富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-12-10

農歴十一月初一。晩に中環。札幌らーめんの「札幌」で恵比寿麦酒(小瓶)で焼餃子、つてオヤヂだねぇ、でZ嬢を待ち札幌ラーメン食して市大会堂。昨日より香港ショパン協会主催の音楽会が一週間。今晩は中国出身で今は巴里在住の弱冠22歳のピアニスト、Wu Mu Ye(吳牧野)君のリサイタル。Z嬢、チケット持参忘れる粗忽ぶり発揮。で優しい私は自分のチケットをZ嬢に授ける。ちよつと体調不良で按摩でも行かうか、と(こつちが本音)。ちなみに今晩の演目は緊張してのシューベルトソナタイ長調(作品120)、若さ発揮でストラヴィンスキーペトルーシュカからの3楽章、中入り後のブラームスソナタ第3番・ヘ短調はかなり上出来、とZ嬢の話。按摩の途中、師傳とのの四方山話が「食左飯未呀?」と「ご飯食べた?」からだいたい始まるが按摩師曰く「今日係食齋、因為初一」と。陰暦の朔日と十五日は食肉戒の風習など、まだかうして市井に残つてゐるのだなぁ、とつくづく感心。芸人、仁侠、花街に按摩……市井とは多少離れるが、かういふ世界こそ信心厚きもの。帰宅してジャックダニエルを二杯飲み白州正子『両性具有の美』少し読む。
▼香港の街で何か食べよう、と思つて、食肆の看板を見上げる。そこに「京川滬」とあつたら、まづ避けるべき。北京、四川、上海(滬)と、香港で地場の広東料理を除く、何でも=何も美味さのなひどうでもいい食ひ物供す肆、といふこと、とアタシは思つてゐたが劉健威兄もさういふことを書かれてゐて「やつぱり」と合点してゐたが、なんとアタシは大きな誤解。先週末の信報で唯靈氏の随筆を読んでゐたら「京川滬」について言及あり。「京川滬」といふ名称が飲食業界で使はれるやうになつた四十年代、「京」は南京で、当時は北京はまだ北平で略すなら「平」。で抗日戦争勝利の後、重慶にまで引つ込んでゐた国民党政府が南京に戻り、更に揚子江を下り上海まで重慶四川料理が齎され、その過程で辛さが押へられ所謂「川揚」となる。これが「京川滬」だ、と。なるほど。
▼昨晩の葡萄酒(復習、斎藤さんのデータ転載)。新西蘭はパリサーエステートのPENCARROW(Chard 05年)。AOC サンセールのフルニエ・サンセール・ランシェンヌ・ヴィーニュ(Sauv Bl 05年)。Napa ValleyのBeringer Pinot Noir(06年)。西班牙がLa Rioja(リオハ州)はTelmo RodriguezのLANZAGA 03年(テンプラニーヨ100%)。南アはステレンボッシュのTHELEMA、シラーズの03年。Peter LehmannのMentor Barossa(02年、Cab S 63%、メルロ21%、シラーズ16%)。そして有馬記念頑張つてください、で入江さん持参のシャトー・ロックドゥカンブ(04年)。
▼「爆冷」跑輸賭王好冇癮。マカオのカジノ王・スタンレー何鴻燊氏。愛馬「爆冷(Viva Pataca)」で今年四月のQE II Cupとの連覇狙つたが念願叶はず。Stanley Ho氏、四人の夫人(うち第一夫人は逝去)のうち競馬場にいつも同伴は四太(第四夫人)。この四太の、愛馬応援の髪振り乱し喜怒哀楽賑やかな興奮ぶりはすつかり今では競馬場名物。今回はわりと地味に「憮然」の表情。それでも可笑しいが。で昨日の香港国際カップでなにがマカオのカジノ王に失礼か、といへば愛馬のゼッケンに書かれた名前は VIVI PATACA と誤記。これぢや運も逃げる、か。ところで昨日の香港カップデットーリ騎乗のRamontiが最後の直線でViva Patacaの走行妨害として抗議あり。審議十数分。結局抗議不成立。馬の走行具合の審議にあらず、じつはゴドルフィンのナントカ殿下を勝たせるべきか、マカオのカジノ王を勝たせるべきか、の審議ではなかつたのか、と噂して時間を潰す。結果、いくらマカオがラスベガス凌ぐ世界一のカジノ規模になつても石油資本に比べれば可愛いいもの。で結局、石油の勝ち、ぢやないか、と。ところでヴァースで期待外れたDylan Thomasだが、入江さんも「パドックで見たディラントーマスには、正直がつかりした。