富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦三月廿九日


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香港で次なる「弾圧」の標的は民陣。数十万人規模の大規模市民デモを組織した主体。その組織と運営のスマートさは見事。あくまで合法デモで国安法で取り締るのも厳しいが大公報は民陣が「国際的な連携」を求めたことなど叱り民陣の取締りは「法律界からも」と言ひ張る。(蘋果日報)香港で4割の教師が政治的に深刻なストレス。そりゃさうだらう。真っ当な精神状態では今の香港で公立学校の教師はやつていけない。


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家人に教へられたが月刊『ハルメク』誌は今日6月号が発売。それが今日の朝日新聞に広告あるが広告の内容が5月号つまり1か月前に発売のものなのだといふ。


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もう初夏どころか夏そのもののやうな陽気。床の間の掛け軸が「春眠暁不覚」のまゝだつたので掛けかへてお花も活けかへる。お軸の出し入れで物入れにあつた祖父が詠んだ句の短冊を眺める。お手本のような筆運びは惚れぼれ。

茶の花は己が手向けの花なりし (俳号)竹居

水霜の暫しはありぬ塵の上

正直、右の句の「花」と左の句の「霜」は読めず、くずし字に明るい畏兄に読んでもらふ。くずし字は「読む」のではなく、その世界に入ることで見えてくるものがあるのだらう。いずれも初冬の句で「茶の花は」は祖父にとつて遠くない己が辞世の観、「水霜の」は朝日に当たれば溶けてゆく霜の儚さを詠んでゐるか。

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国会衆院予算委。五輪開催で野党からどれだけ質問を受けても具体的な回答を避け「選手に安心して参加してもらうとともに国民の命と健康を守る」 といふ文言を呪文の如く唱へるばかりのスガ。どれだけ罵声浴びせられやうと、もはやパンチドランカーの如し。何か詰まると「答弁を差し控えさせていただきたい」。ムキになつて発言に虚偽があれば議員辞職すると宣つたり感情的にヤジを放つたりの晋三を懐かしむ。

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唐沢俊一トンデモ美少年の世界』読了。先日何を読んでゐて耽美の世界のことに言及があつて何ややつてこの唐沢先生のこの本に辿りついたのかアタシ自身よく覚へてゐない。この内容は昭和末に月刊誌『JUNE』に連載されてゐたもので当時それを何篇かは読んでゐたはずだが書き手は若いライターで、それが後の唐沢俊一だとは結びついてゐなかつた。さらりと読める面白可笑しい内容だが一篇だけ「さう/\さういふ時代だつた」と少年ヌード誌に関するかなり際どい記述あり。映画「ベニスに死す」みたいな耽美的な少年愛ではなくて「絶対にこれはマズイだらう」レベル。それは昭和50年のことだが当時はさうした出版物が好事家相手にマイナーどころか地方の書店でも(少女モノはさらに多数だつたが)堂々と売られてゐたのだ。いずれにせよさうした耽美主義の世界が今ではBLとなつてテレビドラマにまでなつてゐるのだが足穂先生の時代からの変遷を見れば何れだけ商業化したかは歴然で、やはり何事でも趣味ことといふのはアングラくらゐの好事家世界のときの方が奥ゆかしくて面白いものであつただらう。

トンデモ美少年の世界