富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

木名瀬遥介(カウンターテナー)

辰年二月廿一日。気温摂氏7.2/22.6度。晴。上着もなく歩ける程の暖かさ。今年初めて日傘をもつ。午前中、那珂市立図書館。利用者番号が手元にないと思つたらこちらは手のひら(静脈)認証で利用者カードの発行もなかつた。水戸市立図書館にない書籍がいつも隣の那珂市立で見つかる。

昼すぎから水戸芸術館のプロムナードコンサートでカウンターテナー・木名瀬遥介君の歌声を聞く。木名瀬君は常陸太田市の出身。合唱団でソプラノを15歳まで歌ひ水戸三高(音楽科)経て武蔵野音大へ。カウンターテナーでもかつてのカストラートのやうにソプラノの高音域を歌ふ。この3月末で大学卒業でしばらくは音楽を離れる由。その大学卒業の締めくくりのやうなタイミングで本日の独唱会とあひなつた。

 モーツァルト:踊れ、喜べ、幸いなる魂よ K.165
 武満徹:死んだ男の残したものは
 伴奏は鈴木範之で自作「たんぽぽ」独奏
 伝カッチーニ(ヴァヴィロフ):アヴェ・マリア
 マスカーニ:アヴェ・マリア
 ヴィンチ:歌劇《アルタセルセ》 より “私は無慈悲な海に漂う”

幼い頃からの知己も多からう観衆を前に感極まりアンコールの「マイウェイ」で感涙に咽ぶ。水戸芸術館のプロムナードコンサートは通常はパイプオルガン演奏(入場無料)なのだが本日は“EXTRA”でこのカウンタテナー独唱会となつた。木名瀬君のこの歌声を聞く機会がもてたことはまことに幸甚。

なぜ米国でトランプが支持されるのか。佐伯先生の「フェイク」への積極的な理解。民主主義が最初からフェイクを含有すること。民主主義の数の論理、数を得るための手段としてのフェイク。政治家は、大衆を扇動するデマゴーグになるか、或いは、自らが大衆に擦り寄るポピュリストになる。リベラルが「幸福は人によって違う、個人の自由だ」といふ相対主義を唱へること。リベラルも自己の奉じるリベラルな価値だけは決して譲らない。そのリベラルの傲慢と欺瞞を感じた人々がトランプを支持する現実。「大衆扇動は民主主義の異形というより、その根本的な性格の一つ」。

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朝日新聞(本日夕刊)の「惜別」で小澤征爾クレージーキャッツ犬塚弘アホの坂田と並ぶ。小澤征爾は「もっとバカに」で犬塚は「とぼけた」で坂田はアホ。「まったくなぁ」とあの世でマエストロ小澤は笑つてゐるだらう。これでいいのだ。

甲辰年二月廿日

耶蘇受難日。気温摂氏9.0/17.8度。ひどい雨風(19.5mm、風最大12.7m)のあと午後から天気は快方に。

朝日新聞の連載「現場へ!」で2月に「側近が記した昭和」は昭和天皇侍従の遺した記録に関するもので「毎日新聞の特集記事のやうな」面白さだつた。

側近が記した「昭和」1 天皇、秘められていた実像:朝日新聞

今週は連合赤軍の集団リンチで命を失つた遠山美枝子さんに関する話。

「連合赤軍」指輪物語1 母の贈り物、まさかの悲劇:朝日新聞

あの当時、水府でも茨城大学全学連のデモなどあつてあさま山荘事件では子どもながらに体制=権力=政府=自民党に対する連合赤軍の「革命運動」について浅間山に立てこもり警察の圧倒的な「武力」に抵抗の為す術もない赤軍派の彼らに何かしらのシンパシーのやうなものを感じたりもしたが後日、彼らの同志に対する内部対立で集団リンチ殺人があつたこと、そのリンチの現場からの中継など見るにつけ彼らが何を求め何処で血迷つたのか子どもながらに反体制セクトの自己崩壊に切ないものを感じてゐた気がする。

TBSラヂオ【人権TODAY特別編】作家・安堂ホセさんに聞く - YouTube

安堂ホセご本人の声は初めて聞いた。作品については『ジャクソン』と『迷彩服』とも読んでゐるから話に目新しいこともなかつたがホセご自身が好きな作家についてとなると国会図書館に赴いてまで全て読むといつたことに番組で荻上チキも応へて国会図書館の面白さについて語つてゐたのが面白かつた。

