小東西」見る。蒙古大草原の小さな湖の畔、夏のあひだ湖の小魚を捕り湖畔の風情ある小屋は客も来ないが一応は旅宿。そこに一人の西欧人の画家が泊るが素朴な主人とは言葉も通じず、だが意思のそれなりの疎通があり……で途中、剣劇やSFのような場面の挿入は意味不明で、実は映画の最後、現代の都市に戻ると湖畔の主人が著名な現代画家で西欧人の画家が旅人で……とテーマ面白いが。圓方のBose商店に寄る。しばらく買ほうかどうか迷つてゐたBoseのMIEi(モバイルヘッドセット)購入。Boseらしい音質のイヤフォン数年使つてゐたが耳に当たる部分が改良され携帯使用時のマイクにリモート機能あり。MTRで葵芳。昨日、葵涌商城のなかで見かけた小雨天なる、けつこう繁盛の食堂で豬骨湯米線を注文したが供されたのは豬骨湯と米飯で注文間違ひでなくアタシの広東語の発音が差〜! 昨日に続き葵青戯院で大和屋の「牡丹亭」見る。今日は四列目中央。当初チケット発売の際は四列目が最前列だつたが評判で(舞台袖の字幕が見えない)オケボックスで取り外し可能の前三列も発売になつた由。マイクを通さぬ直に台詞や歌を聞きながら大和屋の舞台を初めてみたのはいつだつたかしら……などと記憶を辿れば、さすがに勘弥の養子になり三島の「椿説弓張月」(1969年)の白縫姫は見てをらず海老蔵との「鳴神」なのか東文章での桜姫で孝夫さん相手の、あのブームだつたのか。ただ大和屋といふ役者はアタシは世間で「きれい」といはれる以上の役者としての舞台、演技としての何か、がわからないまゝ*1で、その対照にアタシの二十歳くらゐから昭和の終はりにかけて大成駒といふ役者がゐた。むしろ大和屋の地味な女房役や新派の芝居の方が少し面白いと思つたもの。で昨日に続き今日の牡丹亭の杜麗姫。今日は字幕も見ずに大和屋の所作と歌、台詞に集中できたが、やはり京劇特有の踊りのしなやかさは相手役の兪玖林が見事。歌も高音をファルセットで歌へても「鶴九皐に鳴いて声天に聞こゆ」で鶴鳴といふほどには難しい。やはりこの牡丹亭は「日本の歌舞伎の女形の第一人者が崑劇の牡丹亭で見せる「美しさ」を堪能する舞台」なのだろう。だから客も歌のアトや見栄をきつた時の「好!」といふ掛け声も拍手すらもなく、静かに舞台を見入る不思議な時空間。幕間に劉健威兄と話せば氏は上海博でも大和屋の舞台をご覧になつてゐる*2。そこでは梅葆玖が貴妃酔酒を演じ大和屋が楊貴妃を歌舞伎で演つてみせたが、もう一つ関根祥六の能の楊貴妃もあり*3。さすがに今日で三日間の舞台が終はりフィナーレで大和屋にも安堵の表情。拍手喝采香港大学のN助教授と一緒に帰ろうか、と話してゐたが三日連続で参観の張敏儀女史(大姐)に遭はれアタシはお先に場を辞す。昨日恐ろしいほどに珈琲の美味だつたSoulmate Coffeeに一服。MTR尖沙咀。Z嬢と待合せAshley街のEbeneezer'sでKebabとカレーで夕食済ます。かなり久々にXTCジェラート頬張り香港文化中心。Yuri Temirkanov率いるSt Petersburg Philharmonic Orchestraの演奏会。ピアノはDenis Matsuev(公式)が来てゐる。昨晩は荃湾(大会堂)でプロコフィエフの1番、同じくプロコフィエフのピアノ協奏曲3番にチャイコフスキーの5番。今晩はロシア五人組の一人、コルサコフの「見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語」の序曲をテミルカーノフらしい、さらりとした指揮で聞かせてからマツーエフ関が土俵に上がりラフマニノフのピアノ協奏曲3番。ホロビッツの再来なんていはれるが何がホロビッツの時代と違ふか、といへばテミルカーノフにとつてマツーエフのピアノ演奏は驚きでもなく許容の範囲内にありオケも進化し続けマツーエフの弾くプロコフィエフに楽曲が壊れない。勿論、マツーエフの演奏も(郎朗のオケへの奇襲に比べたら)けして天真爛漫なのではなく緻密に計算されたもの。こんな聴き慣れた曲のフレーズがいくつか、まるで初めてに聴こえるくらゐ面白く曲が終はれば客のかなりが立ち上がつての拍手喝采。同じサンクトペテルスブルグ(舊レニングラード)といへば今年三月にはゲルギエフ率いるマリインスキー劇場管弦楽団を聴いてゐるがマリインスキーの評価が高まるのと反比例して舊レニングラードフィルの、この聖ペテルスブルグフィルの凋落がいはれて久しくテミルカーノフには独特のあぢはひこそあれマリインスキーにはまだ比べものにならず、といふ評もあり。だがアタシはテミルカーノフのこの芸風が好き加茂。マリインスキーが伯林なら聖ペテルスブルグは維納か。中入り後はストラヴィンスキーの「春の祭典」。この曲が作曲されたのがロシア革命前の1913年。もう百年近く前の曲なのにアタシにとつてはまだ/\前衛。ぎり/\「火の鳥」と「ペトルーシュカ」は理解できるが「春の祭典」にはまだ何年もかゝることだろう。明晩はマツーエフさん「なし」でショスタコービッチの祝典序曲、チャイコフスキーのロミオ&ジュリエット、1812年とお目出度い演目。昨晩の満月に勝るとも劣らぬ見事な十六夜の月を愛でる。
▼先週末のCathay Pacific Jockey Club Cupに続き本日は同マイルと同スプリント(いずれも国際G2)開催あり。いずれも12月の香港国際の予選で今年から国際G2に昇格(ちょっと無理あり)。でマイルはAble Oneが確実だが馬券的には昨日、香港政府より大紫荊勲章だつたか授勲のStanley Ho氏のViva Patacaがご祝儀で、に期待して複勝を買ひスプリントはSacred Kingdomの単勝で、この2レースを跨いで組んでみる。結果、マイルはAble OneでViva Patacaは5着、スプリントはシンガポールロケットマンと香港の自由好が香港の重賞史上初の同着でSacred Kingdomは埋没。


