二月廿一日(火)曇。早晩にA氏とかなり久々にバーYにて快楽時光(Happy Hour)過す。麦酒一杯に氷抜きのハイボール。おでん少々。晩に朝日新聞と全日空の共催にて桂文珍の落語会あり。前座は月亭八天と林家うさぎ。寄席三味線の内海英華の艶やかさと話芸に、英華師匠の都々逸と語りなど聞きながらお座敷で一酌などコトのほか楽しかろう。で桂文珍は、てっきり前座が飽きるくらい話したあとで一席、かと思えば、八天のつぎにネット関連の現代落語、でうさぎが出たら再び文珍師匠現れ「お神酒徳利」。お神酒徳利というとあたしの場合は圓生が印象深いが圓生の「お神酒徳利」と比べれば上方の、しかも文珍がかなりこってりと練ったお神酒徳利はもはや別の話にすら聞こえる。あたしが落語を寄席で本格的に聞いたのは小学5年生だかの上野鈴本。日曜日にひとり神田の鉄道博物館に行き、その帰り、ふと鈴本。中学くらいのころは病みつき。志ん生は高座を観ておらぬが春風亭柳橋の老境を拝めたギリギリの世代。圓生、正蔵、小さんもまだまだ元気。桂文楽の寝床などテープを入手し「いいねぇ文楽は」と畏友J君らと楽しむ13歳。しばらく落語への関心失せていたが80年代の東京は志ん朝の全盛期。だがVHSよりβ、WindowsよりMacのあたしゃ「志ん朝もそりゃ素晴らしいが通はやっぱり馬生でしょう」と池袋演芸場などで馬生の話や踊りを堪能したのも懐かしいかぎり。閑話休題。で文珍師匠、お神酒徳利のあと中入りとなり10分休憩。さすがに客が驚くほど長丁場覚悟で少なからずお帰りになる客(そりゃそうだ、のここまで2時間)。で内海英華の寄席三味線で最後は文珍師匠が得意の「星野屋」。小朝で聴いたような記憶のある、これは確か江戸の咄か。星野屋は文珍師匠であるから身投げして死んだはずの檀那が妾家に現れてからの騒動はもっとたっぷりできるはずだが三時間になる長丁場の香港寄席となり最後はだいぶ端折った感あり。だが充分に堪能。会場は主催者側発表で七百人と盛況。全日空はJALの低迷に「ここぞ」とばかりの躍起。香港もANAプラチナカードだか大新銀行と提携で発行の大宣伝。名前だけは「プラチナカード」も日本人相手に所得額など事前審査なしの向こう見ず。実際にはクレジット発行会社合弁の審査会社あり香港IDの番号だけで個人の過去の信用実績などたちどころにわかる仕組み。一方の朝日新聞。全日空に比べ幾許の宣伝効果あろうか。朝日の購読者対象と限定せず、読売、日経、聖教新聞などの読者にも門戸広げる気前の良さ。それぢゃ「ウチもこれから朝日にしましょう」となるはずもなし。当日の朝日衛星版会場に積んであれば開演前に不躾にも関係者の前で一部とって「あら、暇つぶしにいいわね」と宣った客など摘んで場外に放り出してもよかろうに。せめて朝日の購読者は上席にするとか(読売など他紙読者は立ち見)、衛星版発刊10周年記念なら発刊以来の定期購読者は文珍師匠との茶飲み会に参加特典とかすべき。だが朝日読者のみ上席になどすれば立ち見の客の間で「坐ってる人たちってみんな朝日新聞読んでるんだって〜」と(笑)白眼視か。香港でいったいどの程度の発行部数あるのか知らぬ読売なども含めた新聞など月に1万円もかけて定期購読する「知識階級」が在港邦人の何割なのか、そのうち朝日の読者は幾許か。駐在員的には日経、家庭では読売が圧倒的に多し、で聖教新聞も人口的には1割だろうが、新聞読まぬ非創価学会世帯に比べ創価学会信者が聖教新聞購読は相対的に高いだろうから1.5とすると、日経5、読売3で朝日と聖教新聞が1.5ずつ、と見てはどうであろうか。寄席も終わり「銅鑼湾に主催者側発表の700人の邦人が溢れる」と料理屋、飲み屋の混雑も想像に易く早々に帰宅しカップうどん「ごんぶと」食す。すっかり年寄りの薄味で粉も液体もスープなど半分で充分。おまけに「揚げ」まで一度湯がく。これでようやくあっさり。