MHKテレビ(芸能きわみ堂)で尾上右近の「吉野山」今年1月のリクエスト再放送を見る。NHKで古典芸能の系譜には古典芸能を身近に楽しんでもらはうと特撰した〈芸能花舞台〉があつて、それが〈にっぽんの芸能〉となり当時は南野陽子石田ひかりといふ出演が異色だつたが番組は定着して、それが高橋英樹メインで〈新・にっぽんの芸能〉となり面白く見てゐたが昨年春に〈芸能きわみ堂〉になつてから内容が奇を衒つた陳腐なものになりまことに残念。出演者の大久保佳代子が面白くない。この〈きわみ堂〉になつてきちんと見たのは、この尾上右近の〈吉野山〉だけだつた。右近Ⅱは清元宗家の延寿太夫の家にあつて祖母は六代目(菊五郎)の娘、母は鶴田浩二の娘で、まあ賑やかな華々しい家系。この番組の「吉野山」では静御前、忠信の二役で清元までの三役。映像合成で上手く見せる。音羽屋の兼ねる役者としてどれだけできるか、はこれからも見てはいかうと思ふ。

(香港は)社会全体に精気がない。人々は、週末には中国大陸や日本に出かけ「此処にはいたくない」という印象だ。香港への帰属感がなくなっている。(黄秋生)

さもあらむ。

数の誕生

辰年二月十九日。気温摂氏4.2/15.4度。晴。だいぶ春めいてはきたが先週の寒空に桜の開花が予想よりだいぶ遅れたやう。珍しく理数系の読書。志賀浩二といふ数学者の訃報を読んだのは朝日新聞だつたのか週刊読書人だつたのか。志賀浩二(1930〜2024)『数学が生まれる物語 第1週 数の誕生』(岩波書店)読む。数学の苦手なアタシも著者の平易な解説で第1巻のこれ(数の誕生)は読めたが第2巻『数の世界』はもう珍紛漢紛なのであつた。

数学が生まれる物語 第1週 数の誕生 (岩波現代文庫)

これを読んでゐて、ふと矢野健太郎を思ひ返した。志賀浩二について調べてみたら志賀の数学の師が矢野健太郎先生なのだと知つた。アタシが高校のとき1年生のとき担任のK先生が数学で教科書そっちのけで矢野健太郎解法の手びき数学 I』を生徒全員に持たせて、こちらで授業を進めてゐた。数学など高校入試でもう解放されたつもりだつたが矢野健太郎のこの参考書は文章が流れるやうに読み易い。優れた数学者である以上に教育者としてどれだけご立派だつたか。

解法の手びき数学1 解法の手びき 微分・積分

この矢野健太郎(1912〜1993)の東工大で教鞭をとつた時代の同僚が遠山啓(1909〜1979)。矢野と同じく教育者としても秀逸の遠山啓が提唱した算数/数学の「水道方式」でアタシは小学生のとき、この遠山の水道方式を取り入れた算数教室があり、そこで算数を本当に楽しく学習できたおかげで大人になつても集合の概念であるとか、今でも競馬で三連複、三連単の何通りの計算まで本当に役にたつてゐる。この矢野や遠山の数学の系譜は戦前に日本が皇国主義化するなかでも、それから距離を置く自然科学としての中立、リベラルなものでアインシュタインとの親交もあり戦後になつても文部省の指導要領において水道方式の採用がなかつたやうに「権力」や「体制」とは一線を画する立ち位置であつた。アタシは数学は結局のところ苦手になつたが今になつて思ふと小学生の時の水道方式(遠山)から高校での「数学の手引き」までその流れを学べたことは本当にありがたいことだつた。

森喜朗東京五輪にせよ裏金にせよ「どれだけ怪しいか」は明白なところだが安倍派の輩が護身からなのか「死ねば諸共」なのか森喜朗関与と口を開き始めたやう。そして何より興味深いのは日テレ=読売がそれを報じてみせたことだらう。いずれにせよ結果的には自民党なるものゝ(国民も含めた)見かけの自浄作用にしかならず日本の政治など何も変はることもないのだが。

橋本忍、筒井康隆

辰年二月十八日。気温摂氏4.2/15.4度。晴。森本哲郎さんが朝のラヂオ(TBS)で自民党裏金につき首相自らの事情聴取から話を始め、岸田について「鈍感であまり深く考えず」「ことの重大性がわからず」進めてしまふことにつき罵るやうに苦言。「国民の理解を得ながら進める」とお題目唱へるが実際には国民の理解からは遠き彼方への船出。岸田が「不気味で怖い」と森本さん。御意。

4月7日に観世能楽堂で開催の観世会春の別会は関根祥丸君が〈道成寺〉披キで楽しみにしてゐたところテケツはネット発売開始ですでに予定数終了。2月定期能の日に窓口で先行発売だつたが、そのときですでに20席くらゐしかなかつたとか。ご宗家、御曹司がシテでないのに観世流の別会でこの反響とは。祥丸君祖父・祥六師(1930~2012)が観世XXV元正(左近)の筆頭弟子で倅の祥人氏は2010年に半百で急逝。遺された祥丸君は観世流でかなり期待の高いシテ方。それゆゑ支援者も多く東大観世会講師でもありさうしたお身内のテケツ手配だけでもかなり大変なやう。ツテも頼つたがテケツ手配困難で観世会からもウェイティングでも手配できずと葉書が本日届く。


