六月二十七日(水)連日の大雨にジムナジウムにも行かず中環が埠頭、軍の駐屯地前より寶珊道行きの小巴にて急ぎ帰宅す。カザルスにて1939年のベートーヴェンのチェロソナタを聴きつGlenmorangie飲みつ雨雲濃深の海峡を眺むる。北京2008年が奥運誘致にてパバロッティら三大テノールなる男“唱”天安門広場にて誘致促進が為の演奏会、芸を売るが歌手の宿命とて金さえ成れば何処へとも樹下に走る拡声器使い、野暮。加藤周一朝日『夕陽妄語』にて姫路城主の弟にて琳派の絵師となりし塙抱一を語り「腐敗した支配層から脱出し社会の周辺的存在として芸術家文人の共同体に投じ和して同ぜず伝統の再発見と活性化によって文化的な価値の実現に貢献した」と抱一を讃めるを読み、丁度敢えて抱一と逆コースを歩み民主党に寄与し大橋巨泉を思ふ。巨泉は政治思想的は背景でいえば三波春夫か六輔巨泉という戦後芸能リベラリズムに在り余が中学生が頃の11PMにて粋に政治をさり気なく語りたるを拝み大人の世界を垣間見せて頂きしが、半ば引退しておいて何故に世上最も野暮な政界に躬を投ずか。巨泉独り躍り革まる政治とは所詮思えず。寧ろ野暮な連中からは距てるが賢明と思えつつ、石坂浩二を「兵ちゃん」ツービートの片割れを「たけし」と呼びつけにすることにて存在をアッピールする権威主義的な芸風にては、青島なき跡の芸人リベラルに祭り上げらるるも必然か。