八月廿日(金)Haze続く。旺角のジム。Z嬢と旺角Nelson街の栄記にて雲呑麺食す。驟雨あり。沙田の文化博物館。「人・物・情……香港公共房屋発展五十年」といふ企画展あり。1953年の聖誕祭の晩、大陸からの移民苫屋密集の石Kip尾の難民居住区にて大火あり数千人亡くなり香港政庁急激な人口増加に応じて公共住宅建設初めてから半世紀。とくに七十年代からの沙田など新界各地での住宅建設により香港島、九龍より多くの人口が新界に移り97年の租借期限ある新界ももはや新界なしに香港が機能せぬこと決定づけた、つまり香港政庁も住民の住宅といふ民政問題をば香港統治の政治性より優先させし画期的なる住宅政策。今では香港人口の半数近き三百万人がこの公共住宅に居住。興味深きこの半世紀の歴史展示ながら「器ばかり大きく展示内容薄い」ことで評判の文化博物館ゆへ期待せず訪れればなかなかどうして、HK Housing Authorityによる史料提供と監修にて五十年代よりの公共住宅の風景の復元(写真)だの当時の貴重なるフィルム上映など見応えある展示。バス乗り継ぎ帰宅。午後の雨のせいか大気中の塵埃流れたか久々に九龍の市街、大帽山や馬鞍山も霞のむこうにうっすらと姿見せる。一瞬の晴れ間に空高し。旧暦では閏年の七月も初五日ではすぐ秋か……と思っていたらメール開くと久が原のT君より「世人はたゞ地に俯き炎暑溽蒸を歎くのみにして仰霄の餘裕なく」だが空を見上げれば「空の色澄みて既に秋天の璢璃色に」「今年は秋氣の訪れ逸早き」ことT君感じたと。遠く離れても同じ空眺めていたかと感慨一入。晩に近所の映画館にて陳果監督『餃子』観る。大陸出身の女(白靈)業む古い公共団地(撮影場所は石?尾下邨か)の私家菜の餃子店舞台に往年の女優(楊千華)とその夫(梁家輝)などの物語。まだご覧になっておらぬ方多かろうし筋言ってしまえばつまらぬゆへ言及避けるが三人の芝居上手な役者のキチガイな人格の演技はさすがにお見事。主題は実に単調で演出も途中までいいが後半話の展開些か広げすぎの感あり。なにが成人指定かは観てのお楽しみか。
▼映画といへば築地のH君が張藝謀監督の映画『HERO』観ました?とメールあり。あのテの中国の武侠歴史物で空を飛んで秘技で相手倒すといふ映画一切観ておらず。H君曰くH君も秦王の命狙ふ刺客・残剣(梁朝偉)が秦王殺す一歩手前で「天下を統べることができるのは秦王のみ。だから秦王を殺してはならない」と悟り秦王がそれを知り「わしの真の理解者は彼だけだ」と落涙する……という筋ぢゃ「あたかも中国の統一を守るためには共産党の独裁が必要だ」との類推を招かねず張藝謀監督もついに……と一瞬思われるが、H君この映画観てみればそれは「始皇帝の」独裁を是認したわけぢゃなく、あくまで経緯上の「秦王政の覇権」であって「いってみれば八路軍を指揮する延安時代の毛沢東というくらいの役回り」とH君。残剣が書いた「剣」という書を見た秦王「真に天下を統べるには剣は無用!」とか悟るとその瞬間、秦王に迫った無名(ジェット=リー)敢えて刃を向けず「その境地をお忘れなく」とだけ言い残して去る……すなわち「その境地」=徳を失ったときには再び刺客が迫るかもしれませんよ、ということH君。皇帝も徳を失えば天命革まるというわけで延安時代には間違いなく有徳の士であった共産党が現在も天命を担うにたる存在であるのか?といふ問いにつながる見方も可と。なるほどねぇ。
▼久が原のT君より。雅典五輪で注目の某選手の語る様「卑陋にして聽くに堪へず」と。あの「……っつーか、っすよね」の言葉遣い、日常会話ならまだしも国を代表してオリンピックの晴れの場であれでは「かくまで猥音俗語に狎れし若者の鴃舌をば記録樹立の美名の下に卻つて人間味ありとて賞讚なす風潮あるは今に始めぬことなれどもまことに忌々しきこと」。そればかりか韓国の孔・元外相だの台南で余が出会った台湾の老達だの「一本背筋徹りて恣意に搖らがざる美風は國内に今や地を拂ひ被占領地にのみ殘れりとは皮肉も皮肉」。御意。言葉や人間性にとって「個」に勝る「公(=政治體制としての「公」ならで、個の抗ひ難き歴史性・文化性の謂ひにて候)」の制約受けざるべからずと思えばT君自らはサンケイ・ヨミウリの徒(笑)には非ずとも朝日新聞が北島某の言語の醜さを指彈する「正論」など如何間違っても吐くはずもなしと歎く。文藝春秋だの『正論』誌が果してこの文化論をば指弾できるか、T君、朝日なら吉田秀和氏に奮起再起を願ふべきか、と。余は三十年近く前にスキーのジャンプ競技の日本代表選手らの夏合宿と一晩宿舎同じくて当時はすでに現役引退し監督となった笠谷選手の、合宿の宿舎でも紳士的なる態度と言葉遣いに「さすが世界一となる選手は違う」と感心したこと思い出す。
▼その久が原のT君より八月の歌舞伎座について芝居評いただく。八月の歌舞伎といへば多くの役者夏休みのなか中村屋と定着「勘九郎の風格立派になりて、襲名前の役者らしき「氣」靜かに漲りたるは頼もしき限り」と。三津五郎好演。で、もはやT君くらいしか誰も注目しておらぬだろうが四谷怪談で中村小山三(おいろ婆役)が台詞堪能とT君のメールに四谷怪談の脇役といへば小山三で余は一度だけ国立劇場だかで観ただけだが、まだお元気で舞台に立っていたと知り驚くばかり。ところで歌舞伎と、近代劇の、殊に内面心理の描写などについて、余も屡々築地のH君との語らいのなかでとくに高麗屋の芝居で顕著なるこの近代的なるものについて語るが、それじゃ具体的にそれが何かと言われると説明難しきところ、さすがT君、歌舞伎で役者がとくに芝居好き、研究熱心、西洋劇の経験などある場合「人間主義、すなはち芝居好きなる當人個人の感情が禍し役の抽象性に至らず役をみづからに引き寄せ過ぎし結果、生なる表現に留まり」例えば「強惡が強惡としての超越性を帶びず單なる家庭内暴力の精密描寫となり居心地惡き思ひ」になるようなこと。じつに納得。