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お気に入りの倫敦Fox傘店の黄色い傘。香港の雨傘運動盛んだつた頃にFox Umbrellasにも黄色は既存品になく色見本からの誂へ。ネームバンドが伸びてしまつたのを家人が香港の深水埗で黄色のゴム調達してきて直してくれた。

新潮社『波』4月号届く。筒井康隆の連載日記(今月のお題はキサラギ君)一読。原宿住まひで家の表札が黒ずんでしまつた(前回、原宿を歩いたとき確かに筒井康隆の表札は黒ずんでゐた)ことから始まる日記では妻(光子さん)の痴呆が進みつゝあることに慰るどころか苦言続きの容赦なき謂はゞ言葉の暴力が読んでゐて痛々しい。青山の紀ノ国屋に食材購ひに妻と出かけるのだが万単位の食品が(家人の痴呆による無制限な食欲もあり)下手すると1日でなくなつてしまふこと。外食は帝国ホテルのラ=ブラスリー(こちらが六月閉店でもう予約で満杯なのださう)、同ホテルの北京、藍泉(ニューオータニ)、キャピトル東急のオリガミ、同ホテルのにいづ、銀座九兵衛……妻の痴呆が進行する老夫婦がこゝまで高級ホテルの名だたる料理屋などまるで「徘徊」のやうに食事に出かける。何だか読んでゐて悲しいくらいのまさに「暴挙」である。老いた妻に「あんな厳しい物言ひを活字で公言しなくても良いのに」と悲しくなるほどだが筒井康隆の場合、その家人への暴言の先には遅かれ早かれ痴呆になる自分がゐる。自分の恍惚については更に止めどない罵詈雑言となるのではないかしら。荷風散人の孤高すら彷彿させる、何とも壮絶なリアル。とんでもないことが起きることを私たち筒井の読者は怖いもの見たさで読んでゐる。

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キクマサムネをぬる燗で、それに京都「雲月」の小松こんぶ、大坂「岸澤屋」の黒豆煮、神宗の塩昆布でも良いけど、さういふものがあると、もう他に何もいらない。年をとると、これに白飯が一口でもあれば、それでお夕食すら済んでしまふ。今晩はこれに豚汁がついた。

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折 (文春e-book)

春日太一鬼の筆 - 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』(文藝春秋)読む。戦後日本の映画界を代表する脚本家である橋本忍。橋本の父が兵庫県鶴居で小料理屋営みながら興行師で忍少年は幼いころから芝居や映画に親しんでゐたものゝ兵役につくも結核で余命短しと医者にいはれ療養中に偶然読んだ伊丹万作の脚本(ホン)に刺激を受け自ら書いてみた脚本を唐突に伊丹万作に送つてみせる。伊丹はそれを受入れ脚本執筆の指導までしてくれたが急逝。伊丹と親しかつた佐伯清(監督)介して紹介されたのが黒澤明。黒澤が橋本の脚本に着目して『羅生門』になるなんて。嘘のやうな話だが、コンビは『生きる』そして『七人の侍』へ。同じ黒澤組で小國英雄の存在。TBSテレビ『私は貝になりたい』から自主プロダクションでの『砂の器』制作へ。創価学会による支援と池田大作『人間革命』の映画化。丹波哲郎。その後の『八甲田山』や『日本沈没』『八つ墓村』などの大ヒット。その生涯を著者(春日太一)がじつに精緻にまとめてみせた。

羅生門』はまだしも『生きる』『七人の侍』はいずれも黒澤明の発案がスタートである。そのため橋本が「僕の作品」と言い切るのはさすがに言い過ぎだ。一方(略)『羅生門』を含めて三本全ても橋本が「先行」して書いてきたことも事実であり橋本が主張するように「僕がいかなれば成り立たない作品」であることも確かだ。それだけ橋本の功績は大きかったにもかかわらず全ての賞賛が黒澤へ向かい当時は誰も橋本の存在に見向きもしなかった──。それが橋本の認識だった。そして、その想いが後の黒澤との関係そして橋本の脚本家としてのスタンス大きく影響していくこととなる。

元々は『新潮45』に連載されたものださうで橋本忍への長時間のインタビューをしてゐたことも貴重な記録。『生きる』のあの物語の展開は橋本が幼い頃から文楽に親しみ『箱根霊験躄仇討はこねれいげんいざりのあだうち』などの演出が活かされてゐるといふやうな指摘も興味深いところ。松本清張の原作からストーリーは大いに改められ「父子の旅」に重きが置かれたが確かに前半の静かな流れに対して今西警部補(丹波哲郎)を中心とした捜査会議の場から和賀(加藤剛)の指揮によるコンサートの場、そして「父子の旅」の過酷な状況の彷彿など映画を一度見たら脳裏から消えない数々のシーンは文楽的な演出効果といはれると頷けるところあり(勿論、劇的となるプロットはいくつも批判もあるのだが)。

