農暦三月十三日。朝寝貪り寝台に臥せたまゝ雑誌の頁を捲る。昼前に外を小一時間走る。気温は摂氏28度の由。すつかり夏。昼寝。午後遅く久々に中環から西環を食材など購ひながらZ嬢と漫ろ歩き。早めの夕食を西營盤から上環に移転してゐた好客山東に飰す。岩波書店『世界』四月号読む。
▼「昨年は八重桜が散った後でしたが、今日はどうでしょう、皆さん。満開ではありませんか。まさにだんだん雰囲気が良くなってきたということではないか」と観桜の会@御苑で晋三。神かゝり。
▼岩波書店『世界』四月号。(元)朝日新聞の外岡秀俊「啄木と賢治に見る震災後の風景」。啄木の又引きになるが
この立憲国のどこの隅に真に立憲的な社会があるか? 真に立憲的な行動が幾度吾人の眼前に演ぜられたか? 非立憲的な事実のみが跋扈しているような事はないか? 政治理念の結合なるべき政党が、この国においては単に利益と野心の結合に過ぎぬのではないだろうか?
この言葉は1907年に盛岡中学(元)の交友会雑誌に載せた「林中書」より。それから百年以上経つて、この啄木の言葉がそのまゝ今日の声になるとは。同じ号で田原牧記者(都新聞)が埃及から、カイロの市井で人々の親切やマナーが良くなつた、といふ話で牧ちゃんの友人が「そりゃ変わったさ」と語る。
この三年、毎日が非日常だ。日々、新しい現実に向き合わざるをえない。ただ人々は四つの政権を変え、二人の大統領を獄につないだ。人々はいま疲れている。けれども気がついてみると誰もがサッカーの試合のように政治を語るようになっていた。
と。台湾にもいへることだが立憲制の政治体制の公民意識ある民主主義国家なら、かうあるべき社会。日本は埃及を民主主義国家とは理解してをらず。
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2014/03/08
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