富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-04-20

陰暦三月廿五日。穀雨、だが畑に育つ茄子や胡瓜も茹だるが如き気温はもう摂氏三十度越える暑さ。
▼ジャッキー=チェンの「中国人は管理されるべき」発言がかなり波紋呼ぶ由。昨今「自嘲」だの「反語」といつた言葉の綾、含みに欠け、たゞ言葉尻のみとらへ論うこと多し。日本の首相が「中国人は管理されるべき」と発言すれば問題とならうしシンガポール政府の国民管理は不愉快。たゞ中国人自身が「中国人は管理されるべき」といふのは、さうでもせぬと、といふ自省含んでの苦渋の指摘、ととらへることも可。ジャッキー=チェン本人も「マスコミは「断章取義」でコメントの一部のみ好きに解釈してゐる」と指摘する。が、亜細亜首脳の鳩る国際会議で立場ある芸人(中国映画製作者協会だかの副主席)として、は発言がどう扱はれるか、を考へれば確かに場所を弁へず「言ひ過ぎ」。なにせ実質的に中国政府主催の会議で首相が参加なのだ。
▼蔡瀾氏が蘋果日報の随筆で映画『おくりびと』を評す。アタシはあまり蔡瀾を讃めないがこの映画評はさすが蔡瀾。(原典の以下、抄訳)
葬式といふ感傷的な題材で伊丹十三は映画『お葬式』で日本人の形式主義を諷刺してみせた。この映画が感傷的である、とするなら同じ桜一つの映し方でも野村芳太郎監督の『砂の器』と、この『おくりびと』で、さてどちらが大作か、は明らか(注)。山崎努は私(蔡瀾)が最も好きな日本の俳優で黒澤明の『天国と地獄』から突出した演技力を見せ年をとるに従ひ……(と讃め)広末涼子も大人の女として成功を見せた映画だらう。が、それに比べ本木雅弘の演技は幼稚で、香港映画祭で最優秀主演男優賞とつて映画の宣伝にはなつた。この主人公の奏でるセロも最初はなんでチェリスト?だが映画の物語のなかでセロの比重こそ高まり、これは滝田洋二郎監督の平凡さから物語を紡ぎ出す手法ではある、が山田洋次の映画作品と比べれば当然、差は一目瞭然。『おくりびと』は物語の展開で「何が必要か、どうすれば最良か」の思考に長けた日本人らしい作品で、これは中国人が学ばねばならぬこと。米国で発明された自動車を、日本人がその後それをどう学び世界に冠たる自動車輸出国となつたか、印度のカリーをカレーライスにしたのも同じで「日本らしさ」で完成されてしまふのだ。
……と最後は日本文化論にまで話が広がるが、慥かに劉健威兄もこの映画の物語の筋の「作りすぎ」指摘されたが、出来すぎ、が赦され「みんなで感動する」ところあり。それぢや『タイタニック』は何が違ふか、といへば同じ気もするのだが。
(注)『砂の器』で放浪する親子が厳しい冬を越え春を迎へたシーンのこと。慥かに頗る印象深いシーン。たゞ、あれは桜でなく杏、と聞いたこともある。
▼FT紙のすごく地味なベタ記事だが興味深い“Thaksin claims Thai king knew of coup plot”。先週金曜日の一面トップでのタイのタクシン元首相のインタビュー記事の続報。前出の記事では表現が婉曲だつたが後出のこれでは2006年の、自らが首相の地位追はれたクーデターは勿論、これまでの政変も全て「国王の御意のまゝ御随意」と、実際にさうだらう。が、元首相の立場にあるタクシンが、それもタイでの権力復帰を狙ふ立場でこの発言は明らかに戦後の王室を頂くタイ体制そのものへの挑戦以外の何ものでもなし。中国でも趙紫陽が北京訪問中のゴルバチョフに「全て鄧小平に決定権」がある、と誰でも知つてゐる公然の事実を口にしただけ、で物言へば唇寒し京の風、なのだつた。

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