富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-08-09

八月九日(土)昨晩いただいた島根は河津の敬川まんぢゆうを朝食のあと食す。小豆餡の砂糖が美味い。午前中ちよつと走つたが体調今二つ。午後遅く中環。カラーシックス現像店に越南旅行のポジフィルム現像に出し久々にFCCのバーでドライマティーニ一飲。新聞読み。銅鑼湾に向ひケーブレクス電脳商店でアップル社の画像処理ソフト Aperture 2 購ふ。昨晩、日本カメラ8月号眺めてゐてRAW画像処理の特集あり。基本的にはJPEGで撮つたが勝負、小細工なしが基本とチヨートク先生に肖りさうしてゐるがデジタルカメラは夕方以降になると下品な色彩になること多く「色を落とす」のに画像処理ソフトが必要。かつて父親の遺品のカメラをいくつか処分させてもらひニコン好きであつた父の形見であるから、とニコンデジイチD70s)購つた頃にNikon Captureなる画像処理ソフトも入手。さすがカメラメーカーだけあり充分なソフトで使ひ勝手良く重宝したが当方のMacのOSのアップデートにそのソフトが対応しきれずアップデート版まで購入するまでもなくニコンとの縁も切れてをり、ただ最近のMacは付属のPreviewのソフトで簡単な画像処理が出来るのでそれで間に合はせてゐたが日本カメラといふ雑誌はあたしに余計な支出を唆すクセがあり、この特集を読んでゐたら「やつぱり評判のCapture Oneかねぇ」と思ひお試し版を早速ダウンロードして使つてみたが一言でいへば「作業が細かすぎ」でアタシのやうなスナップ老人には面倒。でやつぱりApple社のApertureにしようか、とした次第。太古城の路上で9月の立法会選挙に立候補の何秀蘭が選挙運動中。香港の泛民主派のアイドル的存在だつた彼女は前回の立法会選挙で、現職として、その後公民党の党魁となる余若薇と組み立候補したが李柱銘と揚森の両ベテラン現職2名の当選が際どいと判断した民主党が投票日直前の「急告」でリベラル票を「必要以上に」集めてしまひ、その結果で煽りを受けたのが余若薇&何秀蘭の組。僅差で親中派御用政党民建聯に破れ何秀蘭は落選(民建聯は党代表の馬力に加へ福建女王・蔡素玉が当選の幸運)。昨年の馬力逝去での港島区補選ではアンソン陳方安生が葉劉淑儀を破つたのも記憶に新しいところだが、これも本来は前回選挙での「貸し」もあり何秀蘭が泛民主派代表で立つところ敵がレジーナ葉では手強すぎると何秀蘭は退いてアンソン女史の立候補促したもの。さういふ意味では今度の選挙こそ何秀蘭に手を貸すところはありさうだが、一期で「一つの役目果たした」と立候補辞退のアンソン女史が何秀蘭の応援にまわれば選挙も面白くなるところアンソンは公民党のゴッドマザーと化し、前回の選挙で何秀蘭と統一候補組んだ余若薇は公民党でヒロインの陳淑荘を筆頭候補に立て自らが二番手となり公民党での二議席確保に熱心、民主党はマーチンの引退で1議席確保も危なく無所属候補の応援など手の回らぬ火の車。何秀蘭は結局、孤立無援の無所属単独で今回の立候補は立派。チラシ受け取り「頑張つてね」と鳥渡だけ立ち話。近くのスバルのショールームにふらりと立ち寄りレガシィのワゴンの新型を眺める。スバルは父がスバル360からスバル1000、レオーネ、4WDになつたレオーネのワゴンとずつとスバル愛好家であつたためアタシの高校生までの記憶がすべてスバルに被る。80年代に「車はスバル」だつた父が突然、それまで大嫌ひだつたはずのトヨタマークIIの3ナンバーの上級車に乗つたので「世の中、バブルで変はつた」と感じたもの。ショールームの若者につい昔話したら「スバル360つてほんと小さくてデザインが最高!」と香港でもやつぱりスバルの営業マンだな、と嬉しくなる。