この方を未来の天皇にできないのかしら。

甲辰年二月十七日

摂氏3.8/12.2度。雨(36mm)。夕方から風強まり暴風雨(最大20m)。

朝(日本時間6時45分から)ドジャース大谷翔平君声明発表でテレビはEテレとテレビ東京除き生中継。NHKも朝7時定刻のニュースの時間になつても生中継続ける。何だか事故よりも大谷を巡る出来上がつた演出が見え隠れの感あり。

甲辰年二月十六日

気温摂氏8.9/15.2度。曇。行きつけの超級銭湯でスタンプカードがLINEから登録するアプリに移行。現行のスタンプカードのスタンプ数はアプリのポイントに替へられるのださう。場所柄高齢者が多いわけだがスマホ持つてないともうポイントも貯められずスマホ持つてゐてLINEを使へないのもダメ。LINEは辛うじてあるがアプリへの登録は難しい高齢者には本日も超級銭湯のフロントがアプリ登録の手伝ひまでしてゐて大変。アプリ対応にしたところで収益が伸びると期待できるとは思へないのだけれど。中国の場合など電子マネーが支付宝(AliPay)か微信で高齢者への普及もかなり。ふと何年ぶりかで支付宝と微信の財布を確認したところ大陸の支付宝はまだ生きてゐたが香港のそれと大陸の微信は死んでゐて復活するにも香港のすでに繋がらない携帯番号のため没有办法である。数百元は失つてしまつたが大谷翔平君の謎のUS$450m(6.8億円)に比べたら大したことではない。

尊富士新入幕初優勝

辰年二月十五日。涅槃會。気温摂氏0.8/16.8度。曇。家人母逝去で四十九日から1ヶ月程が過ぎて本日、巣鴨のお寺に納骨。水戸から家人と自動車で佐倉に向かひ家人の父をピックアップして東関道→首都高で湾岸→深川→C1→池袋→C2と走り新板橋で下りて白山通りを巣鴨へ。ふと気づいたら都内を自動車で走るなんて平成2年(1990)以来。それも首都高なんて慣れてゐないと怖いところだが何処でも路線図が頭に入つてゐるから走れないことはない。それよりお寺は染井霊園に隣接で今年は桜の開花はまだ先だが昨日が彼岸の明けなので今日の日曜日もまだ墓参の方少なからず。染井霊園横の自動車の幅ぎり/\の狭道のほうが歩行者、自転車とぎりぎりでよほど怖かつた。染井霊園には要所/\で警備員が立つて自動車と歩行者の誘導も慎重。家人母の本葬は佐倉の斎場でだつたので本日はお寺での法要をして納骨。お寺から豊島市場(東京都中央卸売市場豊島市場)の傍らを抜け白山通りを渡り巣鴨三浦屋といふすっぽん鍋など供す料理屋でお昼。すっぽんの唐揚げと雑炊。

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とげぬき地蔵通り商店街がとんでもない混雑は日曜の上に4のつく日で縁日。白山通りの遠くない駐車場に昼食どきに駐車できただけでも御の字。復路は護国寺から首都高に入り箱崎JCTから7号線に入る方が混雑で往路と同じ湾岸へ。箱崎といへば成田エクスプレスも羽田の国際線もない昔は成田から香港に戻るのに箱崎のTCATからリムジンバス利用で室町砂場で最後に蕎麦を食べてから箱崎へ、がルートだつた頃も懐かしい。家人父は疫禍一度も佐倉から出てゐなかつたが元々、銀行員で日本橋、馬喰町などで若い頃から働いてゐたので首都高から日本橋界隈を眼下に眺め当時を懐かしんでおられた。佐倉まで送ると丁度、大相撲大阪場所千秋楽で尊富士が優勝をかけた一番もすぐなのでそれを観戦してから水府へと戻ることにする。

 荒れる春場所とはいふが全く予想だにもしてゐなかつた平幕最下位尊富士の優勝とは。大正3年5月場所の両国関以来110年ぶりの新入幕優勝の快挙。昨日の朝乃山戦で足首痛め(靭帯損傷ださう)それでも今日よく頑張つた(来場所は静養になる見込み)。

木村庄之助が結びの一番で軍配差し違え(共同通信)

勝敗の判断を誤るやうな際どさもない取り組みだつたのだけれど。まぁ一国の首相ですら「その器ではない」適正さに欠ける人選なのだから相撲の立行司だつて一緒か。