勝ちに来た最強馬が、腹まわりに余裕があるといふよりも、デブデブなのである。」と書いてゐるが(こちら)、これについて調教師のAidan O'Brienのコメントが印象的(今日のSCMP)。O'Brien氏曰く“the time Dylan Thomas spent in the Shirai quarantine station in Japan, unable to work on a proper race track, had proved to be his downfall. He's such a gross horse that while we were trying to sort out the issues with Japan's quarantine people, the horse was just putting on weight” さもありなむ。
▼上海での鼠楽園計画浮上(との噂)で更に苦境は香港鼠楽園。香港政府は鼠楽園が齎す四十年間の経済収益を1,480億ドルと宣ひ薔薇色の未来を約束。厳しい査定でも800億ドルは期待できるとし、その後、さらに300億ドルと下方修正。予定では2006年に547万人、2044年には1,057万人が鼠楽園訪れる、といふアホ試算。ジリ貧だが政府はまだ公的資金による投資を止めぬ、と発表。信報は社説(六日)でこの問題取り上げる。上海鼠楽園建設が香港へのプレッシャーとなつてゐるが、寧ろ当初の鼠本社と香港政府の合意事項に従へば、予定通り香港での楽園開園1周年で香港政府の持ち株(全体の57%)放出も可なら、これを上海市に譲渡するなどして香港と上海が協調してディズニー計画を進め内地の観光客誘致をしては如何か、と。理想的な案だが上海がまさかこんなことで香港に協力するとは思へぬし、だいいち香港鼠楽園にそれだけの魅力もなし。

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十二月十一日(火)早晩外国人記者倶楽部。晩の音楽会まで時間あり白葡萄酒飲し寛ぐこと暫し。ラウンジよりの硝子窓越しに四半世紀前仙台に住まひし頃知遇得、今は華南にて手広く商ひされるU氏と邂逅。U氏とご一緒のS氏(某経済紙の著名なる編集委員)紹介されご挨拶。熟読要す新聞の切り抜き多数読み日記帳(スクラップブック)に忘備録的に様々書き込む。白葡萄酒三杯飲みカエザルサラダ(茹で鶏胸肉盛り)食す。白葡萄酒は順に豪州はYellow TailのPinot Grigio 06年。仏蘭西はMichel LynchのGraves Reserve 04年とDomaine Michel JuillotのMercurey Blanc 03年。サラダはポーションも大きいが三分の一で腹一杯、残りはお持ち帰り。明日の昼にパンにでも挟んで食さうか、と。市大会堂。今晩はチケット持参のZ嬢と香港ショパン協会主催の音楽会。今晩はギターのAlvaro Pierriさんが看板で前半はPascal Rogeさんのピアノとの二重奏、そしてLCOの楽団員によるカルテットとの共演。ロジェさんのピアノと合はせたはバッハのトリオソナタ5番(BMW529はアトで調べれば原曲はオルガン曲)とGuido Santorsola(1904-1994)のギターとピアノのためのソナタ3番、そしてカルテットが加はり、これが素晴らしい曲だつたが今晩急遽曲目変更あり曲名聞き取れず。で中入後はロジェさん退きギターとCharles Sewart氏のバイオリンでAstor Piazzolla(1921-1992)のHistoire du Tango「タンゴの歴史」で最後はMauro Giulianiの弦楽五重奏曲30番。アタシもそれなりに音楽聞いてきたが今晩の演目、バッハとジュリアーニは作曲家として知つてはゐるが全ての曲が初めて聴くもの。それにしても悔やまれるは中入り前の曲名知らず。主催者のAndrew Frerisさんがいつもの開演前の「演説」で曲目変更説明してゐたのだが早口な上に饒舌で聞き取れず。