富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2015-06-09

農暦四月廿三日。昨晩読んでゐたはずが睡魔に襲はれ枕元にあつた岩波『世界』六月号未明に読む。朝日の慰安婦誤報で一時は何だか国賊扱ひだつたトンちゃんと河野洋平氏の対談読む。建築家槇文彦の建築と都市に関する連載(最終回)でモダニズムと民主主義について。ローカルであつた建築が産業革命後、国民国家の誕生で国民建築誕生するが国家の権威は「それまでの建築様式で概ね表現できた」から国民建築流行らず。民主主義社会に相応しい建築のあり方の中で生まれたのもがモダニズム。民主主義の空間化。日本にも浸透し戦前では板倉準三の巴里万博日本館(写真、1937年)や戦後は丹下健三の代々木競技場に象徴される。建築とは「建築の形態・空間に「人間をどう考えたか」という思考の形式が込められていて簡単に消費されない社会性を獲得している」そこに可能性がある、と槇先生。ある構造物を建てることは他の可能性を全部排除して、その場所を長い時間にわたり支配すること……と思ふと、だからあのザハ=ハディドの国立競技場はダメよ。民主的な都市とは市民の意見が通りやすいもの。モダニズム建築は建築家を自由にする。公共的な空間をどう守り育ててゆくか、と。
小熊英二先生(朝日新聞「思想の地層」より)自民党について。自民党は衰弱。党員数は四半世紀前の8割減。衆院選得票数も大敗した2009年の数回復せぬが野党分裂と公明党との協力に加え低い投票率なら小選挙区で大勝となる。かつては地縁で基盤強固の自民党は世論と乖離した政策は強行できず(寧ろ社会民主主義的政策も少なからず)少なくとも自民党支持者には「勝手な独走はしないだろう」といふ暗黙の信頼あり。政権が世論と乖離した行動すると党内抗争でチェック機能が働く。それが2009年の大敗挟み未熟な議員が増え選挙で党の公認得るため党中央=官邸の意向に逆らへぬ。派閥も抗争もない。党が弱体化す=官邸の力の強化。さうしたなか政権は安保法制等民意と乖離した政策強行。裸の王様。反面、県知事選の連敗に見られる政権の独走に対する地方組織の離反。「戦後の自民党を支えたのは有権者の「暗黙の信頼」だった」の「を「白紙委任」と誤認すれば「王様は裸」であることが誰の目にも明らかになる日が来る」と小熊先生。

日経「違憲性、専門家に異論も」と誰を挙げたか、と思へば西修(笑)。「過去の政府は集団的自衛権憲法9条の「必要最小限の自衛権」の範囲を超えると解釈してきたが、それを超えない集団的自衛権もある」とは。さらに「憲法学者も大半は自衛権の行使そのものは否定していない」って当然でしょ、だから晋三らは砂川判決まで持ち出して自衛権肯定した上で「しかし」国際情勢が変化、兵器の技術も革新「だから」直接の自国への攻撃でなくとも日本の存立が脅かされる「よって」(広義の)自国を守る目的に限り集団的自衛権は行使可能と一生懸命説明してゐるのに、兵器の技術も進歩した今の世界で「必要最小限の自衛権の範囲を超えない集団的自衛権」なんてものが実際の紛争の場で具体的にどんな形態があるのか西先生説明できるのかしら。砂川判決といへば砂川事件の元被告の土屋さん(80)は政府が集団的自衛権合憲の根拠に砂川判決挙げたことに「またそんなばかなことを言っているのか」と声を荒げ「判決は、日本は自衛の措置はできるが、その力がないから駐留米軍を認めている、と述べただけ。集団的自衛権の行使を認めたものではない」ときっぱり(東京新聞)。礒崎陽輔集団的自衛権とは、隣の家で出火して、自主防災組織が消防車を呼び、初期消火に努めている中、「うちにはまだ延焼していないので、後ろから応援します。」と言って消火活動に加わらないで、我が家を本当に守れるのかという課題なのです。
ほなみ:火事と戦争を同等にして例えるのがまずおかしい。わかる?火事には攻撃してくる敵がいない。戦争は殺し合い。それに少しでも加担すれば危険なのわかるよね?それが分からないなら本当に脳みそ腐ってんじゃない?
世界 2015年 06 月号 [雑誌]

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