富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-11-29

十一月廿九日(火)薄曇。朝日一面トップの見出し「耐震偽造で住民支援策」。一瞬、耐震偽造すること「で」住民支援か?と驚くが「耐震偽造に(対して)住民支援策」のことか。晩に帰宅しようとすると自宅の鍵のないこと自宅階下で気づく。Z嬢に連絡をとれるまで太古城に参り時間潰しにRuby Tuesdayなるパブに入りビール一杯。1パイントのフォスター麦酒がサービス料込みでHK$35.2だかで中途半端であるし釣りの小銭はチップ狙いだろうとすら勘ぐるが百ドル札に半端省いてHK$65をぴたりと釣りを渡され、ちょっとしたことだがとても感動。このパブに入ったのは三年前くらいに台風接近で警報が発令され「することもなく」帰宅途中の一飲以来。帰宅してテレビつけるとNHK歌謡コンサートだかで布施明が「霧の摩周湖」歌っている。幻想的な霧の摩周湖も東京は赤坂のナイトクラブのロマンチックな夜も「昭和41年の光景」なのだが実は「歌謡曲での偽装」でもみんながそれに共鳴していられた時代。それにしても布施明絶唱が「ちぎれぇたぁあいい、あいい、いいい、いいのぉ おもいい、いいでぇ、ええ、ええ、さぇもぅぅ」と原曲の歌詞がわからないくらい、それはそれはデフォルメされていること。当時も当時なりに「かなり」ではあったし、ここで必要以上に盛り上げることでサビの「こだませつない 摩周湖の夜」の静寂を醸し出すのがこの曲の真骨頂なのだろう。だがそれにしても平成17年は、ここまで引っ張らないと昭和41年と同じあの感動は得られないのかしら。晩飯のさなかテレビのニュースに香港訪問中の中国の「神舟6号」の宇宙飛行士2名。どこだかの学校訪れ学生と卓球して対話、のお決まりコース。それにしても「宇宙から、残念ながら万里の長城は見えなかった。しかし中国の海岸線、砂漠、そしてわれわれの台湾が見えた」と笑顔で語る。政治の醜悪さ。海岸線は朝鮮半島からずっと続き南越からマレイ半島に至り宇宙から「中国の」国境線で仕切られた海岸線もない。砂漠が意味するのはウイグルへの牽制か。そして「われわれの台湾」。悲しいくらい呆れる。1961年のソ連ガガーリン飛行士が「地球は青かった」と。「アメリカが小さく見えた」などとは言わず。了見の問題。土曜日の「走り」の疲れがまだ癒えず。
朝日新聞に中曽根大勲位ヨーダ宮沢の両氏取材した編集委員星浩君の一文あり。宮沢君を語るのに、なぜ必ず決まり切ったように「テーブルには近着の英誌『エコノミスト』が置かれ、フランス国内の暴動の記事が開かれていた」などと書くのだろう。昔から宮沢君といえば「情報は海外の新聞から」とか、国会に登院の時に車ではヘラルド=トリビューン紙を読んで……などと陳腐。『エコノミスト』など空港のラウンジにあれば誰だって読めるしヘラトリ紙など朝、我が自宅にまで配達される普通の新聞にすぎぬ。政治家が英字紙や欧米誌を読むだけで目立つ、日本の未開社会ぶり。日本は幕末に勝海舟が字引なしで英語の本を読んでいると感心された時代から常識も「世界の」情報も量も質も何も変っていないのかしら。
▼朝日で週一で5回続いた横森美奈子さんの「快適系」なる連載が終わる。歳をとることを積極的に快適に、が横森さんらしい。それにしても「歳を取ることは、すべてがゆっくりと余裕が出てくるものかと思っていたら、すこぶる忙しい。仕事が忙しいのはありがたいが、それを成り立たせる“自分メンテナンス”にも手がかかり、時間を取られることは想定外だった」という「事実」がとても可笑しい。横森さんは東京在住の頃、懇意にしていただいていたデザイナーのC氏の親友のお一人で90年くらいにC氏らと来港されファッション音痴の私ですらメルローズやハーフムーンでの女史の活躍を知っていたくらい。女史の尊顔に拝す。もう15年も前のこと。当時は香港の中国返還前のピーク?でかなりいろんな方が来港。突然のことで当時の片岡孝夫丈の知己を得たり、いろいろなことあり。当時といえばギタリストの伊藤可久君。仙台で彼が高校生のアマチュアの頃から知っていたが東京でギタリストされていることを偶然知る。仙台といえば青葉通と東一番丁角の額縁店「森天祐堂」が年明けにも閉業らしい。近代化される市街の中心の中心で「異様なほど戦後」であった額縁屋……だが建物の角は煙草を売る窓に名物と化したオバチャンが座り続け古くはプロマイド屋でもあり「チケットぴあ」など出来る以前からのプレイガイドとして機能。80年代に「阿Q」のライブチケットなど置いてもらっていたもの。昭和の原風景がまた一つ消える。

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