ところでなぜ香港でこの銀行家夫妻がショパン協会か、と言へば、当然、音楽こよなく愛好する夫妻だが、この夫妻とショパン、或いは香港とショパンにどういふ謂れありや。で十日ほど前の信報の記事から引用すれば斯の如し。1848年音楽家ショパンは病弱で巴里にて貴族の子弟など相手にピアノ教授で糊口を凌ぐ日々も時は仏蘭西革命の最中、優雅にピアノ習ふ子弟も減り肺病病んだショパン、Jane Stirling君なる学生から故郷英国倫敦への渡航ショパンに勧めらるる。倫敦での日々ショパンは体力も衰弱せばオーケストラとの合奏も能はず不憫に思ひしHenry Broadwood氏がピアノと室内楽のアンサンブル企す。その場所が倫敦のEaton Placeなり。時は20世紀、奇しくもその百年前にショパンのアンサンブル開かれし屋敷に住んだのがAndrew Freris氏夫妻。偶然のショパンとの縁に、香港に移り住みたる夫妻は香港での音楽活動始めるにあたり香港ショパン協会設立の由。帰宅して白州正子『両性具有の美』読了。いやはや、あたしのやうな古典知らず、でも読んでゐてこちらが恥づかしくなるほどの筆致といふか、向かう見ずな筆の具合にただただ茫然。また別の機会に少し述べたいが。
▼敬語の誤用ばかりか乱用も気になるところ。例へば「痛み入る」。あなたからの私信を読みました、と伝へると、そのお礼に「痛み入ります」は、ねぇ。だつて読んでもらふこと前提に送つてゐるんでせう、と。「痛み入る」は「あなたのご厚意の過分なことに恐れ入る」のはず。例へば「私の就職に関して先方にお言葉添へをいただいたと知りました。そのご厚情に痛み入ります」とか。知人の某さんのアドレス忘れてしまつたので教へてください、に教へてあげたら「ご厚情に痛み入ります」と言はれてもねぇ。
鳥インフルエンザがヒト&ヒトで感染か?(中国江蘇省)のニュースについて。江蘇省で24歳の男性が11月24日に発症、今月2日に司法したが、その父親(52)も感染した由。今朝のNHKで流れたさうで、日本の新聞は朝刊紙面には見当たらぬがネット版では昨晩遅くから、の報道あり(朝日の昨晩22:15の記事)。怖い話だが、香港では先週末に報道済み、で経過報道は今のところ、なし。ヒト&ヒトの鳥因(鳥インフルエンザ、の略で「鳥因」はどうかしら?)への警戒は必要だが、SARSの時と同じで実際の感染などから一定の時間を経てしまつてからの後追ひ報道は実際に感染防止の効果もなく恐怖心煽るだけ。今回のこの報道も時系列で見てみると、中国政府衛生部からの通達で香港政府衛生署の発表(7日21:01)、翌8日(土)の香港での報道、週明け9日(月)にWHOが発表したのを受け、日本政府は厚生労働省が10日に発表で……と今日になつてマスコミが報道したら香港での発表から5日目。感染で拡散してゐたら、もう完全にアウト、の5日目。お役所情報受けて報道するのは(記者クラブ的に)勝手だが、少なくとも「中国政府衛生部の発表が7日には出てゐたこと」と、その後、情報が出てゐない、或いは、拡散の「報告」はない、ことは明確にすべき。日本のマスコミのおざなりな「報道さへしておけば」の姿勢が緩すぎ。
▼信報で練乙錚主筆の連載論評、意識してぢつくりと読む。が、ここ数日の感想は「メリハリも華もない」。林行止氏と比べはせぬが「証券会社による企業の格付け」とか綿密に分析しても「それぢや、どうなのよ?」といふ話の極みに欠けるのが残念。林行止がウンコの話も経済学で面白可笑しく書くのだから後を襲ふは難しいところか。ちなみに本日の信報林行止専欄はハーヴァード大学法学院のMark Ramseyer先生の“Talent and Expertise under Universal Health Insurance: The Case of Cosmetic Surgery in Japan”を引き、日本の医療制度での医療費の問題、医師の収入、とくに美容整形医の高収入などの話を紹介。林氏はMark Ramseyerの論文要旨を訳しただけなのだが面白ければそれで良い、といふもの。

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