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富柏村写真画像 www.flickr.com/photos/48431806@N00/

*1:もう15年近く前かしら、香港で市村萬次郎さんの歌舞伎があつた際に橘屋が打ち上げの二次会で、定評の真似で大和屋をやつてくれたのが大変面白く大和屋がどういう芸風といふかどういう人なのか「わかり易かつた」。

*2:これについて張敏慧女史による記述・信報(十一月二日)引用してをくと「能樂的楊貴妃戴着面具,抖手執扇,懷念大唐時難忍嗚咽哀鳴,教人有種「悲從中來」的感覺。她翩翩舞動「霓裳羽衣曲」,把當日與皇帝間的密語,「不往外傳的發誓詞」告訴方士。「在天願作比翼鳥,在地願為連理枝」,回想與玄宗一起的生活,她慢慢抬起左手掩面,貴妃哭了。貴妃把玉簪交給方士作為見面證物,打發他返回大唐凡間覆命。揮扇,掩面,沉醉,下淚,永別了,貴妃重新站起來,轉向背着觀眾,腳步平行移動,慢慢入場,整整一分鐘,全場靜謐無聲。場面音樂單調,只有兩鼓一笛,「地謠」伴唱八人,我憑着字幕理解曲詞,一切動作都在緩慢、凝重中進行,氣氛卻異常優雅、嚴肅、悲情。到底台上偶人是人戴面具,還是面具戴人演戲?想正是關根祥六說的「在簡練的舞台上,伴隨着舒緩的節奏,通過微妙含蓄的手勢和暗示性的形體動作,來刺激觀眾的想像力和思考」(場刊)。完全聽不懂曲詞,可是人物悲咽之情,竟在關根祥六的緩緩挪移身體當下,傳遞到我心底,這是十分奇妙的觀劇經驗。」とさすが香港の劇評の第一人者、能をよくご覧になつてゐる。

*3:今年六月の上海万博「日本週間」に合わせた上海芸術祭「万博祝賀中日演劇名優公演」は十日と十一日が大和屋と蘇州崑劇院の牡丹亭、十二日が関根祥六、祥人、祥丸が三代で能『船弁慶』 等。十三日が張敏慧女史の記述にある大和屋、梅葆玖、関根祥六の舞台。関根祥人氏の逝去にあたり畏友・村上湛君が「蘭摧餘薫」と追悼の文を書かれたのを読ませていただいた。