富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月廿七日(日)2005年スタンダードチャータド香港マラソン。97年から開催のこれに98年より参加。98年は10kmで翌99年より6回ハーフに参加し何を勘違いしたか今年はフルマラソンに応募してしまふ椿事。応募したならしたで日々トレーニングに精進すればよきところ日剰読み返せば明らかな通りの日々の運動不足と不摂生。過食のうえに大の酒好きでは救われようもなし。せめてマラソンの二週間前くらい節制すべきところ今年はとくに走り込み不足。参加断念も考えたが結局の参加。憂鬱な曇天。参加者今年はついに3万人を越え10kmの出走は午前六時で七時がハーフ、フルマラソンは八時と遅め。余の属するランニングクラブからも十数名がフルに参加。どん尻を走るのは明白。まぁこんなものかと走り始め(ルートはこちら)昨年迄のハーフで走り慣れた葵青桶のハーフ折り返しから先は未知の世界。途中リタイアするにしても青馬大橋の上だけは惨めだからと思っていたら不運にも青馬大橋の上で雨ぽつりぽるりと降り始め黒雲あらわれ本降りとなる。季節風も強く横殴りの雨風にリタイアしようかと思つたがスタートで寒さ陵ぎに来ていた使い捨てポンチョを捨てずに携帯したのが幸いしどうにか防寒出来て体調ぢたいはけして悪しからず。ちょうど半分終わって2時間15分はけして悪い時計に非ず。青衣の隧道まで最悪だった天候も九龍に入ると小康となりこれなら走れるかと思い兎に角、キロ7分より落ちなければ制限時間5時間のマラソンで2時間40分台でいける算段。黙々と走る。天候悪いなかZ嬢に用意してもらって携帯の握り飯一個とチョコバー小2個でかなり体力回復。様々な人の応援ありがたいと思いつつゴールまであと10kmとなりどうにかイケると確信せば思い起こすは中学2年14歳の秋、郷里の市の中学2年集めた持久走大会あり今にして思えば僅か3kmのコースでビリから三番目だったか。柔道剣道空手3段の父は余が幼き頃から本当に自分の子かと歎く程の余の運動苦手。それが時計は遅くもフルマラソン走るとは我自らが驚くばかりなり。ところでどうにか完走できると思つた瞬間、気になったのは『走れメロス』のメロスはなぜ「この程度の」(と突然気分は尊大)長距離走で命落としたのか、といふこと。もしかするとメロスは我よりも虚弱体質?まさか。ずっと考え続け、さう、メロスは国家の大事に重大な任務帯び走ったわけで、その重圧に比べれば余はただのジョギング気分。最後、西隧より香港島に渡りハーフでも最後厳しい4kmの高架道と地下潜る上落にうんざりと流石に此処で時計も悪くなりランニングクラブのすでにゴールした友人らの祝福のなか結局4時間45分でゴールする。意外と元気。ちょっと「こんなものか」といふ気分。だがもう一度マラソンに出るかと言われれば金輪際御免だが体重落としてこんな悪天候でなければもつと楽か、といふ気もしないでもなし。友人のT君にフル一回完走するとハーフが楽になるし時計も伸びるで、と言われちょっと食指も動く。帰宅途中に近住のO君とZ嬢と太古坊のEast Endにて麦酒一飲。帰宅して今日の炊き出しの残りの握り飯2つ頬張りとろろ昆布の汁物で暖をとる。風呂に熱いお湯はって入浴。競馬はSilent Witnessが敵なしの初戦からの15連勝は当然として(単勝倍率1.05倍とか)二着、三着馬が焦点。余は豪州での殊勲から戻った「喜望峰」にご祝儀でそれと調教の時計の良さからTriumphant Unicorn選んでいたがこれが出走取消。でCountry Music選べばSilent Witnessに続く二着がこのCountry Musicで喜望峰は五着の残念。早晩にドライマティーニジャックダニエル。晩に映画の予定がさすがに身体怠く断念。ランニングクラブの今日のマラソンの打ち上げもあるが韓国料理でマッコリ一杯飲んだら寝てしまいそうでそれも参加せず。実際に煮うどん食し少しの麦酒と日本酒で睡魔に襲われ「義経」も観ておれず。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/