▼この日剰にても地味に取り上げてきた仙台市の梅原某がついに全国区に登場。朝日新聞の投書欄に「「こども」表記、漢字はやめて」という産経的には活動家であろう仙台市民の投書あり。戦後、左翼に汚染され続けた市政の改革進める市長は「こども企画課」や「こども家庭係」などの名称を「子供企画課」「子供家庭係」に統一し新年度には「子供未来局」設け、今後、市の文書や政策では「子供」と漢字に統一だとか。市長は「漢字があるのだから漢字を使うのは当然」と新都市構想での中華街建設には反対した市長にこの漢字好きの漢意(からごころ)とは矛盾甚だし。それならまず「仙台」を「仙臺」にすべき。よーするに思想も思考も浅はかで、単純に「こども」「子ども」の響きに市民運動、左翼の臭いあり、これを毛嫌いしての「子供」への無理強い。だが文部科学省でもHPなど「子ども」「こども」が混在で「子供」見当たらず。http://www.ocs.co.jp/
▼「香港の良心」(と言われる)元政務長官・陳方安生女史のご母堂Fang Zhaoling(方召●)女史逝去。享年92歳。浙江省無錫の富裕家に生まれ1930年代にマンチェスター大学に学ぶ。同学の方心誥と結婚。方心誥の父親は国民党の抗日戦での名将・方振武。戦禍逃れ来港。長女の安生女史が香港政府で女性初の地元採用上級公務員職として出世。方心誥氏は若くして急逝するが未亡人となったZhaoling女史は嶺南派の国画の画家、書家として才能発揮。97年の香港返還を前に英国側の香港政庁でパッテン総督により布政司に抜擢された安生女史が返還後の政務長官候補となることで中国側に反発あったがZhaoling女史の国画を中国側に贈り安生女史の祖父が抗日戦の英雄ということで中国側も妥協とか(陶傑氏が突っ込む話題であるが)。高齢でも旺盛なる制作意欲衰えず。でこの家族、長女の安生女史筆頭に弁護士(退職)、医者、国連職員、旅行会社社長と子どもらも錚々たるもの。だが問題は長男の弁護士氏。1999年に九龍は油麻地の雑居ビル内の小さなマンションで若い女性の白骨死体発見される。この部屋の所有主がその安生女史の長兄である弁護士。当時は証拠不十分で刑事事件化されず。高度な政治的判断という風聞もあり。が董建華から「自称政治家」Sir Donaldの御世となり司法長官が悪名高き梁愛詩女史から現職の若造に代ると、この事件、再調査なる。今度は、これが世論の支持高き安生女史の政治的蘇生警戒する北京筋からの仕業という風聞も。でZhaoling女史の弔報伝える今日の新聞にはこの白骨死体事件の裁判で昨日、白骨と化した若い女性の母親が「娘はこの安生女史の長兄の実質的な愛人で、長兄氏の弁護士から「方家は当局ばかりか裏の世界にも強いパイプがある」と刑事事件化せぬよう圧力示唆あった」と証言とか。Zhaoling女史の葬儀となればこの長兄氏もさすがに喪主として葬儀に出ざるを得ず。安生女史がどこまで「香港の良心」なのか。董建華夫妻と家族ぐるみのつき合いする畏友のA君からは安生女史のかなりの傲慢さも聞いたが、果たして。
▼久が原のT君といろいろ物語りするなかで歌舞伎の話となり(いつものこと)突端は神谷町の話から芝翫の婿にあたる中村屋の話となり先代の勘三郎の話に至る。勘三郎の強烈な印象は梅幸がダブるわけで余も幼き頃にみた勘三郎と梅幸の、道行だったのかお軽勘平だったのか子どもながらに眼に焼き付いて今もって離れぬが先代の勘三郎で、とT君に言われた昭和62年11月の歌舞伎座。梅幸との「廓文章」は「粉だらけの大福餅が引っ付いたような一幕」で名品。そうそう。最終三日間は松緑復帰記念の「山門」の出幕。「巡礼に御報謝」の競演で一日目が中村屋(17代目勘三郎)の久吉、二日目が大檀那(六代目歌右衛門)の久吉女房長浜御前、千秋楽は梅幸の久吉。大松嶋(13代目仁左衛門)の美事な仁木の引っ込み。T君をしてT君の見た歌舞伎座で最も名優が揃って輝いたる昭和も終わりに近き62年11月。懐かしいかぎり。