富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-05-15

五月十五日(金)早晩に尖沙咀のDomonに葱ラーメン食しJimmy's Kitchenにドライマティーニ一飲。香港文化中心。珍しく香港フィルの演奏会聴くは今晩がPerry So(蘇柏軒)君の指揮者としての香港デビューゆゑ。昨年までRTHKのChannel 4で週末の朝に早期古典楽曲番組あり独得の声色のパーソナリティが巧みに楽曲紹介。で昨年秋に香港の蘇柏軒なるほとんど無名の若手指揮者がプロコフィエフ国際指揮者コンクールで優勝、といふ音楽記事を信報で読み、そこで実はこの指揮者は指揮の研鑽積むかたはらRTHKで番組パーソナリティを、とあり「あつ、あの」とアタシは合点した次第。ラジオで聴く落ち着いた口調で、まさか二十代の青年とは思ひもせず。でそのPerry君が香港フィルでエド=デ=ワルトの許で見習ひ指揮者となり今回が香港での初舞台。今晩の演奏会開催を知つたのが二週ほど前で已に大方切符は売りきれ辛うじて舞台上手後方の弦バスの上の安い席を確保したが、却つて此処は指揮を見るには絶好。で演目はモーツァルトのCosi fan tutteの序曲、ベートーヴェンのピアノ、提琴とセロのための三重協奏曲、で中入後がドボルザークの九番「新世界」。指揮者の指揮ぶりを見るには「新世界」はあまり指揮者の個性が出るとは思へず、アタシは全く聴いたことのない、ベートーヴェンのその三重協奏曲に期待したがアタシにはちつとも面白くない曲に思へ、三重奏の中で唯一難度の高いセロの独奏(香港フィル団員のWong Sze-hang)が高揚するばかり。指揮者は頑張つても香港フィルが室内楽編成でかうした曲に面白さを出すはずもなく、たゞつまらなさう。パンフレットに「拍手は、楽曲が楽章に分かれてゐる時は全曲が終はつたときだけ」なんて書かれてゐるのもご愛嬌だが実際に第一楽章終はつて盛大な拍手(笑)。この曲なら香港フィルより香港シンフォニエッタのはうがずつと面白い鴨。「新世界」ではやはりこのPerry So君独得の面白さも出ようはずないが掌本の寄稿文によればPerry君は一ヶ月ほど前に自室の書棚でこの曲のスコア本を見つけ、その表紙裏に書かれた名前と90年代前半の日付から、そのスコア本は小学生の時に買つたもので、おそらく貝九(つまり「合唱」)と並び指揮者になりたい、と思つた少年がCD聴きながら最初に指揮をして遊んでゐた楽曲の一つで、その後、指揮を学ぶ頃にはヱバーン、ストラヴィンスキ、ショスタコーヴィッチ、ヴァレスやベリオなど二十世紀に入つてからの音楽に強く興味を持つやうになつたがドボルザークの、とくに「新世界」は単純で幼稚な曲に思へ興味もなかつた、と正直に本人。だが、つまり小学生の時から指揮歴?はすでに15年もある曲ゆゑ指揮ぶりは実に手慣れたもの。「新世界」では第三楽章のスケルツォが、この曲のなかでは最も指揮者の統率が要る楽章だらう、が上手にまとめてみせた。指揮を芸風でいへば歌舞伎なら亀治郎のやうな、器用だが鳥渡、くどいところあり。そりや地元での指揮者デビューの初舞台、終はつて意気高揚のPerry君、オケもこの将来有望な指揮者の、今晩は独り舞台と思つてゐただらうが、Perry君は歓声と拍手のなか一旦、下手に退いて復た舞台に現れた時には自分よりオケの団員の何人かを立たせ讚辞を送り、指揮者として最も大切であらう、楽団員をどう喜ばせるか、を心得てゐるところは見事。アンコールはなし、で舞台跳ねた後は中文大学の呂大樂教授招き舞台でトークセッションとなる。Perry君は本人曰く、古典らしい曲ではブラームスの二番、で最も好きな曲はプロコフィエフの五番だと言ふ。慥かにプロコフィエフの五番やストラヴィンスキーをやつてこそ、この人の指揮者としての力倆がわからう、といふもの。
天安門事件から20周年の今年、「目玉」はいつたい何かしら、と思つてゐたら趙紫陽さんが生前に語つて遺したテープ数十本に及ぶ録音があり、それが近々出版される由。この録音は趙紫陽の側近であつた鮑彤が保管し息子の鮑樸が英訳の“Prisoner of the State”がまづ今月十九日に出版され、この日は趙紫陽天安門広場に現れ民主化求める学生らに「来るのが遅かつた」と涙ながらに語り、公衆の面前に現れた最後の日、から二十年目にあたる由。その後、中文版『改革歴程』出版とするのは英語版を先に世界的に認知させ報道があることで中文版が焚かれるのを難しくするため。本来、共産党政府の官僚主義の弊害や汚職に対する抗議であつた民衆運動が党中央にあつて「反政府、反社会主義の国家顛覆活動」と認知され弾圧されるに至る過程を当事者として趙紫陽がどう語るか、は興味深いところ。
天安門事件といへば昨日の香港立法会議会の席上、自称政治家「文革曾」行政長官が民主派からの「平反六四」(天安門事件に関する再認識)迫られたやりとりの中で「天安門事件からずいぶんと年月も過ぎ、その間、国家はさまざまな面で発展し香港も経済発展してゐる。香港市民が国家の発展に対して客観的評価が出来ると信じる」と発言。この詭弁に民主派が反発すると、さすが文革曾、さらに「自分のこの考へは香港市民全体を代表する見方だ」とまで強調。民主派が議場から退席し文革曾もさすがに後ほど発言を謝罪してみせたが本心は語つた通りだらう。棚ぼたで行政長官まで成り上がつた小役人の度胸に呆れて言葉もなし。

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