車はスバル、ビデオはベータ、野球は阪神で投票するのは社会党、と頑固一徹で通さうと思つたがベータと社会党はなくなりスバルが宿敵トヨタ傘下となり阪神だけが強くなつたが、それはそれでつまらない。帰宅してモヒートを一杯。晩に半月ぶりくらゐで焼き魚に冷奴、ご飯に味噌汁、お新香といふ日本の夕餉。やつぱりこれがいちばん。七月末に旅行に出た直後にテレビ放映のあつた「鶴瓶の家族に乾杯」で越南のホイアンの特集。ビデオに撮つてあつたのを眺める。のんびりした越南の異国情緒たつぷりの(と、それは事実なのだが)実際にはもつとめつちやくちや観光客ばかりで土産物屋しかないのだがテレビ番組はほんと上手く写し、映すもの。さういへばベトナムといへばZ嬢がハノイで街中を歩いてゐたら路上でバイクの整備してゐた職工の若者がZ嬢を見て「アヂノモト!」と冷かした。ジャカルタでは夜遅く静かな裏町の路上で物陰から「おしん……」と声のかかつたZ嬢で「味の素」にも今更驚かず宮様の妃殿下のやうな笑みを職工に返したので相手が面食らつてゐたが、やつぱりベトナムつて化学調味料が主食だから「味の素」はその中でも現地や東南アジア製に比べ高級で「日本」のイメージなのでせうね。だが基本的にMSGを一切使はぬZ嬢にしてみればスバルのユーザーがトヨタ!と呼ばれるやうな複雑な心境かしら。寝しなに桑原甲子雄の写真集「東京下町1930」を眺める。桑原甲子雄は偶然にも2001年の夏に東京都写真展で「ライカと東京」といふ甲子雄さんの写真展を見て写真界の名伯楽の若い頃の都市風景の切り取り、それもスナップ写真の見事さに驚いたが、この「東京下町1930」は甲子雄さんがそれもライカを手にした21歳くらい(つてそれじたい当時では破格だが)の日本が戦争に向かふ時期の東京、生まれ育つた上野を中心に浅草から銀座までの風景。荷風散人の通つた銀座の富士アイスが書籍の教文館ビルのところにあつたとは知つてゐたが実際にその店舗の華やかさまで甲子雄さんの写真で始めて見る。どの写真も頗る良いが巻頭の、若い甲子雄さんが鏡に向ひライカC型で撮つた自画像の、自信満々の青年の笑顔がたまらく素敵。
朝日新聞(国際衛星版9日)に丸谷才一氏が「『高野聖』劇化への一提案」を書いてゐる。七月の歌舞伎座で大和屋と海老蔵君の「高野聖」を見た丸谷氏は役者は上手いし綺麗なのは勿論(とりわけ水浴の場面)と誉めたた上で「台本に難がある」と女(玉三郎)が去つたあとのお終ゐの場、女(玉三郎)の正体を老爺が語り明かす場面について「この解説が長くて退屈する。ぢつと聴いてゐる海老蔵の美貌も、三分も眺めれば堪能するのに、台詞は延々と続くし、目さきは一向に変はらない。演劇性を忘れて名目だけの文学性を重んじる態度であつた」と。で丸谷先生のこの場面の私案が続く(その私案はあまり面白くない)。先日の日剰で久が原のT君が千本櫻に続き、この高野聖についてもメールに書いてくれてゐたところ(興味深い話を聴く、とだけ綴つたが)。そこでT君がこの高野聖の芝居について地でいける大和屋にとつて、この役は名月八幡祭の美代吉と並んで傑作なのでせうが「そもそもが高野聖は小説であつて劇ぢやないから、状況は描けても展開がない」わけで演出も足りないとした上で、この「高野聖」の芝居で秀逸と誉めたのが実はこの老爺を演じた歌六の語り(丸谷氏の記述では老爺の役者の名=歌六も出てこないが)。「玉三郎が去つた最後の10分以上、一人語りで舞台をすつかり支配してのけました。これは語りの力、芸の力。」とT君。この対比が興味深いところ。萬屋の舞台はもう何年も見てゐないが若い頃から口跡の良い役者。その語りを「解説」と言つてのけた丸谷先生。語りが長かつたのは事実だらうが。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

東京下町1930

東京下町1930