八月八日(金)台風一過どころか一昨晩より曇天続き昨晩深更に雷雨。雨は今日午後まで止まず。昨晩から大汗かいて寝て熱は退く。晩に五、六年ぶりで(確か競馬の香港国際で成澤大輔さんのご所望の際に来て以来で)九龍城の創發潮州飯店。知己のN氏が縁戚が来港するが潮菜が食べたいと請はれて、と。それぢや折角だから創發で私らも久しく很久没去、ご一緒しませうといふことに。店内の調理済みの料理並べた棚はすつかりオープンキッチンに改装。食後に九龍城を漫ろ歩き地茂館で甘味。客人を尖沙咀のホテルに送り三更に帰宅。
▼アサヒカメラ8月号。ニコンのD700なるフルサイズのデジイチ発売。旗艦機D3との組み合はせが曾てのニコンFとFT、F3とFE2、F5とF100のやう、と言ふがデジタルの時代にニコンFやFE2の時の感動なんてものはない。「デジタル乱世に迷はぬ戦国武将別カメラ選び」なんて特集であたなは信長派?秀吉派?なんて信長がニコンのD300で秀吉がキャノンのEOS-1Dsの由。全く意味不明の特集。ただ武田信玄のシグマDP1といふのは何処か納得できるところもあり。この写真誌でチヨートク先生や赤瀬川原平さんの連載も面白いのだが結局のところ一番印象に残るのが「木村伊兵衛のこの一枚」となつてしまふ。昭和23年の夏、鴬谷の駅のホーム(山手線外回り)で対面のホームの、ベンチに坐るモンペ姿の娘4人、その向かう1番線に列車が入つてきてゐる、それだけのスナップなのだが。なぜにこれにそんなに惹かれるのかしら。ところで日本カメラ8月号で写真家の菅洋志の連載に最近、肖像権などうるさくなりスナップ写真が撮り難くなつたといふ記述で
肖像権といった言葉は昭和の時代にはあまり耳にしなかった権利意識だが、平成になってからの二十年間に、日本が欧米なみの国家を目ざす代償として、異常と思えるほど法で縛り、身軽に撮影までもが出来なくなった。
とあり。これは明らかに間違つた認識だらう。肖像権じたいは王貞治さんの通算800号ホームラン記念メダルやおニャン子クラブのカレンダー販売など昭和の時代にもけして珍しくない権利意識。但し当時は肖像権は著名人が勝手に自らの肖像を利用され第三者が商行為を行ふことでの権利侵害。それが今日は、市井で個人が勝手に撮影などされることに対して敏感になり肖像権といつた権利意識を有するに到つた、のは何故かと言へば小学生でもわかる話。
肖像権といった言葉は、昭和の時代には著名人がみずからの肖像が第三者により勝手に商行為に利用されることを防ぐような権利意識だが、平成になってからの二十年間に肖像を含む個人情報保護の意識の高まりと、画像がネットを通じて不特定多数に、場合によっては不当に利用され犯罪にまで結びつく時代となり、昔のように被写体になる人は警戒して、そんな簡単に写真を撮らせてくれなくなった。
だと思ふのだが。
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