富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

難民と一緒に入管問題を考える@アムネスティ水戸

辰年六月廿三日。気温摂氏25.5/34.8度。晴。昼前に水戸駅で中国人Yさんと会ふ。16歳になる倅と一緒。父子で二人暮らし。5月に日本に来た息子を来春、高校に入学させたいのださうで手続きのこと、外国人枠のことなど話して県立高校なら(教科書や学用品、制服などは有償だが)授業料無償になると話したらYさんはとても驚いてゐた。彼らは哈爾浜が地元なのだが公立でも高中だと授業料など年間1万元(21.2万円)はかゝるのださう。日本の方が社会主義だね、と笑ふ。Yさん曰く日本の方がちゃんと働いてゐれば行政が本当に生活保障とかしてくれてありがたい。これは日本の外国籍居住者に対しても良いケースである。Yさんの場合は、どんな背景か経緯かはわからないが在留許可があり就労してゐるので行政の手が差し伸べられてゐる。


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午後はアムネスティ日本の水戸グループの会合に参加して末席を汚す。日本滞在33年で現在も茨城県牛久市に「仮放免」で居住するナイジェリア出身のエリザベスさんと考へる難民問題。彼女はナイジェリア国籍だが出身はBiafranビアフラで年配の方なら1960年代後半のビアフラ戦争といふナイジェリアの内戦の記憶があるだらう。ビアフラ出身のIgboイボ人といふだけで今でもナイジェリアでは身の危険を感じるやうな民族対立と差別があり、その上、アフリカで女性性器切除が今でも存続し、それを逃れるためには故郷から離脱しなければいけない。さうした恐怖を逃れるためにナイジェリアを脱出したエリザベスさんだつたが1991年に来日して観光ビザが切れたあとも道路工事現場などで働き(居留期限を過ぎた不法就労である)2006年9月に東京入管に出頭したが当時はすぐに何か処分が下されず2011年1月に強制退去処分となり東京入管から「牛久」に収容され10月に仮放免となつたが2012年の難民認定申請は不可で異議申立ても棄却され2016年10月から2017年8月まで収容され当時の難民認定申請(2回目)が現在審査中。昨年の入管法改定で3回目の申請が棄却された場合は無条件で国外退去処分となる。彼女は仮放免で牛久居住のため茨城県外への移動制限があり国保社会保障もないかなり過酷な状況で生活をしてゐるが入管に収容されてゐる外国人の支援活動などにも精力的で昨年5月には3.8万筆もの「人道配慮に基づく在留特別許可」求める署名が法務大臣に提出され12月には牛久市議会で彼女に在留特別許可求める請願書が可決され意見書として法務大臣出入国管理庁に提出されたが国からは全くの無回答。かうした日本政府の難民保護入学収容の現状につき茨城大学付月Fu Yue准教授からも報告あり。G7の「先進国」ながら全く立場も責任もない遅れた難民、移民への対応を続ける日本である。日本政府の立場はナイジェリアでエリザベスさんのやうな境遇の市民がゐることは認識できても、特定の反政府活動家といつた立場の指名手配のやうな人物でもない限り帰国したら即収監で人命にも危険があるやうな状況になるとは断定できない、といふもの。かりに彼女を難民として在留許可を与へた場合に同様のケースですべて在留許可を与へるのか、といふ「理屈」となる。入管が難民、移民の在留許可の可否を決定するのだつておかしなこと。本来はさうした司法判断を行ふ中立な判定が必要だといふのに。


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