富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-08-29

八月廿九日(土)このところ滅法、酒に弱くなつた。あのくらいと自分で思ふ酒の量だが帰宅するあたりから記憶が怪しく宿酔。ぼんやりと金村修『斬進快楽写真家』讀む。この薄さで1,600円はないだらう、と思つたが内容は金村修がびつしり。宿酔ひで讀むには鳥渡つらい。でも惹かれるから。ウジェーヌ=アジェが巴里を写し東京も春日昌昭があゝ写してしまつたから、と思ふと金村修が今の東京を撮る作風がなぜあゝなつたのか、がわかる気がする。本当に真面目な写真家なのだ。午後、科学館で映画『小城之春』見る。1948年の費穆によるオリジナルと2002年の田壮壮によるリメイクの二本立て。費穆は1940年の戦時下での「孔夫子」も大したものだが、この映画も1948年といふ年によくぞ、この小鎮の名家を舞台に「太宰治菊田一夫を足して二で割つた」やうな微妙な恋愛心理劇を撮つたもの。日本軍による破壊と戦後のどさくさの中で凋落の運命にある名家の嫡嗣、その病弱の夫に気持ちを許せぬ妻、健気な妹、この家に先代の頃から仕へる老僕、そこに嫡嗣の友人で精悍な若医者が訪れる。この若医者は妻の十代のころの恋人で再来にまた妻の心が揺れ夫はこの二人の気概に我が身の弱さ憂ひ死を覚悟する……と、その微妙な日々をこの水郷の古鎮の(田壮壮の作品では桐郷の烏鎮鎮)春の季節に見事に合適させる。中国映画でも恋愛心理物として名作中の名作。それを敢へてリメイクした田壮壮も立派。オリジナルの筋をほゞ蹈襲。が一つ、二つ大胆な書き換へもあり面白い。尖沙咀で大家好カメラ商に寄りVoigtlanderのVCメーターII見る。HK$1,480は日本での価格(最安値20,700円)よりまだ安いがSekonicの露出計、ライカのMRメーターもある、と思ふと亦た一つ購ふと「露出狂」なので鳥渡、躊躇。帰宅して大根をろし汁に韮を煮て豚肉をしやぶしやぶして食す。録画しといたNHK井上陽水の特番「Life」を見る。寝際にアンリ=カルティエブレッソンの『こゝろの眼 写真をめぐるエセー』讀む。岩波書店
科學技術が鳴らす警笛の破壞的な音につゝまれ、グローバリゼーションといふ新たな奴隸制度と貪欲な權力爭ひに侵掠され、收益優先の重壓の下に崩潰する社會であつても、友情と愛情は存在する。
とHCB師。これほどの老大写真家が言ふ。築地のH君が座右の銘にしさうな言葉。
アナーキー、それはひとつの倫理だ。
▼一日に金村修とHCBの二人の写真をめぐるエセー讀んだので忘備録的に数日前に讀んだ木村伊兵衛『僕とライカ』に収録あつた1951年の『カメラ』誌上での歴史的な木村伊兵衛土門拳対談から伊兵衛先生の「印象派」について。伊兵衛先生「僕は絵画の印象派のことはよくわからないけれども」と前置きしつゝ
印象派は光をスペクトルで分析して、七色にわけた。それまでの木の葉は�に、木の幹は茶色にといふ觀念でなく、光の當り方によつてそれが七色に分析され、光の强く當つた場合は、どの色とどの色が結びついて、木の葉はどの色に出る、木の幹はどの色に出るといふやうに、光の分析によつて印象派は光の問題を突き詰めて行つた。云わば科學的にやつたはけですよ。寫眞においても、さういふことが云へる。
かういふ徒だのない、湯川博士、朝永博士の随筆もさうだが科学と美学が合はさつてしまつた方々の文章表現は美しい、本当に美しい。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

漸進快楽写真家 (インディペンデントな仕事と生き方の発見ノート―YOU GOTTA BE Series)

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こころの眼―写真をめぐるエセー

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