富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

まだ立夏の端午節

fookpaktsuen2016-05-05

農暦三月廿九日。立夏。暦はまだ立夏なのに「日本だけは」端午節を子どもの日と称して祝ふ不思議。本来の端午節は陽暦なら六月九日で、まだ一ヶ月以上も先のこと。疲労困憊で早晩にジムでサウナに入り早めに帰宅。夕食で二锅头を盃に一杯だけ飲んだが56度の酒にふらふらで午後九時すぎに就寝。
▼森本あんり(ICU副学長)「1947年の祈り」(朝日新聞こちら)より。

最高裁判事那須弘平氏は、日本国憲法を「祈りの書」と呼びました。「懺悔と謝罪の書」とも言っています。憲法を読むと、「決意し」「念願し」「信ずる」「誓う」と、ふつうの法律文書にはない言葉が出てきます。「永久」「恒久」という言葉もありますが、それは明らかにこの世の政府や法律が保障できる範囲を越えています。言葉づかいからして「祈りの書」なのです。(略)
憲法が尊重されるには、制定者の権威が必要です。憲法制定当時の権威とは何か。率直に言うと、米国中心の連合国軍総司令部GHQ)です。でも、日本人はその権威を受け入れました。それは、米国が自国の利益だけでなく、より普遍主義的な理念、つまり全世界の正義、自由、民主主義を掲げていたからです。だから権威があったのです。(略)
(日本で「憲法を変えよう」という声が今この時代に大きくなったのは)終戦直後に人々の目前にあった屍のリアリティーがなくなったからじゃないでしょうか。改憲を唱える安倍晋三首相は戦後生まれです。何百万人という犠牲を前にして世界に誓ったリアリティーを感じられなくなった世代が、政治の中枢にいるという状況です。
実は、日本に限らず、保守のど真ん中を担っていく王道が、憎たらしいけれどデンとしっかり構えている、という時代ではなくなった、と感じています。米国も今の大統領選をご覧の通りです。民主党では型破りな社会主義者サンダース氏(上院議員)が人気を集め、共和党もトランプ氏のようなとんでもない人が指名獲得を確実にしている。党の主流を担う人がいない。私の言葉で言うと『正統』(オーソドクシー)が陰っているんです。
本来なら、まず正統があって、その正統に対するアンチテーゼとして『異端』があるものです。なのに、正統がみな腰砕けだから、あちこち異端だらけになってしまった。群雄割拠で『異端』とすら言えないほどでしょう。そういう状態が、日本でも米国でも起こっています。
(何が「正統」か、だれが決めるのか?)だれも決めません。「正統」は、本来的にはみんなが当然の前提としているもので、ふだんは意識されません。だけどあるとき、自分たちが信じてきたものは何か、依拠してきたものは何かと考える時代が来る。で、いったんそうなると「正統」はかつてのような信頼感を失ってしまう。「それでもやっぱり俺は正統なんだ」って言い募る者が出てきて、当然の前提であるはずの正統」を議論で証明せざるを得なくなる。それがいまの憲法を巡る議論の根本にあると思います。
 憲法を巡っては、これまでも9条の問題などいろいろありましたが、憲法が大切だという認識そのものはだれも疑ってこなかった。いまも権威はありますが、改憲の動きが強まり、『これがやっぱり正統なんだ』と、一生懸命に言わなきゃいけなくなっています。